劇場のこともユニットのことも知らなかったが、
好きな役者が出てたので、見に行った。
みんなそれぞれ似合ってて、よかったと思う。
その点だけは満足。
舞台は大まかに言えば能舞台のような作りで、
幕はなく、舞台+下手につけるための通路があり、
短いながらここでも芝居が出来る。
舞台は額縁に縁取られたキャンバス、という形に
なっていて、一番奥から人が出入りすることが
可能。(奈落につながっているんだと思う)
なかなか凝った作りである。
物語はあるアトリエで展開される。
食えないオーナーの元、若い画家が集まって
絵を描いている。
本当に下手な男、如才なく適当に上手い男、
ナイーブで優しい男に混じり、偏屈で非常識な
男がいる。これが主人公だ。
抽象画を描きながら完成させられず、自分の
作品が理解されないといって怒る彼に、何故か
理解者が現れる。
彼女は何も言わないのに彼の絵をすべて理解する。
これが若く可愛らしい女性で、いつの間にやら
「あなたの絵が好き」から「あなたが好き」と
いうことになっている。
願望丸出しで白けた。
これより先はツッコミなので、色を変えた。
舞台を見て満足された方はお読みにならない方が
よろしいかと思います。
うっかり見ちゃった、を防ぐために、ちょっと場所ふさぎ。
アトリエに通い、コンテストに参加しながら
そのルールには従わず、モデルを理不尽に怒らせ、
画商に平凡なやり方で喧嘩を売り、無関係な喫茶店の
出前を傷つける男……というのは、主人公として
いかがなものか。
道徳的になれといいたいのではない。
ただ、甘ったれてると思うだけで。
創作ってのは作りたいから作るもんで、それが
他人に評価されるか、それで食っていけるかとは
まったく別の次元の問題だろう。
特に絵は、1人で描こうと思えば描けるし、その場で
消えてしまうものでもない。
本人の死後もこの世に残せるものである。
たとえば、同じ創作でも「いけばな」や「料理」、
「ヘアデザイン」なんかは、その場で消費されて
初めて完成する。(誰にも見せずに作って腐らせる、
ということもまぁ出来なくはないが……)
「演劇」もそうだよね。
こういった消えものアートは、「金を出してくれる
客」がないと、実質的に成り立たない。
ゆえに、作ることと売れることは切実に結びついて
いる。
でも、絵はそういうもんじゃないだろう?
人付き合いは下手だが描きたい、というのであれば、
自宅にこもって描けばいいのだ。窓から外を見るなり、
道端で観察するなりしながら1人で描けばいいのだ。
そして作品を大事に持っていればいいのだ。
主人公は、来なくてもいい場所にやって来て「自分
だけ特別扱いしろ」と駄々こねているように見える。
主人公は、
・自分で満足のいく絵を描く
・他人に評価される
・他人に理解される
・他人に愛される
ことをごっちゃにしているのだと思う。
だから、絵を分かってくれた女性は自分が好きで
ずっと一緒にいてくれると思い込めるし、彼女が
褒めてくれないと暴力を振るう。
仲間に批判されて「この絵はダメなのか!」と
食って掛かったりする。
人の視線をそんなに気にしてどうするよ?
作品には自分が出る。
でも、作品は自分とイコールではない。
伝える努力はしないが、絵を見て理解して欲しい、
なんてのはナシだと思うよ。
だいたいが「本当の私」ってのはファンタジー
だから。
「本当」ってなんだよ。
他人どころか、自分だってそうそう理解できる
もんじゃない。
人は互いに理解しあえない、訳ではない。
理解しあえる「瞬間」はある。
その瞬間の多い少ないもある、と思う。理解が
線状で続く、こともある、かもしれない。
でも、理解が面になって続くことはないと思う。
否、なくはないが可能性はとても低いと思う。
それに、完全に理解しあわなくたって、人は
他人に好意を抱けるし、ともに歩いていく事
だってできるだろう。
自分の期待した答えを言わない相手を責める
主人公は、幼稚で身勝手すぎると思う。
ついでに言うと、作品は、完成していなければ
意味がない。
結果的に未完で終わるのと、未完作品をいつまでも
こねくり回しているのとはまったく訳が違う。
完成させられない創作者というのは、要するに
終わらせる気がないのだと思う。
主人公の描く絵の中の物語を役者が演じてみせる
とか、少女のその後とか、面白い点もあったは
あったのだが……
残念。