演劇

2009年11月 7日 (土)

寸評・「千里眼の女」(その2)

学問としては相当に際物である超能力研究に取り組む
福来はおそらく浮いていただろうし、孤独でもあった
と思う。
透視能力によって離縁され、周囲の理解を得られない
千鶴子と、共鳴もしたのだろう。
それでも運命はかみ合わず、2人はすれ違う。
結局千鶴子は命を絶ち、福来の研究は否定され、帝大
から切り捨てられてしまった。
初めはスクープ狙いだった橘は総長の山川を非難する。
山川はその非難を受け止めるが、決定を覆すことは
なかった。
なかなかに、救いどころのない話である。

皆が古めかしく喋る上に方言も頻出するので、途中で
ついていけなくなる人もいたようだった(近くの席の
人は意識飛んでたな……)。
個人的には面白かったけどね。
役者さんは時代の雰囲気出してたし。
(いや、見たことないけどさ、明治末なんて)
正直、登場人物には感情移入しにくいが、列強に
追いつけ追い越せとばかりに無理を重ねていた当時の
日本の哀しさには胸痛む。

ただ、長い芝居なのに突っ込んだところは描かれ
なかったなぁとは思った。
千鶴子と福来の仲にせよ、福来の学界での位置にせよ、
橘の心の変化にせよ、描かれてないわけではないけど、
割とさらっと終わってしまったというか。
ちょっと残念。

科学が万能だとは思わないし、発見がいつも進歩に
結びつく訳でもないだろう。
でも、説明出来ない=存在しない、と切り捨てるのも、
またつまらないことのように思う。
千里眼がいたっていいじゃんねぇ。

劇団青年座197回公演『千里眼の女』
10/10~10/18/09
紀伊国屋ホール

2009年11月 6日 (金)

寸評・「千里眼の女」

先月の半ばに見たのに、なかなか書けなかった……
反省。

千里眼。クラシックな響きですな。
明治の終わり。透視能力を持つ超能力者といわれ、帝大の
学者たちの研究対象となり、一時的にもてはやされ、24の
若さで服毒自殺した実在の人物・御船千鶴子を描いた作品
である。
例によって全然知らなかったわけですが、その後ちょっと
調べたところ、京極夏彦の小説『魍魎の匣』の中に、この
実験についての記述があるそうな。
おかしいな、読んだのに全然記憶が……

とりあえず、芝居の話。

進行性の難聴を抱える、繊細で気難しい千鶴子。
超能力研究のために東京から熊本に通いつめる福来博士。
福来にぴったりと付いて回る新聞記者の橘。
千鶴子の力の恩恵を受ける父親や義兄。
学者であると同時に現実主義者でもある帝大総長の山川。
千里眼を否定するもの、支持するもの……
皆それぞれの立場で一生懸命、といえばまぁそうなのだが、
純粋な気持ちもある一方で利己的な思いも抱えている、
一筋縄ではいかない人たちである。

史実の方はよく分からないが、劇中の千鶴子は福来を
頼り、心から慕っている。
福来の方は……
千鶴子のことは好きだったのだろうけれども、多分、多分
だけど、好きの質が違うというか、千鶴子の気持ちに
すんなり応えることはできなかったのではないかなぁ。
少なくとも彼女が生きている間、福来にとって彼女は、
まず「大切な大切な実験材料」であったのではないかと。
そのことは、悪党ではない福来の心を苦しめたと思う。
いや、はっきりそう描かれてた訳じゃないんだけどね、
そんな風に見えたんだよね。

寸評といいつつ長くなってしまった。
続く。

2009年11月 3日 (火)

季節の変わり目。

いきなり寒くなりましたねー。
明日以降はまた温かくなるって話ですが、ホントの
ところはどうなんでしょうかね。
皆様お風邪など召しておられませんか。

しかし毎日何を着ていいやらよー分からん。
もう11月なんだから、冬仕様で何ら不思議はない
訳だが……

いや。
先日サンシャイン劇場で*pnish*の公演を見て、
客席の若さにちと居心地の悪い思いをしてきた
のだが。
右隣の若者が毛糸の帽子を被っており、左隣の
隣は半袖だった。
……いやいやいや。
今からそんな雪山行くみたいなカッコしてたら
真冬にどうするんだ右隣。
てか、劇場で帽子はダメだろう。
脱ごうよ。
どんな服着ようが自由だが、確かに劇場内は
空調管理されているが、だからってそんな腕
むき出しってどうなんだ左隣。

……などと、密かに考えていたのであった。
よけーなお世話ですね。ハイ、仰る通り。

芝居?
たわいなくてバカバカしくて可笑しかったです。
楽しませよう、楽しもう、という気持ちが伝わって
くるような、ハッピーな舞台だった。
物語には突っ込みどころが多々あったが、そんな
ことはどうだっていいのさ。

スクリーンで役名+役者名を紹介するのは最近
流行りだけど、何かテレビみたいで引っかかる
なぁとは思ったが。

*pnish*「マハラジャモード」
10/29~11/3/09
サンシャイン劇場

簡単なコメントでスミマセン。
観劇メモためてるもんで、ちょっと焦ってます。

2009年10月28日 (水)

寸評・「モロトフカクテル」(その2)。

面白かったのは、まず、「場面や登場人物が計算
されている」ところ。
学校を舞台にした芝居というのは、実はそれなりに
難しい。
生徒が少ないとそれらしく見えないし、かといって
あまり沢山いても、全員を物語に参加させられないし。
ということで、「いた方がいいんだけど何のために
いるのか分からないキャラ」が出がちだ。
でもこの芝居は、12人も人がいる(全員が学生と
いうわけではない)のに、「要らないよこの人」が
ない。
あ、10人か11人でも話は成り立つかとも思うけど。
微妙な部分も正直あるが、伏線も全部回収されている。

それと、イマドキの大学生の感じが出てること。
といってもイマドキの大学事情をけらいは知らない
訳だが、街ゆく若者を見て「こういう学生いるだろー
なー」と思えるぐらいにはリアルに描かれている。
そのイマドキ君たちが、えらく古めかしい立て看板
やらビラやらと並ぶところがミスマッチで面白いのだ。
もっとも、これは昨日のコメントに繋がるのだが、
けらいにとっては「うげー何それマジっすか」な
ヘルメットが、登場する若者にとってはお祭りの
小道具になってる=マイナスイメージがない、という
ことにはちょっとびっくり&多少危惧したのも事実。

実際、この「面白い」は、「けらいの無知」による
ところも大きいと思う。
自分で言うのも変だが、なにぶん60年代当時のことも
平成の今のことも知らないから、変だろうと何だろうと
分からないからね。
で、平成の部分は変でも許せるが、60年代はちと、と
思ったりする。
やっぱり、キーマンとなる「元闘士」の設定は不自然
だよ、色々。
そして、その不自然さゆえに、最後の最後(決めの
場面だ!)のインパクトが著しく弱まったのは否めない、
と思うんだよね。
いやアンタ、それはないだろう、と。
すごく好意的に解釈すれば話が成り立たない訳ではない、
レベルのことなのだけれども、それならもっと前から
それらしく描いておかないと。

それと、前半はこの人が話の中心?と思われるキャラが
後半には後退し(ややこしい)、件の闘士の話で幕が
下りるわけだが、前者の物語がやや消化不良のまま
終わってしまった感じがして惜しい。
全て解決してすっきり、という事態が生じえないのは
当然として、彼女(女の子なんだな)は変化なしで
いいのか?

ちなみに、リアルタイムで60年代を知っていた人に
聞いたところ、やっぱり「突っ込みどころは沢山ある」
そうだ。それでも面白いとその人はいってたけど。

会場はこの芝居をやるには広すぎて空間が余ってたし、
そもそも人を選ぶ類の芝居だとは思うけれども、
1時間40分、興味深く見てられましたです。

タカハ劇団「モロトフカクテル」
10/15~10/18/09
座・高円寺1

2009年10月27日 (火)

寸評・「モロトフカクテル」。

唐突ですが、「モロトフカクテル」って何かご存じ
ですか?
けらい、全然ご存じじゃありませんでした。
(ちなみに、火炎瓶のことらしい)←未だ余り
よく分かってない
諸般の事情で見に行った訳ですが、やたら印象的
なのに必要な情報をなかなか見つけられないチラシ、
意味のよく分からないタイトル等々、正直いって
不安材料多数。聞けば大学生の作品というし……
と、いいつつ、まぁ見た訳ですが。

結論。
面白かった。
釈然としないところもよく分からないところも
引っかかるところも多々あるが、それでも楽しめたは
楽しめた。

活動を大学側から認められていない自治会が、突然
部室明け渡しを命じられたところから話は始まる。
部室は自治会と手話サークルが共用、演劇部が倉庫
として使っている。
当然反発する学生側。自治会の1人が、大学に対抗
するために「活動家」を引き入れる。
これを良しとしない生徒は、別の助っ人に頼ることに
する。
とりあえず、誰も自分の頭では考えず、自分の足で
立たない。
かくして平成のぬるい「学生運動ごっこ」が始まる。
ここに元活動家で今は大学の職員という人物が加わり、
21世紀と1960年代が交錯する。
……まぁ、こんな感じの芝居。

60年代の学生運動のことは知らない。
世代的に知らないというだけでなく、知識もない。
いや、ないことは何ら自慢にならないのだが。
現代史をあまりちゃんと習わなかったということもある
(なんと、歴史の授業は1945年で時間切れとなって
しまったのだった。さすがにマズイということで補講が
行われたが、残りのすべてを数時間で語るのはあまりに
無理があり、結局何も頭に入らなかった)。
でも、ま、教わらなくても知ることは出来る訳で。
歴史学習自体は好きだったから勝手に調べた時代もあるが、
60年代ニッポンにはその後もまるで興味を持てなかった。
けらいは団体行動が苦手で、主義主張も嫌いである。
「みんな一緒に」「理想を熱く語る」等といわれると
ぞっとするクチなのだ。
揃ってデモ行進。冗談じゃないぜ。
それと……
こういうことを書くとアホみたいなのだが、って、まあ
否定はしない訳だが、
「ヘルメットに角材、カッコわりー」
というのが本音だ。
半端な長髪にヘルメット、ダサ過ぎるぜ。
と思ったら、関連書籍を見る気もしないのだった、正直。

芝居の話に入る前に長くなってしまった。
続く。

2009年10月19日 (月)

寸評・「渇いた人々は、とりあえず死を叫び」

俳優座公演である。
会場は東池袋だったのに、「俳優座だから六本木」と
結構直前まで思ってて、焦った。

脚本家・青木豪の作品を見るのは多分これが3本目(多分)
だが(つまり、そんなに長い間見てるわけではない)、
題材は毎回全く異なるのに、共通点がいくつかある、
ように思う。
・日常会話の連なりの中から「事件」が浮かび上がること。
・家族、あるいは家族の周辺の物語であること。
・設定自体は結構ファンタジックであること。
・でも、もしかしたら、と思わせる程度のリアリティは
きちんとあるということ。
今回の芝居は……タイトルがちっとも覚えられなかった
のだが……茨城をモデルにした架空の村を舞台に、例の
ない大雨で避難生活を余儀なくされた3つの家族を
描いている。

長く住む人が互いのことをあれこれ知っていたり(でも
知ってるのは飽くまで「噂」で、実は本当のことは
知らなかったりする)、若い世代はそうではなかったり、
学校が廃校になるぐらい子供が減っていたり、という
様子が、会話の中から何となく見えてくる。
実際の所は正直知らないが、どこかにありそうだ、と
いう気は、見ていてする。
使われる方言がどっち方面のものか全然分からなかった
のだが、それなりにらしく聞こえたですよ。
 
ごく普通の人たちは皆「秘密」を抱えていて、自ら
大事なものをぶちこわしてしまったり、取り返しの
つかないしくじりをしたり、行き先を見失って
しまったりする。
それでも過去は変えられないし、未来を変えていく
ことは出来る。
案外人はたくましくて、コケたってまた立ちあがる
ことは可能なのだ。

途中「そんな重大な話を笑いネタにしていいのか?!」
と思うところがない訳ではないのだけれども、
しんどいことがあれこれあっても、最後には笑える
ところが青木戯曲のよさだと思う。
楽しめたです。

俳優座「渇いた人々は、とりあえず死を叫び」
10/8~10/18/09 
あうるすぽっと

2009年10月17日 (土)

寸評・「芸術祭10月大歌舞伎(昼の部)」

劇場にケチだけつけといて、芝居の感想言わないって
のはダメだよね。

「毛抜」
何といっても歌舞伎十八番、磁石のトリックはどうだ
なんて細かいところ(全然細かくない)には目をつぶり、
大らかな気持ちで楽しめばよろしい。
三津五郎は達者な役者だと思うが、根がカタそうに見え、
弾正のようなキャラにはあまり合わないような気がする。
絵に描いたようなワル役の團蔵がいい感じである。

「蜘蛛の拍子舞」
強烈な化粧で顔の原形とどめない玉三郎の女郎蜘蛛の精。
面白いよなー歌舞伎って。
役者を見せるパフォーマンスで、どうしてこういう発想に
なるんだろう。
踊りのことはさっぱり分からないながら、玉三郎の動きは
美しく、他とは違う何かがあると思う。

「河庄」
スマヌ、こういうのは全然理解できないのだ。
プライドは高いが心弱く、自己愛は強いが他者を気遣う
ことはない。
強気に阿り弱気を踏みつける。
おまけに暴力的。
同じつっころばしでも二枚目を気取る「封印切」の
忠兵衛ぐらいなら可愛げあるが、治兵衛はイカンだろう。
この最低上方男に、籐十郎はとても嵌っていた。って、
褒め言葉になるのだろうか。
段四郎はいい役なのに言葉がイマイチなのが残念。
時蔵も、キレイだけどあんま上方っぽくはないよねぇ。

「音羽獄だんまり」
これはお子様のお披露目公演だから、何も考えずに
手を叩いていればよいのである。
それだけのためにこの面子揃えたってところが、
ご祝儀とはいえ凄いと思った。
後半の、ちゃんとした黙り(つまり口上じゃない部分)
を、もうちょっと見たかったな。
みんな似合ってたから。
久々に萬次郎を見て、個人的には喜ばしかったなり。

2009年10月14日 (水)

10月歌舞伎座に行ってきたのだが。

今日は芝居の感想ではなくて、歌舞伎座への文句。

ご存知の通り、歌舞伎座は来年4月をもって閉鎖され、
建て直しに入る。
今はカウントダウン公演ということで、劇場はたいそう
混んでいる。
学生時代から通ってきた劇場がなくなることに
寂しさを覚えないわけでは決してない。
一部のジジイが何といおうと、派手で現実離れした
あの空間はそれだけで価値あるものと考える。

んだけどね。

さよなら歌舞伎座、盛りだくさん過ぎ。

今月昼の部であれば演目は4つ。
出演者は人気者ばかり。
終演は16時を回る。
で、夜の部は16時30分には始まってしまう。

ただでも高齢者が多いのにバリアフリー皆無、どこも
狭く不便という問題を抱えた劇場で、昼夜入れ替えに
30分ないというのは地獄である。
例えば、それなりの客がイヤホンガイドを使っている。
これは借りて、返して、保証金を返してもらわないと
いけないというものだ。
昼の部の客が返し、夜の部の客が借りる。
受付所はそんなに多くはない。
当然、大混みする。

しかも東銀座というのは駅も最悪で、なぜここまでと
思うぐらい狭い階段を、焦る人たちが押し合い圧し合い
しながら上り下りせにゃならんところである。
人が溢れ、混乱状態に拍車がかかる。
見たことはないがスリや引ったくりも横行している
らしい。
でも、そりゃそうもなるわな。
狭い空間にカモが溢れてるんだから。
劇場が2つもある駅とは思えない作りである。
今すぐどうこうはできないにせよ、東京メトロ、
一体何を考えているのだろう。

芝居を見終わった人は、帰路につくまえに洗面所
ぐらい行きたいだろう。家が遠い人なら特に。
帰り際に売店でみやげ物も買いたいだろう。
客席は狭いし、上演中から持ってじっとしてるのは
大変だし、ロッカーはいつもいっぱいなんだから。
これから見る人は余裕を持って入り、飲み食いしたり
プログラムやら何やら買ったり、手洗いだって
済ませたいだろう。
こういうことが一切許されず、昼の客はともかく
早く帰れとせかされ、夜の客は延々待たされる。
歌舞伎座の客は人間扱いされてねぇべよ。

多少割高になったって演目は3つもありゃ充分だと
思うんだよね。
役者は出たかろうが、皆の顔を立てなきゃならないと
いう事情もあろうが、見る方のことも考えてほしい。
終演から次の開場までに1時間はみるって、そんなに
無茶なことだろうか?
昼の部が長ければ上記の通り入り口周辺が大混乱に
陥るし、夜の部が長ければ、帰りの時間を気にする
人が途中で帰っていく。
休憩や転換の間じゃなく台詞の途中で立たれるから
参るわけだが、9時10時までやられりゃそりゃ仕方ない
という気もするよ。
(でも自分は夜の部はめったに取らないけどね。
色々不愉快な目に遭うからさ)

新しい建物がどんなになるかはもちろん分からない。
今後はエレベーターなどつくのだろうが、そういう
ハード面だけじゃなくて、今の運営方法を一から
見直してほしいと切に祈る。

2009年10月10日 (土)

寸評・「組曲虐殺」

井上ひさしの新作音楽劇である。
プロレタリア文学の旗手・小林多喜二が拷問により
虐殺されるまでの2年あまりを、多喜二と彼を支えた
姉、恋人、同士、そして彼を追う警察2人によって
描き出す。
横暴で冷酷で強大な国家権力の前で、理想に燃える
若い作家はあまりに無力である。
だが、それでも、彼の死は種となって多くのものを
残すことになる。

面白かった、けど、
もちっと練ってから出して欲しかった、というのが
正直なところ。
例によって脚本がなかなか仕上がらなかったとの噂
だが、確かにそんな感じの舞台だった。
イヤ、稽古不足とかそういうことではなくてね。
3時間15分は要らないだろうと思う。
題材が劇的な割に、見せられる場面はそれほど劇的
ではない(まったく劇的でない、とはいわない)。
しかも、最後がどうなるか、観客は既に知っている。
(歴史的な知識がある人はもちろん、名前聞いたこと
もないという人でも、チラシに書いてあるから分かる)
結果、「いつあの最後がやってくるのだろう」「もう
じきか、そろそろか」と見ながら思ってしまったの
だよね。
もう少しタイトに見せた方が、訴えかける力が強まった
のではないかと。
同じ歌を4番まで歌うのもさー。
歌える人も少ないんだし。
てか、1人除いてほとんど歌えてないし……
あ、あと、ラストのあの演出はどうなんだ?
正直、テンションがた落ちしましたよ。
あれでは×××××ではなくて××××になって
しまうじゃないか!
(題材に合わせ伏せ字表現)←意味分からんって。

とは言え、役者はそれぞれイメージに合っていると
思ったし、舞台中央に板の間をおき、あとは最小限の
セットというシンプルなつくり、多喜二の温かみのある
小樽方言も、とてもよかったと思う。
「絶望するには善人が多すぎる、希望を持つには悪党が
多すぎる」といった台詞(大意ね。もちろん正確では
ありません)にはぐっと来た。
小曽根真の音楽は美しく悲壮で、これも素晴らしかった。
生で聞くのは初めてだが、来た甲斐があったと思った。

随所にユーモアをちりばめてあるとはいえ、テーマは
重く深刻である。
でも、ちゃんとエンターテインメントになっている。
そこが井上作品のすごいところだと思う。
しんどいけど楽しめます。

こまつ座&ホリプロ公演 「組曲虐殺」
10/3~25/09
銀河劇場

2009年10月 7日 (水)

寸評・「美しき背徳」

DIAMOND☆DOGSのメンバーを何度か舞台で見、
「オペラ・ド・マランドロ」で7人が踊っているのを見て、
ホームグラウンド公演にも行ってみるかと思い立った。
しっかし気恥ずかしいタイトルだな……
と思ってたら、まぁ、予想通りの展開に。
いやいやいやいや。
あり得ない展開のてんこ盛りにうひょうひょ笑いつつ
(いや、ホントには笑いませんよ。そんなはた迷惑な)
楽しんで来たです。
これって巷で流行のケータイ小説みたいだよシリアスに
やってるけど荒唐無稽すぎるよ書き手も読み手もマジ
ですか何で笑わないんですかってアレだよ。
あ、ケータイ小説みたいにエゲツなくみみっちくは
ないけどね。正直仕事でなきゃ読めないよ、あれは。
……いやいや、ケータイ小説のことはどうでもよいの
だった。失礼。

舞台は冬の函館。
同じ男を父に、違う女を母に持つ9人の男たち(あ、
2人は双子だから母親も一緒)が13年前の父親の死の
真相をめぐってぶつかり合ううち、それぞれの抱える
「闇」が明らかになる、というような話。
出演者は美しく、舞台となる洋館はえらく浮世離れて
いて、登場人物は皆世間一般のモラルやルールから
逸脱している。

うーん。
なんていうかね、
非現実的な部分と現実的な部分のバランスがイマイチ
悪いというか、広大な屋敷を持つ桁外れに金持ちの一族、
呪われた血、閉じ込められた狂気の息子、狼の遠吠え、
断崖絶壁の上を飛ぶカモメ、等々の時代がかった設定と、
「てか、~~だし」というクチを利くイマドキな台詞回しが
かみ合わなくて奇妙だった。
大仰な台詞を言う人とそれを変だと突っこむ人の
両方がいると、どっちがこの芝居の前提になるのかが
分からなくなる。
せめて雰囲気は統一して欲しいんだよな。
話が無茶なのは既に書いたとおりで、ラストシーンは
ことに「そんなオチがあるかい!」と突っこみたくなる
訳だが、「この芝居はこういう世界ですから!」で
押し通してくれれば、まだ納得いったような気がする。
部分的にリアルな作りなので、全体が大変嘘くさく
見えてしまったと思うなり。
例えば。
皆それぞれに年齢も立場も違い、職業ももっている
(学生含む)のだが、それがイマイチそれらしく見えない
のもイタイ。
衣装や役者の演技といった次元の話だけじゃなくて、
別に物語の展開上、その設定は必要じゃないだろ?
というところが多いんだよな。
ま、拳銃は必要になるんだけどね。
でもそれだって、「ハイソな方々が狐狩りに使う」とか
なんとか(すごい適当)、何とでもなると思う。

出演者は耽美に徹しようと思えば徹せられる雰囲気の
持ち主なんだから、臆面なく作り事にした方がよかった
んじゃないだろうか。
大学生だの青年社長だのいってないで、もっともっと
非現実的な設定(といってもすぐにぱっと思いつかない
が)にした方が、却って説得力を持たせられたのでは
ないかと思う。
地名も別に具体的でなくてよかったような。

でも、ま。
これは3Dの少女漫画なのだ。
それも古ーいヤツね。
イマドキのライトな話じゃなくて、重たくコテコテに劇的な。
そう思って見ればよろしいのだろう。
うんうん。

芝居の後にフィナーレ……じゃなくて、主題歌+ダンスが
つく。(ダンサーでないゲストを踊らせるのは酷では……
せめて振り付け変えるとか。それも変か)
D☆Dメンバーの踊りはさすが。中でも東山は別格だと
思ったです。

DIAMOND☆DOGS 「美しき背徳 - Beautiful Magic」
博品館劇場
9/28~10/4/09

2009年10月 5日 (月)

寸評・「蛮幽鬼」

ここ何作か見た中ではダントツで面白かった。
といっても、劇団新感線自体、見るのはずいぶん
久しぶりなのだが。
そして面白かった理由は分かっている。
この芝居の元ネタは「モンテ・クリスト伯」であり、
けらいはアレクサンドル・デュマがとても好きなのだ。
ということで多分に贔屓入っているが、面白かった。

しかし演舞場3階の右側座席(多分左もそうだと思う)は
見えないこと限りなし。
いや、舞台の一部が見切れるのは当然だし諦めているが、
手すりがちょうど邪魔になって、舞台中央も見えやせん
のだ。
設計者は自分で金払って芝居見たことなんかないんだろう
なぁ。
てか、この席に座ったこともないに違いない。
洗面所も少ないし列は進まないし(これは、客の動きが
悪いせいかも知れないが)、歌舞伎座改装中ここに
通うのはちょっとイヤだな。

なんてことはさておき。
(でも今も首が痛いんで、結構恨みに思ってますですよ)

芝居だ。
卑しい身分ながらその才能を認められ海外留学生と
なった主人公は、留学仲間に陥れられ、親友を殺した
罪で終身刑となる。
だが彼は獄中で知り合った謎の男とともに脱獄を果たし、
国へ帰って復讐を果たそうとする……
というのが大まかな筋。
このぐらいは書いてもいいだろう。チラシにもあったし。
(しかしあのチラシのあらすじ説明、やたら大仰な割に
分かりにくかったよなぁ……)

復讐ものはある意味マンネリこそが求められるジャンル
なので、この劇団にはぴったりであると思う。
イヤ、悪い意味で言っているのではなくて。
枝葉の意外性はもちろん必要だけど、大筋では定番が
求められるジャンルだからさ。

公演始まったばっかりなので、これ以降はご覧になりたい
方だけに。
ネタバレはしないつもりですが、一応ね。

3時間30分(休憩30分)+カーテンコールに時間かかった
よ、結構。

劇団☆新感線「蛮幽鬼」 
9/30~10/25/09 
新橋演舞場 

続きを読む "寸評・「蛮幽鬼」" »

2009年10月 2日 (金)

寸評・「中国の不思議な役人」

これ、タイトルとしては趣きあっていいけど、劇中で
「ワタシは中国の役人だ!」と名乗られると、えらく
アバウトな肩書きだな、とツッコミたくなってしまった
次第。
まぁ、それはともかく。
テラヤマ芝居だ。

舞台は30年代の上海。
人攫いに連れ去られた妹を追って街の迷宮に迷い込んだ
兄は、妹を救う代わりに暗殺に手を貸すよう、日本軍の
女将校に命じられる。
ターゲットは街を支配する「中国の不思議な役人」。
彼は「真実の愛を知」らない限り、死ぬことの出来ない
男だった。
その役人は娼婦となった妹と出会い、彼女の元に通う
ようになる。
とまぁそんな感じの話。

「オールド上海」のイメージの通り、人形遣いに娼婦、
鏡売りやお面売り、辮髪の大男などが花火のように
現れては消える、美しく禍々しい舞台だった。
セットにちゃんとお金かけてるな、というか。
音楽もとてもステキだったです。
んだけど、会場が広いせいか何か、「魔窟」の割には
どうも小奇麗なんだよなー。
毒が表現されてないわけではないんだけど、届く前に
拡散してしまうというか……
まぁ、PARCO劇場だし。
あんまり猥雑って訳にもいかんだろうし。
でもそしたらこの街この時代でなくても……(小声)

中国の役人を演じた平幹二朗が面白い。
ラスト・エンペラーみたいな丸い黒眼鏡に清朝の
役人のような装束を身につけ、テーマ音楽とともに
わははと笑いつつ登場するのだ。
……笑うところじゃないんですね。
スミマセン、けらい1人で笑いそうになりました。
や、失敗失敗。
いやいや、よかったんですよ、平役人。
有無を言わせぬ存在感と不気味さ、そこはかとない
滑稽さが両立していて。
こういう雰囲気を出せるというのは、すごいことだと
思う。

13歳の設定である妹を演じた夏未エレナは実年齢15歳
とのことだが、そうは見えずびっくりした。
最近の子は発育がよろしいねぇ。
白井演出では彼女は人形の具現(だよね?冒頭のシーンは
そういう意味だよね?違うのだろうか)ということだった
ので、個人的にはもうちょっと儚げな感じを期待してた
のだが。
兄を演じた田島優成の方がむしろ儚げだったような……
(しかし登場時の彼の衣装は現代人のようだったなぁ。
遅れてきた観客かと思った)←まさか。

歴史の教科書の文章まんま?な幕はいかがなものかと
思ったが(せっかく銀の文字がキレイなのにねぇ)、
そこそこ面白かったです。

これから戯曲を読むのだ。

「中国の不思議な役人」
PARCO劇場
約1時間40分(休憩なし)
9/12~10/4/09

2009年9月30日 (水)

開演前ご注意。

昨今、劇場でも携帯電話被害が多発している。

さすがに出て喋る人は滅多にいないが(でもいたらしい)、
上演中にピロピロあるいはぶーぶーいわせる不心得者は
珍しくない。
暗い中でメール読んで液晶光らせたりな。
大変腹立たしことである。
芝居見る間ぐらい切っとけよ、どーせ大した用事じゃ
ないんだろ?
ゆえに、開演前にご注意アナウンスをする劇場が多い。
それはまぁいいと思う。
言ってもやるヤツはやるから困ったもんであるが。

このご注意アナウンス。
ご存じの方はご存じだと思うが(当たり前か)、
出演者がマイクを通して言う、出演者が実際舞台に
登場して言う、劇団の非出演者が言う、劇場係員が
言うなど、色々パターンがある。

で、問題なのは最後の1つ。
小さい劇場ではないことだが、大劇場だとしばしば
複数の係員が客席内を移動しながら注意喚起する。
台詞は同じだが喋りながら動くので、アナウンスは
揃わず、結果、輪唱のようになる。

「お客様に」ぐらい(つまり冒頭)までしか
聞き取れないって。
わんわん声が響くだけで、意味なさないって。

逆効果のような気がするのだが、どうでしょう。

ちなみに、マナーモードは着信音と同じぐらい
響くので、甘く見ずに電源落としませう。

2009年9月28日 (月)

寸評・「TRANS」。

最近鴻上作品続きである。
偶然なんだけどね。

ってことで、「TRANS」。
自分探しに疲れ果てて精神科を訪れる男、
自分で自分を縛り、追い詰め続けている精神科医の女、
深すぎる愛で相手を追い詰めてしまうオカマ、
3人の友情愛憎物語である。

人気の戯曲なのだそうだ。
確かにシンプルな設定で、共感しやすいし上演も
しやすいと思う。
セットや小道具もほとんど要らないしね。
戯曲も新版を読んだけれども、今回公演はほとんど
まんま上演したようだった。
あとがきに上演指針が書かれてもいるし、そうそう
間違えはしないだろうけれども、下手にひねらずに、
狭い会場で、こぢんまりと上演したのがよかったの
ではないかと思う。
セット作って場面転換して長々暗転、とやったら
確かに話ぶち壊しだろうから。
(ちなみに、「暗転はどんなに長くても5秒以上」
という原作者の意見に一票)
とはいえ、会場は劇場ではないので段差があんまり
なく、(多少は高くなってるんだけど)3列目でも
微妙に見づらかったんだよな……
床に座ったり転がったりという場面が多いから、
後ろの人は相当見えなかったんじゃないだろうか?

「ハッシャ・バイ」「ピルグリム」よりは遥かに
分かりやすくて面白かった。
「精神病院(あるいは精神科医)の描かれ方」には
やっぱりちょっと引っかかったが。
いや、又聞きだから正確なことはわからないし、
批判できる立場にはないのだが。何となくね。
それと、テーマが明確なのに、最後の最後の最後に
あれれ、と思ってしまったのは、恋愛が不得手な女の
恋の話がズレてしまうから。
ネタバレは避けますが、え、だって違うでしょ?
最後の台詞は、言う相手が違わない?

あとなぁ。
女の囚われ方は「ハッシャ・バイ」と、
ストレートの男女+オカマの3人、というのは
「ピルグリム」と同じだよなぁ。
鴻上作品は3回目で、大して見てないのに言うのも
なんだが、もしやこの作家はいつも同じ点から出発
して、物語が常にどこかで重なってるのだろうか、と
思ってしまったり。
いや、面白きゃそれでいいのかもしれないけど。

ホントは物書きになりたかったのは誰なんだよ!と
いうツッコミは、些細なことなので措きます。

今回は役者3人のほかにダンサーが3人いて、何かの
折にマイムしたり踊ったりする。
正直、話の展開に合ってる箇所とイマイチな箇所が
あると思ったが、というか、彼らはもうちょっと
意味のある存在だと思っていたのだが、ゆるい
感じはでていて、それはそれで興味深かった。
……うーむ。歯切れ悪いな。

なんか、どう見ても褒めてない感じですが、前
2作より面白かったんですよ、ホント。
出演者もそれぞれ役に似合っていたと思う。

芝居屋風雷紡 特別公演「トランス」
9/20~9/23/09
神楽坂セッションハウス 

2009年9月26日 (土)

「ハイライフ」に関する、軽いショック。

実は、見てて思ったのだった。

「この台詞、前に読んだような気がする」

だが、話の展開もいちいち新鮮。
ラストシーンは素直に驚いた。

……いくら何でも、ここまで忘れてるのは
おかしい。
知ってたと思ったのは気のせいだったのか。

けらい、戯曲は好きで時々読む。
見た芝居や見ると決まった芝居を読むことが多いが、
見るアテがない状態で読むこともある。
この作品は邦訳も出版されているので、読んでても
何ら不思議ではない。
でもねぇ。
読んだとしたら、こうキレイに忘れるってことは
なかろう、いくら何でも。

帰宅。
確認。
……読んでるじゃないか……

2度楽しめてお得と思うべきなのか、頭の状態に
絶望すべきなのか。
前者といいたいところだが……

ちなみに、
「ハイライフ」邦訳は「サラ」と合わせて
彩流社から出てます。

2009年9月23日 (水)

寸評・「GEN~雲のゆくえ」

ああ連休が終わってしまった……
休みの間におうさまのゴハン皿を2枚も割ってしまった
ダメダメけらいであります。
おうさまは一晩に2匹もでっかいGを狩り、どっちも
取り上げられてちょっぴりおかんむり。
とはいえ、人の膝に乗る程度の不機嫌ってところが
おうさまのおうさまらしいところ。

……というのは単なる前振りで(しかも全然関係ない)、
CONVOYを見てきたです。
シアターモリエールという小さい劇場で、目の前で
瀬下尚人のタップを見て以来、いっぺん本拠公演を
見てみたいと思ってたんですねー。
もちろん初見であるです。

内容はというと、芝居とダンスショーの中間のような
感じで、「80年代、小劇団のメンバー6人が、なかなか
稽古に現れない主宰を待っている」→「20年後(現在)
の再会」というのが大まかな筋。
W村上デビューや夏目雅子の西遊記といった
80年代ネタが多用されていたので、観客の世代に
よって理解度が違ったようである……

物語展開は初めからわかりやすい。
途中でベケットの話が出たあたりでラストがはっきり
過ぎるぐらい分かってしまうし、それほど深刻に
考えなくていいのだと思う(多分)。
見所は芝居部分で言えばメンバーの丁々発止の
やりとり、そしてもちろんダンスシーンなのだろう。

なにぶん初見なのでファン内のお約束はさっぱり
分からんが、6人の言い合いシーンも、まあそれなりに
面白かったですよ。(しかし舘形比呂はやっぱ女優
なのか……確かに過去に見たどの公演でも、彼は
女優であったが……)

そしてダンスは……

気持ちのいい動きをする人たちだなぁと。
そしてタップの音が。
いい音させるんだこれが。
2階席でも十分楽しめる音だったと思う。

でも、一方で。

遠いんだよなー。

芝居もそういうところがなくはないが、ダンスは特に、
肉体そのものを鑑賞するものだから、舞台から
遠くなればなるほど、受け手のテンションは下がる。
ぶっちゃけ、「テレビ見てるのと同じ」状態になると
いうか。
(もちろん実際には同じではないが、気分的に)

言うまでもなく技術レベルは高く、すごいなぁと
素直に思うものの、間近で見た時ほどの感動は
当然なく、「ああ上手いなぁ」で終わってしまうと
いうか。

もったいないよな。

ファンも多いし、物理的に困難なことはよく分かる
のだけれども、もうちょっと小さい劇場で、もっと
間近で見られれば、もっと楽しめるのではないか
という気がした。

「GEN~雲のゆくえ~」
9/18~9/23/09、25~27
日本青年館大ホール

2時間弱(だったと思う)、休憩なし。

2009年9月21日 (月)

寸評・「HIGH LIFE~ハイライフ(オリジナル・バージョン)」

ジャンキー4人が集まって、ヤク代のための銀行強盗を企てる。
頭が1人、残りは手足。
だがイカレ具合は皆同じ。
見るからに危うい計画だが、結末は見てのお楽しみ。

何をしでかすか分からない男たちが好き勝手に動き回る舞台で
ある。
散らかり方が清々しく、楽しい。
それとは別に、一応建前として、麻薬は「日本人の多くにとって
他人事」なので、トリップの場面なんかは単純に興味深い。
おお、こんな風になるのか、と。

劇中で使われるタバコは医薬品で、本物のタバコではないそう
である。(と、開演前にアナウンスがあった)
でも缶ビールは本物だよね。当たり前だけど。
エラい匂いでしたよラストシーン。
ホントに飲んでホントにあれだけ動いてるんだから、すごいもん
である。
役者は全編捨て身なのだが、それにしても……

今回は「これで最後」名オリジナルバージョンを観劇。
日本でも、もう何度も上演されているというだけあって、よく
練られているし、キャストも皆合っていたと思う。
バグ役の塩野谷はほぼずっと激してるので半分ぐらい台詞が
聞き取れなかったが、彼の言うこと自体、他人にはよー分からん
という気もするので、さほど気にならなかった。
(とはいえ、もうちょっと意味を伝える方向で演技してもいいとは
思う)

ノンストップ1時間40分。
客席は三方にあり、舞台はとても近い。
臨場感をフルに味わうなら、脇の席の方がいいかな。
多少危険を伴うが……
多分見る位置によって色々印象が変わると思うけど、会場は
小さいので見づらいということはないと思う。
混んでいるので、詰める等してお互い協力しませう。
自分だけが観客だって訳じゃないからねー。
(そういう客もちらほらと……)

HIGH LIFE
流山児★事務所
9/17~9/23/09
オリジナルバージョン、アナザーバージョンあり。
theatreIWATO

2009年9月15日 (火)

寸評・九月大歌舞伎(昼の部)

見てきたなり。

「竜馬が行く」
三部作の完結編。竜馬最後の一日を描く。
うーん。
日本の男は、結局のところ男にしか惚れないのかもしれん。
芝居としてはさほど面白くないし、暗殺で終わりってことで、
ちょっと盛り上がれない、気分的に。
猿弥がいい役で個人的には嬉しい。
久々に竹三郎の舞台が見られたのも。
芝のぶの田舎娘も可愛かったです。

「時今也桔梗旗揚」
珍しい饗応の場~おなじみ馬盥、愛宕山まで。
うーん。
吉右衛門の光秀は立派過ぎて、虐げられてる場面がイマイチ
似合わないというか……
大体一人でガタイいいしさ。
馬盥持って暴れたら君の敵はおらんだろう、というか。
魁春の皐月は、もちっと化粧が上手くなればいいのに、と
いつも思う。
桔梗の芝雀はいつまでたっても若い。すごい人だ。
但馬守の幸四郎は何やら意気消沈のていで、「まだ失敗して
ないのにそんな暗い顔せんでも」とツッコミたくなりました。
いや、それより何より春永の天王寺屋。
プロンプの声が二階席まで聞こえるんですけど!
いや、初日であっても台詞が入ってないのは困るが、中日
ぐらいまで来てこれはないだろう。がっかりである。

「お祭り」
若いものが踊り、神谷町の姐さん(芝翫)が〆る。
楽しい演目なので、とりあえず気楽に楽しむ。
さよなら歌舞伎座ってことで、客も一本締めしてきました。

「天衣紛上野初花~河内山~」
梅玉の出雲守は、癇症はともかく好色には見えないが、
唇が黒くてたいそう悪者みたいだった。
正義感溢れ無考えな宮崎数馬に、門之助が嵌っていた。
幸四郎の河内山はもっと似合わないかと正直思ったが、
案外人の悪そうな雰囲気で面白かったっす。

どう考えても五時間は長い。
昼の部と夜の部の入れ替えが30分ないというのは、ホントに
ホントにキツイです。
1時間は最低でも必要だと思うよ、マジで。
ただでもバリアフリー皆無+高齢者人口が多い、という、
あり得ない劇場なんだから、時間に余裕を持たせるって
最優先事項だと思うんだけどな。
どうしてこんな無茶をするのだろう。
押し合いへし合いするのは自分もしんどいが、小柄な人が
杖つきながら小突かれてよたよたしてるのなんか見ると、
ホントに気の毒でならない。

新歌舞伎座では状況が改善されていることを願う。

2009年9月11日 (金)

寸評・「深海のスキャンダル」

珍しく上演中だ。もうすぐ終わっちゃうけど。
最近ちょっぴり芝居を見てないけらいである。
ほんのちょっとだけどな。

一応演劇にカテゴライズされるのか、でもさほど演劇っぽく
ないこの作品は、ルイ・フェルデナン・セリーヌ作の
バレエ台本『深海のスキャンダル』を、バーのホストと
ホステスが店のショーとして上演する、という、いささか
ややこしい形式の芝居である。
深海らしくホスト・ホステスは皆魚類なので、衣装が奇抜で
面白い。

ちなみに劇中劇はというと、「老いた海の神ネプチューンが
若い人魚プランティルと浮気→妻ヴィーナスにばれ、人魚は
人間界に追放→人魚はクラブのNO.1踊り子になるも、やがて
酒に溺れ転落→最後は悲劇」とまぁ、そんな感じの話。
セリーヌのバレエがホントにそんな話なのかは、その方面に
暗いけらいにはわかりかねまする。
スミマセン。

タイニイアリスは初めて行ったが、小さいので出演者が
すごーく近くて、ちと緊張したです。
(薄暗いし、観客なんて役者にとってはカボチャなのだろう
から、気にすることはないんだろうが)
階段状の板の間にクッション敷いて座るので、途中から
お尻が痛くなって辛かったなり。

それにしても、生演奏がよかった!!
キーボードとパーカッション+「ソヘグム」なる朝鮮半島の
伝統弦楽器(中国の二胡と似た感じ。どうやらルーツは
同じらしい)が美しくて聞き惚れた。
既に書いたが衣装も面白い。
最小のセット+暗転でぱっと場面が変わる演出も、工夫されて
いてよいなぁと思った。

物語は、まぁ想像つくけど、おおむね面白かった。
……まあまあ。

歯切れがイマイチ悪いのは、ちょっとよく分からなかった
からで。
いや、話の内容じゃなくてね。

以降は、これから見る方のために伏せまする。

「深海のスキャンダル」
9/9~9/13/09
新宿タイニイアリス

続きを読む "寸評・「深海のスキャンダル」" »

2009年9月 9日 (水)

寸評・「サマーハウスの夢」

アラン・エイクボーンの音楽劇ってナンだ?と思って
出かけてみた。
家族仲のイマイチ上手く行っていない、というか娘が
2人ともダメダメ、という大富豪一家+長女のもと夫+
現夫、そして「美女と野獣」のベルと野獣が登場する
ファンタジーである。

絵本の世界の人物であるベル(野獣も)は普通の会話が
出来ないが、歌を歌えば意思の疎通が可能だとか、
壁のチャックが開いて異世界と行き来するとか、
物語と現実の世界が混ざりそうで混ざらないとか、
ファンタジーならではの設定が楽しい。
出演者も皆楽しそうだ。

ファンタジーではあるが、ただユメユメしいだけの
御伽噺ではなく、身近にいるがゆえにすれ違う家族の
思いや愛情といったテーマも描かれている。
最後はもちろんハッピーエンドで、後味もよく終わって
いい……んだけど。
でも、最後の大団円はどーなんだ。
元々夫婦である大富豪、喧嘩ばかりしていたとはいえ
一応新婚の長女と現夫はいいとして。
もと夫と美女の変心は一体……
あまりにご都合主義でびっくりである。
いや、気が変わったならそれはそれでいい。
ただ、何で気が変わったのか、何がきっかけだった
のかがイマイチ実感できないので、釈然としないん
だよな。

というわけで、最後はなんだか附に落ちないまま
だったが、歌は聞きごたえあったし、まぁいっか。
個人的には、尋常ならざるヒステリー持ちの長女より、
「自分は言いたいことを言うが、他人に言われると
傷つく」次女の方が厄介な性格であるように思うが……
それも好みだし、ま、いっか。
(いいのだろうか)

「音楽劇 サマーハウスの夢」
8/27~9/6/09
俳優座劇場

2009年9月 5日 (土)

寸評・「bambino 3&+」

新宿二丁目で春を売っている青年たちの友情物語
である。
彼らは今回は舞台に登場しない店のマスターを慕い、
たまにぶつかることはあっても、基本的には深く
信頼しあっている。
こういう職業の常で、メンバーは大概金銭その他の
トラブルを抱えているが、どろどろの修羅場になったり
することはなく、最後は前向きな展開となる。
まあ、ベタなエピソードといえばそうなんだが。
人気シリーズであるらしく、ファンもかなり熱い
感じであった(婉曲)。

物語はわかりやすく、出演者が内輪受けすることなく
(シリーズものだと結構これありがちなんだよなー)、
初見の人間も問題なく見ていられた。
ただ、細かいことはよく分からなかったりするんだが。
この店には従業員しかいないのか?
実際の「仕事」はホテルなりなんなりでするとしても、
とりあえず店でこれといった子に目をつけて……とか
何とかないのだろうか。
いや、あくまで「店の内側」の話だから、客が舞台上に
登場しないのはいいと思うんだけどね。
ソファーに座って酒飲んでるのが従業員ばっかり、と
いうのはどーなんだ、と。
てか、そもそもこの舞台、店のどこ?控え室なのか??

マスターがいてマネージャーがいて、前者が留守の間
後者が代打を勤めるも、マスターほど上手く行かなくて
云々、というエピソードがあるのだが、それぞれの
役割がイマイチよく分からないので、ちょっとぴんと
来なかったりする。

まぁ、細かいことはいいんだけどさ。
多分ここは美しい友情を鑑賞するところなんだろう
から。

最後は「登場人物がライブをやった」という設定で
歌&踊りになるんだが、役者の技術差がくっきりで、
それなりにキビシイ人もいた。
でも、ま、ダンス見に来たわけじゃないし。
歌聞きに来たわけじゃないし。

といいたくなるような舞台でした。
(どういう舞台)

『bambino.3 &+』
~バンビーノ・トゥレ・アンド・プラス~←読めない
8/19~8/30/09
シアターサンモール

2009年9月 2日 (水)

サダオのサダメ~新たな旅路~(その2)。

スミマセン、やたら長くなっちゃったんで分けました。
本文が短くてしょぼいんですが、どうかお許しを。
お詫びといっては何ですが、おうさまの顔なんかつけて
みます。
意味ないけど。

Dontaskme

Waiting

続きを読む "サダオのサダメ~新たな旅路~(その2)。" »

2009年9月 1日 (火)

寸評・「サダオのサダメ~新たな旅路~」

1を見たから2も見ました。
で、感想は……
一応、公演が終わるまでupするのを待っていた。

……とくれば、もうお分かりですね。
これはイカンだろうと思ったので、以下書きます。
見て楽しかった方、本作がお好きな方はこの先を
ご覧にならない方がよろしいかと。

あ、ちなみに。
それなりに笑えるし役者は嵌まってたし、おそらく
書き手に悪気がないのも分かる。
見てる間、楽しまなかったとは言いません。
逆に、「こういう脚本で楽しめちゃうところがイヤだ」
というか。
そうそう、文句があるのは、ひたすら脚本に対してで
あります。

サダオのサダメ~新たな旅路~
シアターグリーン
8/19~8/25/09

続きを読む "寸評・「サダオのサダメ~新たな旅路~」" »

2009年8月27日 (木)

寸評・「ハッシャ・バイ」

普段あまりなじみのない鴻上作品を見た。
ちなみに、第三舞台はリアルタイムで見ていない。
なんで、比較も何も出来ない訳だが。

母をめぐる物語である。
毎晩同じ夢を見る女性が、夢の中の景色を探すために
探偵を雇う。
彼らは夢の中の砂浜を捜し求め、やがてある写真にたどり着く。
それは一世を風靡し、今は精神疾患を患う超能力者が「念写」
したものだった。
とまぁそういう感じの話なのだが、繰り返し出てくる
キーワードは「母親」である。
そもそもの発端は、「入院先でこん睡状態にある母親を
見守る息子が、彼女の見る夢を追おうとする」だし。
(ちょっと忘れてたけどね、見てる間……)

正直、論じるほどには理解できてないと思うのだが、劇場で
思ったことをいくつか。

・上手い、とても上手い学校演劇を見てるみたいだ。
・シュールと演劇はよく似合う。
・ドアの使い方は面白い。
・でも映像を使うのはどーなんだ。
・「母の圧力」はよく分かるが、その一方で、「こんな風に
いわれるなら割に合わない、母親なんかやってらんねーよな」
(自分、母親じゃないが)とも思う。
・初演当時の精神病棟のイメージはこんなだったんだろうか。
ちょっと引く。
・ギャグで笑えないのは、演ってる方も気の毒だけど、客席
だって辛いさ。

もしやこれは暗喩か?伏線か?などと思いながら台詞を追い、
動きを追った。
脳みその、いつも使わない部分を使った感じだ。
(いつもそんなに使ってないが……)

「ハッシャ・バイ」
座・高円寺1
8/7~8/23/09

2009年8月26日 (水)

寸評・ピースリーディング「遠くの戦争~日本のお母さん」

すごく遅くなってしまってスミマセン。

この季節は忙しい。
恒例、といっても去年初めて参加したわけだが、「非戦を
選ぶ演劇人の会」主催の朗読劇、今年も見てきました。
(聞いてきた、か)

去年はリーディングといいつつそれなりに演劇だったが、
今年は本当に朗読であった。

今年のテーマはパレスチナと日本。
パレスチナ難民キャンプに暮らす少年と、彼を援助している
日本人女性の文通を通して、まったく違うように見える
(そして、ある意味本当に違う)パレスチナと日本は、実は
同じぐらい閉塞状態にあるのではないか、という内容に
なっている。
ちなみにタイトル「日本のお母さん」は、少年から女性への
呼びかけの言葉である。

長く戦時下にあって、若者が希望を持てなくなっている
パレスチナ。
そして「平和で豊か」だと思われている日本が抱える
派遣切り、不当労働、戦争ビジネス、自殺者の問題等々。
でてきたトピックは一応どれも「知って」はいたけれども、
具体的な数値まで押さえてたわけではないので、改めて
見せられると、問題の深刻さに愕然とする。

「幸福は似たり寄ったりだけど、不幸は千差万別」と
いったのは誰だっけ……
不幸の度合いを比較することは出来ない。
傍からどう見えようと、当事者にとっての真実だけが、
不幸の大小を規定する。
だから、べき論を振り回したりしないで、目の前の問題を
一つ一つ考えていくより他ないんだろうなぁ。

印象に残る台詞は沢山あったのだけれども、
「徴兵制など必要ない、経済格差が広がれば、底辺に
いる人間は自発的に戦場へ向かってくれる(大意)」
というのは、ホントにヤバイなと思った。

色んな問題が、色んな形で起こっている。
関連してないように見えて実は根っこで繋がっている。
しかも、その繋がりは見えにくかったりする。

目は大きく見開いておかないとイカンね。

2部のインタビューでは、リーディングに登場した
ジャーナリストの土井さんが登場。
現場にいた人が見て感動した、といってくれたことが
とても嬉しかったなり。
好きな役者がこの企画に多数参加しているということも、
満席御礼だったのも、時間が20分もオーバーしたのに
会場内が熱く盛り上がったことも嬉しい。
(但し、映画の抜粋15分は長すぎたと思う。もっと話を
聞きたかった)
って、別にけらいは関係者でも何でもない、ただの
一観客だが。

来年もまた行きます(宣言)。

8/17~8/18/09
全労済スペースゼロ

2009年8月21日 (金)

急いで寸評「ダンス・オヴ・ヴァンパイア」

イヤ、噂には聞いてたんですが……
これ、ホントにコメディだったんですね。
笑える場面もある舞台、じゃなくて。
全編お馬鹿ミュージカルだったんですね。
ロマンスがロマンティックでも素敵でもないのは
そういう訳だったのか……
登場人物が待たしてもチャンスを見逃すのは、
もちろんそこで話が終わってしまったらつまらんから
だが、それ以上に「真面目に戦わせる気が(作り手に)
ないんだね」だったからなのか。

いつシリアスな展開になるのかと思って見ていたら、
カーテンコールに突入していた(笑)。

これだけ歌える面子、踊れる面子を揃えて、こんな
たわいもない話を……

楽しいじゃないか。

バカをやるなら全力で。
素敵だ。

それにしても、吸血鬼もの見るといつも思うのだが、
みんなが吸血鬼化しちゃったらゴハンはどうなる
んだろう?
(そういう話が新井素子の小説にあったような……)
退屈もそうだろうが、それ以上に重要な問題だよね?

帝劇ロングランミュージカルの常で、客席には
リピーターが多いので、お約束が色々定まって
いるらしい。
劇場慣れしているつもりだったが、リズムに
乗り切れず、口惜しい思いをしました。
カーテンコールでは踊らにゃならんし、なかなかに
大変である。
終わったら大汗。

でも楽しかったっすよ。祭に参加した気分。

個人的びっくり。
主人公の伯爵が、フィナーレで歌わない!踊らない!
宝塚に慣れた目にはあり得ない事態。
いやはや。

ダンス・オブ・ヴァンパイア
7/5~8/26/09
帝国劇場

2009年8月20日 (木)

急いで寸評「齋藤幸子」

もんじゃの街・月島を舞台に、字画的に最悪の名前を
持つ勘違い甚だしい美女・齋藤幸子の12年を描く
人情劇である。
笑ってちょっと泣けてすっきり、という。

どこに行かなくても、全部ここにある、という古里を
持つ人は幸いである。
世界狭いな、とも思ったけどさ(ぼそ)。
だって12年、ほとんど顔ぶれが変わらないんだよ。
舞台だから当たり前だけどね。

家族やらご近所やらが出てくると、大体1人2人は
「あの人いてもいいけどいなくても別にねぇ」な
キャラがでてしまうものだが、この話にそんなヤツは
存在していない。
緩く見えて、きっちり出来てるんだよなぁ、と思う。

ホントに些細なことが大騒ぎになったり、すごく
深刻な話なのになあなあで終わってしまったり、
ちょっと待ち給えキミタチ!といいたくもなるのだが、
奇妙で愉快な人たちを見ていると、真面目になっても
しゃあないなこりゃ、という気になる。
でもやっぱ毒ガエルで人生変わるって変だと思うけど……

キャストもみんな嵌ってたし、セットも懐かしくて
(下町に住んだことはないが)←適当いうなよ!
なんだか温かい気持ちになってしまうのだよね。
ソースやソーダが慕わしい、といいつつ、炭酸は飲めず、
もんじゃでは満腹感を得られない大食らいのけらいである。
(なんだそれ)

どうでもいい追記。
劇場では滅多に見られない光景、
女性用トイレより男性用トイレの列が長い(しかも
遙かに)!!!
のにびっくり仰天である。
いやはや、ル・テアトルでこんなの初めて見た。
男性諸君は用心召され。休憩は15分ですよん。

パルコ・プロデュース 「斎藤幸子」
8/14~8/30/09
銀座ル・テアトル劇場

2009年8月19日 (水)

急いで寸評「リカ」

第2回ホラーサスペンス大賞大賞受賞作品の舞台化
なのだそうだ。

けらい、ホラーは嫌いである。
映像も文字も、極力見ない。
じゃあ何で見に行ったのかといえば、贔屓の役者が
出ていたことと、「原作は怖いが、舞台版は大丈夫」
というガセネタを掴まされたからであった。

先に見た愉美さんから「怖い!!」という情報を
得て、欺されたことに気づく。

……だがもうチケットは買ってしまった。
そしてけらいは貧乏(症)。

買ったからには見なければ、と思って出かける。

結論。
確かに怖いが、まぁ平気だった。
(案外見慣れた世界だった)

「平凡なサラリーマンが軽い気持ちで出会い系に
登録、いい感じの若い娘を引っかけたと思いきや、
相手は尋常ならざる力を持つストーカーで、主人公を
どんどんおいつめていく」というのがあらすじである。

うーん。
公演は終わってるし小説は売れているようだし、
いいような気もするけど、やっぱりこれから読む人の
ために伏せておこう。

というか、最近知った技を使ってみたくなったのだ。

ネタバレOKな方は、続きをどうぞ。
(あ、でも肝をばらしたりはしません。ネタバレに
つながるかも知れない、程度の書き方をしてます、
一応)

「リカ」
8/7~8/16/09 
ウエストエンドスタジオ

続きを読む "急いで寸評「リカ」" »

2009年8月17日 (月)

急いで寸評・「兄おとうと」

兄・吉野作造は「民本主義」を唱えた学者で、大正
デモクラシーの立役者。
その実弟・信次は国家と現政権を強く信奉する高級官僚。
実の兄弟でありながら、その政見はまったく正反対である。
決して互いが嫌いなわけではないのに、会えば揉めずには
いられない。
しかもこの兄弟の配偶者がこれまた実の姉妹。
こちらはやたらと仲がいい。
そんなことってあるんだろうか……

ピアノの生演奏にのって、総勢6人が歌い踊る。
上演時間3時間と聞いてひえーと思ったが、気づいたら
幕が下りていた。
全然長さを感じさせなかった。
あ、ちょっと訂正。
同じ曲が繰り返し歌われるので、時と場合によっては
「いくら何でももういいよ!」と思った。
天津ソングなんかすっかりクセになってしまって参った。
1回しか見てないのに。
でも、「長い芝居だなぁ」とはちっとも思わなかった
んだよね。
「別の曲にしようよ……」とは思ったけど。
出演者も皆役に合っててチャーミングだった。

エリートで高級官僚で頭固いクセに女好きな信次は
兄作造と比べて明らかに不利な役どころであるが、彼の
理論にも(支持するかどうかは別として)それなりに
理はあるハズなのだから、多少は「ナルホド」と思わせる
場面があってもよかったのではないかと思う。
バランスも取れるし。

それなりにしんどい設定をふんわりと柔らかく見せる、
でもベタベタ甘くはならないところがいいなぁ。
憲法や国家について、政治について、普段から真面目に
考えることは正直ない訳だが、それらが自分の生活に
直結しているものなのだということを、こういう芝居を
見ると改めて思い出す。

「三度のゴハン~」は確かにとても印象的な名台詞
だけど、けらいが感じ入ったのはもっと前、「なぜ?」
である。
(スミマセン正確に覚えてません感じ入ったクセに)

正直、ファッショナブルではなく、若者には分からん
良さかも知れない(けらいですら客席では若い方で
あった……えらいこっちゃ)舞台ではあったが、こういう
芝居は多くの人に見て貰いたいなぁと切に思う。

こまつ座 「兄おとうと」
紀伊國屋サザンシアター
2009/7/31~2009/8/16

2009年8月16日 (日)

急いで寸評「オペラ・ド・マランドロ」

ブレヒト「三文オペラ」のリオデジャネイロ版である。

時は1941年。ブラジル政府がナチスドイツ支持を表明した
頃、リオの街でたくましく生きる無頼漢と、彼を愛する
女達の物語である。

えっと、
元の話では、主人公のワルに絡む女が3人いる。
彼と結婚する若い娘がポーリー、
彼の子供を身ごもる女がルーシー、
長年つきあった彼を裏切る女がジェニー。

今回のこの公演では、結婚するのがルー、
妊娠中なのがマルゴ、
裏切るのは女じゃなくて男なんだけど、これはジェニ、
で変わらず。
ルー、といわれるとどうしてもルーシーかと思って
しまって、でも彼女はルーシーの役どころじゃないので
なんか違和感がある。
ジェニーはジェニで同じだしさ。
まぁ、いいんだけど。
いっそ全然違う名前にしてくれたら分かり易かった
のに。

この四角関係に悪徳警官、キャバレー経営者と店の
女達、詐欺師や密貿易人が絡む。
皆一筋縄ではいかない辺りが面白い。

原作では主人公は処刑されそうになったところを
うまく助かるが、本作ではその辺はうやむやな感じに
なっている。
劇中劇の枠組みは必要だったのか、ちょっと疑問。
それと、場面によってはもっとテンポよく進めた
方がいいのになぁと思うところもあった。
(労働組合を作れ!のところとか。そこに至るまでが
長いよー)

ともかくいいのは曲。
元々ラテンっぽいのは好きなので評価が甘めだが、
歌い手がほとんど(一部例外アリ)達者だったことも
合って、楽しめた。

白いスーツのダンスシーンや階段の使い方が、
たいそう宝塚的であった。
それもそのはず、演出家は元宝塚の荻田浩一である。
かつてスーツでキザって踊るのは男役の専売特許で
本物の男性にはとてもとても……だったたが、こういう
スカした踊りが出来てしまう日本男子が現れたんだなぁ、
と、感慨深いものがあった。
そして同じような感じなのに衣装のセンスが遙かに
いいのも……てか、宝塚の衣装のセンスはちょっと
何とかならんのか!
悪党や娼婦を描いていながらやや上品目、というのも
いかにも宝塚っぽい。
(悪漢も娼婦も宝塚の頻出アイテムである。ご覧に
ならない方にはぴんと来ないかもしれないが)
最後のサンバは要らないだろうと思うけどな。

キャバレー経営者夫婦を演じた小林勝也と守けあきが
面白かった-!
石井一孝の汚職警官、田中ロウマのカマっぷりも
素晴らしかったし、マルシアの歌(後日クセになった)、
悪党仲間のD☆Dもとてもよかった。
ただ、主役マックスを演じた別所哲也があまり役柄に
似合って見えず、ワルぶっているのが痛々しかった
ことと、ルー役の石川梨華が強烈に歌えなかった
のがとても残念。

7/25~8/2/09
東京芸術劇場中ホール

2009年8月15日 (土)

急いで寸評「マクベス」

ご無沙汰でございます。
記事を書けない間にブログネタも溜まっておりました。
さくさく参ります。

まずは15周年おめでとう・子供のためのシェイクスピア
シリーズ「マクベス」
4大悲劇の一つを総勢8名でやってしまおうという企画
である。

この公演は、「真面目で有能な男の転落」を描いている
ように思える。
そして面白いのは、マクベスを転落させる3つの存在、
すなわち
・魔女      野望に火をつける
・マクベス夫人  野望の後押しをする
・マクダフ    マクベスの命を奪う
を同じ人物が演じているということ。

マクベスを滅ぼしたのは、結局のところ何だったのか。
当然のことながら、運命や周囲の声ではないと思う。
彼の中の何か……ぱっといい言葉が思いつかないの
だが……
多分、マクベスは自分が有能であることを知っていて、
その力を目の前の事態(=ダンカン王の命令)に対処
するためだけに使っていたのだと思う。
別の使い方も出来る、ということにうっかり気づいて
しまった時点で、歯車が狂いだした。
「可能である」、と、「実際に行える」、というのは
別の次元の話だからなぁ。
マクベスは有能だけど、力の使い方は正しくなかった。
適材適所とはよく言われる言葉だけれども、誰に
どんな能力があるのか、見極めるのは存外難しい。

あとは……
3人の魔女+ヘカテが面白い。
(見た目怖かったけどな……)
「きれいは穢い」が「いいは悪い」になっていて、
いいたいことは分かるし別にいいんだけど何で変えた
んだろう?とは思った。

王子ドヌルベインとバンクォーの息子フリーアンスと
いう2人の少年役を同じ人が演じたのは、お子様には
多少分かりづらかったようであるが、全体的な
話の流れがスムーズで、見ていてナルホドと思える
芝居だったと思う。

何でお子様かといえば、今回近くの席にお子様&引率の
大人(複数)の集団がいたからである。
以前、このシリーズを見に来ていた親子が途中で飽きて
親はケータイ、子はゲームをいじりだし、大変不愉快で
あったことを書いた。
でも、今回のお子様達はとても熱心に見て、楽しんで
いたようだった。
前回の親子がハズレで今回の子供達はアタリ、という
ことも、もちろんあるだろう。
が、それだけではないように思う。
前回の会場は東京グローブ座2階だったのである。
あの劇場の2,3階席は、ぶっちゃけ「これで金を取る
気なのかコラ」といいたくなるぐらい見づらい。
(正直、会場がグローブ座と聞いただけで見る気が
かなりなくなる)
サザンシアターは、後方席であってもとても見やすい。
これは、とても大きなファクターではないかと思う。

ということで、今後は是非グローブ座以外でやって
いただきたいものであります。

7月18日(土)~7月26日(日) 紀伊國屋サザンシアター 

2009年7月28日 (火)

寸評・Sunday in the Park with George

カタカナで長々英語タイトル打つのには抵抗が……

見てきました。
実はちょっと前のことなんだが、なかなか書く時間がなくて。

出演者目当てで見に行ったので、作品の中身はあまり
よく知らなかった。
とはいえ、ブロードウェイで上演された時にはそれなりに
話題になった(と、思う)ので、多少は聞きかじって
おった。
事前に聞いていたのは、

1 点描で知られるジョルジュ・スーラの絵をモチーフに
していること。
ゆえに、美術セットがショボイと哀しい仕上がりになる、
ということ。

2 ソンドハイムの曲がやたらめったら難しい、ということ。

以上2点。

で。
1について言えば、結構いい感じに出来ていたのでは
ないかと思う。
真っ白な舞台にぱぁっと色が付くところは、予測される
事態ではあったが美しくてわくわくする。

2は……
確かにどえりゃあ難しい曲だった。
Sunday~♪ ってヤツ以外は全然頭に残らなかった。
(覚えてられると思うなんて厚かましいよけらい……)
出演者は歌える人が多かったのであっちゃーな出来には
なっていなかったけれども、あれ?今のは??と思った
ところは、正直あった。

内容はというと、
1幕目はジョルジュ・スーラの、
2幕目はスーラの曾孫に当たるジョージの物語だった。
但し、史実に基づいたものではなく、あくまで絵に
インスパイアされた作品なのだそうだ。
スーラの生涯についてはこれっぽっちも知識がない
のだが。スミマセン。

1幕目はありがちな「芸術家、現実世界に適応出来ず」
(全然違うけど「炎の人」のゴッホみてぇだな、と思って
たら、周りで結構な人数が同じ事を言っていたので、
「みんな同じもん見てるんだなぁ」と思った次第)
2幕目はビジネスと不可分になった現代アートの話
であった。
2人のジョージを石丸幹二が演じるのだが、彼の
見事な好青年っぷりが、キャラクターのダメさや
イヤな面を緩和していたように思う。

で。
すごく正直に書く。

2時間40分もかけてやるような話じゃないよね、これ。

複雑な曲を歌いこなすキャストはすごいと思うし、
聴き応えがあったのも確かなのだけど、

でも、そんな大したドラマじゃないじゃん。

それともう一つ。
ヒロインにあたるスーラの恋人ドットを演じた
戸田恵子は、いい女優だと思う。
上手いし、魅力もある。
でも、ドットは10年前にやって欲しかった。
上昇志向だけど根は善良な若い女を演るには、
戸田恵子はベテラン過ぎると思う。
ドレスもあんま似合わないし。
2幕目のばあちゃんはめっちゃ可愛かったんだ
けどな。

いい音楽を聴いたと思った。
でも、この舞台がミュージカルとして「面白い」
のかどうか、よく分からない。

PARCO劇場
7/5~8/9/09

2009年7月21日 (火)

また遅くなりましたが・寸評「プライベート・アイズ」

高校の校舎が取り壊されると聞いて25年ぶりに
集まった演劇部のOB、OGが、思い出の講堂で
昔話に花を咲かせる。
そのうちの1人、主人公もひっそり思い出して
いた。
自分がゲイであることにうっすら気づきつつ、
自覚しきれない高校生だったことを。

コメディである。
濃い人がやたらと出てきて笑わせられる。
(特に両親&アングラ劇団コンビのアホらしさ
にはヤラレタ)
困ったヤツはたくさんいるが、本当にイヤな
ヤツは1人もいない。
その代わり、物語はドラマのようにはカッコ
よく進まない。
期待してがっかりしたり、混乱したり、上手く
いかない自分がイヤになってしまったり、
つまり、誰もが抱くような思いが様々に描かれる。
しんどいシーンもあるはあるのだが、見終わった
あと、なんだか優しい気持ちになれるような話
だった。
セットを使わず、8脚の椅子を動かすだけで
空間を作るというアイディアも面白い。

25年前。
携帯もパソコンもCDもない80年代の高校生活
……にしてはところどころ現代語だったような
気もしないではないが、そこはまぁよしとして。

部活で盛り上がった記憶もないし、劇的な
レンアイ沙汰があったわけでもなく、主人公の
ようにもてた記憶もなく、リンクする部分は
個人的にはほとんどない。
てか、高校生活の記憶がイマイチはっきり
しないというか……
池波正太郎は食事のメモを見ただけでその日
あったことを思い出せたということだが、
けらいは少し前の日記読んでも何のことかよく
思い出せないことが多い。
(でも日記はつけている)。
じゃあ昔のことは覚えているかというと、これ
また日々揮発しつつある。

主人公はここまでダメダメではなく(アタリマエ)、
大切なことを忘れていた自分に気づき、謝罪し、
手を握る。

多分、些細なことが積み重なって今があって、
忘れたように思えることもみんなどこかに
大事にしまい込まれているんだよなぁ、などと
思ってみたりした。

物忘れの言い訳ではありません。

劇団フライングステージ「プライベート・アイズ」
7/9~7/20/09
下北沢OFF・OFFシアター

2009年7月16日 (木)

寸評・7月歌舞伎座(昼の部)(その2)

次は「海神別荘」。
楽しみにしていた猿弥の沖の僧都が休演したのには
びっくりしたが。
代役の猿三郎も頑張っていて、客席で手に汗握って
応援しておりましたです。
台詞多いのによくやっていたと思う。
お疲れ様でした。

で。
文章の美しさがウリの泉鏡花はあんまり舞台向き
じゃないと個人的には思うが(本作は戯曲だけど、
上演するというより「読む」ための戯曲であるよう
に思う)、最初に見たときの冗長さはずいぶん
なくなり、楽しむことが出来たです。
って、こっちが慣れただけなんだろうか。
スクリーン使用もやりすぎてなかったし、転換も
スムーズでよろしかった。
前はすごろくの場面なんかで気を失いそうになった
もんだが……

出演者もずいぶんこなれてきたというか。
女房の笑三郎、博士の門之助などなど。
主演との年齢、キャリアの差を感じさせない舞台
だった。
腰元たちが脇で小芝居してたのも、歌舞伎では
見られない姿でよかったな。
みんななかなかに女子だった……

そしてなにより公子・海老蔵の、見事な若王っぷり。
獰猛なのにまっすぐで、品よく美しい。
多分、これは彼を鑑賞するための芝居なのだろう。

それに比べると、若く美しく見栄っ張りで思慮の
ない美女役に玉三郎というのは、年齢だけじゃなくて
無理があるように思う。
いや、大和屋はキレイだし存在感もあると思うよ。
鏡花世界にも合うと思うよ。
でも、若い頃であっても、美女のキャラにはあまり
はまらないように思うんだよな~。
(むしろ舞台には登場しない「弟思いだけどちょっと
イケズなお姉上」の方が合いそうな……)

Countdown

カウントダウンやってます。
(あ、とっくに既出?)

7月大歌舞伎
7/3~7/27/09
歌舞伎座

2009年7月15日 (水)

寸評・7月歌舞伎座(昼の部)

さよなら歌舞伎座企画はどーも既視感ありありでイカン。
前見たモンはもう見ないぞ。
……等と思っているわけではあるが、そこはそれ、
諸般の事情で観劇である。

「五重塔」
腕はいいがのろまな一職人が、棟梁を押しのけて
五重塔を建てる話である。
原作は遥か昔に読んだきりでカケラも覚えていないので
(スミマセン……)今回の芝居だけの感想を書くが。

主役、ダメだろ。

ガンコである、融通が利かないということは、ある意味
ワガママだということでもある。
自分はこうしたいんだ周りが合わせろ、ってことだからね。
ワガママを認めてもらうためには、それなりのスキルがいる。
手練手管でうんと言わせるとかそういうことではなくて。
「なるほどコイツのワガママなら仕方ない」と相手に
思わせる何かがないとイカンということだ。
人は一人で生きてるわけじゃないし、夢も一人でかなえる
ものではない。
まして、大工仕事は共同作業である。
手前の腕がどれほどよくたって、それだけでは仕事に
なるまい。

「のろまで字も読めない」から職人がバカにする、という
ことはないと思うよ。
丁寧なのもしつこいのも、理由や目的が分かれば納得し、
そこまでする主人公を尊敬もしよう。
職人だってプロなんだから。
度重なるやり直しに皆が切れるのは、「納得いかない
んだから仕方ない」と思ってるのが本人だけだからで
あり、中身がどうでもいいこだわりだからだと思う。

勘太郎は真面目に演じているけれども、ただ頭が固い
だけに見えてイマイチ愛嬌が感じられず、なんで
周りがああまで彼のために尽くすのかさっぱり理解
できない。
ちなみにけらい、勘太郎はどっちかっていうと贔屓
なんでありますよ。
なぜヤツが五重塔を、と憤る棟梁の妻(吉弥)や
若い職人(巳之助)のいうことはもっともだと思って
しまう。
ってのはやっぱりイカンだろ。
棟梁(獅童)や妻(春猿)はよかったのにねぇ。
獅童、歌舞伎じゃなきゃいいんだけどねぇ。
残念。

長くなったので、泉鏡花は別途。

2009年7月13日 (月)

寸評・「ダーティー・マネー」

金がないのは首のないのと同じこっちゃ。
なんて台詞が近松にあるが、金はありゃいいってもんでも
ないようで……
金をあり余るほど持っている人間に限って、金のために
家族の命を狙ったりする。

元ブンヤ、今は売れない小説家(これってホントよくある
パターン)のタイロン・パワーが、うっかり金持ち連中の
陰謀に巻き込まれてしまう、というのが大まかな筋。

アル中でシニカルな主人公は、ああ言えばこう言い、会話の
相手をキレさせるような男である。
こういうちゃらんぽらんな主役は、後半では友情や大儀の
ために「本気」になって戦う、というのが定番パターンだが、
本作はあくまでB級探偵もの仕立てなので、そういうクサい
展開にはならない。
相棒志願の貧乏学生、金持ち美人姉妹、警察、殺し屋。
登場するのはいずれも曲者ぞろいで、物語も決してハッピー
エンドじゃないんだけど、でも、後味は悪くないんだよね。
親友、可哀想なのに……
札束まみれのラストシーンがいいなぁ。

あと、新聞紙を使ったセット、噂には聞いていたのだが、
面白い発想だし雰囲気出てると思った。
金魚鉢の上にぶら下がってる……なんていうんだろ、拡大鏡?
真面目な場面なのにちょっとだけ笑えたり。
でもおかしすぎない。

イカンのは美人姉妹の衣装だよ。
ハイソな人たちとは思えんかった。
貧乏暮らしをしているという人たちもさほど小汚くはない
(当然だわな)んだし、ただでも日本じゃ「階級差」が
見えづらいのだから、「異世界に住む人々の遭遇」で
あることを、はっきりした形で示して欲しかったなり。

7/1~7/5/09
銀座みゆき館
エライ今更でスミマセン。

2009年7月10日 (金)

寸評・「似世物小屋」

手紙を握りしめた郵便配達人が道に迷う。
歩くうちに長い長い行列にぶつかる。
並ぶ人は皆希望と目的を持っている。
だが、これが何の行列なのか、誰も知らなかった……

初めて北村想作品を見た時のことを思いだした。
物語は架空の場所で唐突に始まり、唐突に終わる。
でも見終わった後は何となく何かを伝えられた気になる。
具体的なメッセージはないのにね。
個々の会話はきわめて日常的なのに、設定はシュール。
誰かが喋るたびに「いるよこーゆーヤツ」と思って
笑えるんだが、ホントはこんな状況あり得ない。

結局のところ、謎はちっとも明かされない。
なぜエルビス?
マリリン?
リー?
なぜ手紙?
なぜヒゲ??
尾行の件は?
浮気は?

でも、それが不完全燃焼感にはつながらない。
何か腑に落ちるというのかな。
まぁいっか、という気になる。
何でだろう。不思議だ。

偽物と本物が次々に現れる。
多分、ほとんどが偽物だったと思うのだが。
じゃあホンモノってなんだ?
名前がついてりゃホンモノなのか?
偽物って一体何だ?

服の山と共に転換するというアイディアは面白い
と思った。
あと、出演者のパワフルなところも。
よくあんなハイテンション保ってられるよなー。
すごいなー。
叫ぶシーンが多いので、前方席で見てたらちと
疲れたが。

普段あまり見ないタイプの芝居なので、なかなか
興味深かったです。

7/1~7/5/09
南河内万歳一座「似世物小屋」
ザ・スズナリ

2009年7月 8日 (水)

「ふうふうの神様」続き

一人息子を失った若い夫婦の話で、初めはなにやら
状況が見えにくいのだが、糸がほどけるように
分かってくる。
でもって、分かるんだけど、すべてがクリアになる
訳ではない。
観客の解釈に任せる部分があるというか。
その辺が面白い。

心底腹立たしいガキどもの姿とか、皆の「欠如」
の象徴とか、描き方によっては引っかかりになる
だろう素材が、すんなり描かれている点もすごいと
思う。
描き手の良識というか、人としての質が現れて
いるんだと思うよ。
や、ホントにね。
世界のマイナス面は確かに存在する訳で、それを
フィクションで取り上げることには何ら問題がない
が、やりようによっちゃ作品が浅薄なものになった
り、書き手のダメさが明白になってしまったりする
と思うんだよね。

ギャグは微妙だったが……
昔の歌謡曲にもちとびっくりしたが……
母親の思いのつまったリュックサックに泣かされた
ので、細かいことはいいです。許す。←エラソウ。

ただ、ひとつ気になっているのが、「結局のところ、
全ての始まりであるはずの妻の記憶は何だったのか」
ということ。
あれがないと、そもそも村にたどり着けないよね?
でも、ホントのところは……ねぇ?

2009年7月 7日 (火)

寸評・「ふうふうの神様」

これまた書いてる間に公演が終わってしまった……
困ったもんである。

劇団桟敷童子公演@スズナリである。

「神隠し」の物語である。
同じテーマの芝居は過去にもあったようだが、けらいは
前回公演が初見なので比較は出来ない。

いつの話なのか分かりにくい(おおよその見当はつく)
が、高度成長期ぐらい?
伝説や風習が迷信と切り捨てられてしまうようになった
頃の「神隠し」。
時代劇じゃないのもやるのかと正直びっくりした。
(前回侍ものだったからね)

ストーリーは前作より面白かったと思う。
前回も楽しめたが、弱いものがさらに弱いものを虐げる、
という話だったので、ラストはおおよそ見当がついた。
ありきたりだって話じゃなくてね。
芝居で表現される物語として、この展開なら最後は
こっちの方向だろう、でなきゃ観客納得せんだろう、と
いうものは、確かに存在すると思う。
事実であればどんな風に展開してもおかしくはないの
だろうが、フィクションの場合は「押さえて欲しいツボ」
を押さえた方が絶対面白いわけで。
そのツボが見えやすいものとそうでないものはあって、
「黄金の猿」は前者であったと。
うう、話がそれてきた……
つまり、今回の作品の方が、最後どこにオチるかが
見えにくかったのだ。
いい意味でね。
現代社会批判が声高でなく盛り込まれているのもいい
感じである。

セットは派手だが、前回ベニサン公演ほど大掛かり
ではない。
(前回との比較ばかりで申し訳ないが、なにぶん前回
しか見てないもんで)
大掛かりなセットは確かにすごいと思うが、必ずしも
必要ではないだろう。
一歩間違えたらこけおどしになるもんな。
今回は適量であったように思う。
スズナリの舞台がかなり奥行きあるように見えた。
さすがに運動会のシーンはちときつそうだったが。

あれれ、何か長い。
続きます。

2009年7月 5日 (日)

「ユーリンタウン」続き。

えーと。
宮本亜門版は見ていないので分からないが、今回に
関して言えば、ミュージカル云々より、ブラックな
笑いは苦手だという人の方が楽しめないかもしれん。
途中で狂言回しの警官が余計なことをべらべら喋る
のも、イヤな人にはイヤだろう。
個人的には楽しめたけど。
ポピュラーなミュージカルのパロディになっている、と
チラシにあったが、あいにくそちらは分からなかった。
一応ロミオとジュリエット(ミュージカルで言えば
「ウエストサイドストーリー」だな)にはなってるが、
全っ然趣違うし。

で、話ね。
昭和40年代まで汲取トイレが使われてた日本では、多分
こういう物語は生まれてこないだろうと思う。
だいたい、水が潤沢にある日本では「乾き」の脅威が
なかなか分かりにくいやね。
欧米のトイレは19世紀にはおおまかにいって水洗化していて、
人糞は利用されておらず基本的にゴミとして扱われていた……
んだよね。
人類は皆同じというけど、個々の事象に対する感じ方は地域
時代文化によって異なるものだ、と、改めて思ってみたりする。

用足しが有料、という設定と、ユーリンタウンは実は……
というアイディアが面白いと思う。
利用料の値上げはねー、
「払えるヤツがいなくなったら意味ないじゃん」と思ったが。
あと、最後の方で娘の理想より父の現実主義、というような
台詞があったが、結局最後はなくなるんだったら、「どっち
だって同じ」というのが正解じゃないのかな?

ってことで、話はいいんだよ、話は。
唯一最大の問題は、
主演級の人たちが歌えない!!!
ということだ。
(もちろん、歌える人もいた)
いくらキャラクターイメージに合っていようと、あまりに
音を外されたんじゃ話にならない。
あまりに役のイメージに合ってなくても困るが……
これがミュージカル配役の難しいところ。
逆に、アンサンブルは歌えるけど、人数が多くて声が
でかいので、時に言葉が聞き取れなかったんだよね。
惜しいなぁ。

L字の舞台は公演によって変えられるのだろうか?
けらいの席はとても見やすかったが、「ユーリンタウン行」
シーンは、席によっては見切れてしまったんでは。
ちと心配。

開演前にユーリンタウン祭と称してパフォーマーたちが
登場したり、場内案内を出演者が行ったりと色々な企みが
なされてて面白かったが、席案内で間違えられるのは
ちょっと……
頼むよねーさん。

2009年7月 4日 (土)

ぐずぐず寸評・「ユーリン・タウン」。

どこから始めようかネタバレしてもイカンしなどと
思いながらちんたら書いてたら公演が終わって
しまった……orz
いつもながら、愚図でスミマセン。

深刻な水不足によって極端な節水政策が採られている
ある街の話。
人々は有料トイレの使用を義務付けられており、
立ちションなんて重罪を犯そうものなら「ユーリン
タウン」へ送られることになっていた。
全てのトイレを管理している一大企業UCC(劇中では
ウッシッシと呼ばれる)がトイレの利用料を値上げ、
用を足せなくなった貧乏人たちが反乱を起こす……
というのが大まかな話で。

ミュージカルである。
が、「アングラ・ミュージカル」と銘打っているように、
物語の展開は毒々しく、台詞や歌詞も美々しくなく、
結末までアイロニカルであってカタルシスはない。
エンターテインメントに徹した、いわゆるブロードウェイ
ミュージカルとは趣が異なる。
(とはいえ、やっぱり歌って踊るわけだから、「何で
いきなり歌って踊るんだよ不自然だろ」とおっしゃる
ミュージカル嫌いな方々には向かないと思う)

好みは分かれるだろうが、個人的にはとても面白かった。
まず、ブラックなエンディングに無理がないから。
嫌な終わり方にしてやろうという意図が先にたってない
というか、この展開ならまぁこうなるよな、と納得いく
というか。
話の運びも自然である。
設定は確かに無茶なんだが、必要なシーンがちゃんとある、
といったらいいのかな。
いわゆる名作ミュージカルは、いい曲やダンスナンバーに
誤魔化されて「えっなんでいつの間にそういうことに?!」
と思うことが少なくない。
特に2幕目の後半でびっくりさせられることが多い、ような
気がする。
ぱっと思いつくだけでも、「Sound of music」や「My fair
lady」の恋愛過程、「Kiss me, Kate」のヒロインの変心
理由、「Guys and Dolls」のラストの唐突さ、etc……
「待てよそんな話聞いてねぇぞ!」と思ってしまうと、もう
物語に乗り切れない。いくら曲がよくても。

唐突に歌い踊られてもなんとも思わないけらいであるが、
名作と呼ばれる作品のすっ飛ばし方にはどうしてもなじめない。

でも、本作は見ててちゃんと納得がいったのだ。

……うわ、また長くなってる。
スミマセン、突然続く。

2009年6月27日 (土)

寸評・「新宿パラダイス」

諸般の事情で、東京ギンガ堂の公演を見た。

戦後すぐの新宿東口を舞台にしたご当地劇である。
会場は特設のテントというからどんな感じなのか
楽しみにしていったが、想像してたより遙かに
立派な会場だった……
まぁ、壁がないのでシートを捲ったら新宿の
街が直に見えたりはするが、冷房も効いてるし、
かなり広いし、座席もちゃんと椅子である。
音楽劇なので、登場人物は歌い踊る。
ミュージカルとはどう違うのだろう。
よく分からんが。

新宿東口に闇でないマーケットを開いた仁義の男・
尾津喜之助と、彼を支持する新宿の人々が、
GHQ支配下の日本でたくましく生きる姿が
コミカルに描かれる。
同時に、民族差別や祖国の分裂に悩みながらも
才能を開花させていくいく力道山の姿も描く。

うーん。

尾津と力道山の接点が弱い(関わらない訳では
ない)ので、話の軸が2つにぶれてしまっている
ように思えた。
まぁ要するに、「主役はどっちなんだ?」と。
(新宿そのものだ、といわれそうな気もする)
尾津は別件逮捕で長らく拘束されている(つまり
そんなに出てこない)し、力道山の話は最後が
何だかうやむやだ。
角界に拒まれプロレスラーに転身、アメリカでの
修行を経て帰ってきた彼が口にする「日本」は、
言葉通りの意味だけでは済まないものだと思う
んだが。
彼を思う2人の女性がどうなったのかもよく
分からないしさ。

それともう一つ。
人を褒めるのは難しい。

尾津は皆に慕われるいい男なのだが、観客が
いい男だなぁと思うより先に、他の登場人物が
ともかく尾津を褒めまくってしまうのだ。

周囲がやたら持ち上げると、肝心の本人の
活躍の機会が失われてしまい、「そんなに
言われるほどの人物なのか?」という疑問を
見る側は持つことになる、と思う。
周囲がべた褒めというのは、宝塚のショボイ
脚本でよく使われる手だが、大概白ける
んだよな……

面白い題材なのになぁ。
もったいないと思ったなり。

東京ギンガ堂「新宿パラダイス」
歌舞伎町「大久保公園」内 特設会場
6/19~6/28/09

2009年6月25日 (木)

「炎の人」の続き。

で、芝居の感想。
見終わって思ったのは、
「昔の日本男児は大変だったねえ」
ということだ。
正直。
なんていうかなぁ、自分で自分を縛り付けて
不自由にしている感じがする。

劇中のゴッホは何かというと「ねばならない」を
連発する。
しかも、彼は自分の言葉を実現できない。
彼の頭の中には理想がつまっているのに、現実の
彼は芸術家であって、自分の中にあるものを
表現することしか出来ない。

ネバナラヌ、って不自由でヤな言葉だよなぁ。
人を幸せにしない響きだよね。

当時の若き芸術家はこんな感じだったのだろうか。

批判しているわけではない。
ただ、痛々しくてさ。見てて。

作品と作者はイコールではなく、ゴッホは
三好十郎ではない。
もちろん。
三好十郎作品を見るのも初めてであり、作者に
ついて、実のところまったく知識がない。
あ、年末年始にやってた「その人の名を知らず」
公演のチラシは見た。
見たいと思ったがさすがに行けなかった。
って、どーでもいいですね。
でもイメージがかぶるんだよな。
三好十郎個人ではなく、理想に燃えていた当時の
若者というか……
そんなにきりきりせんでもさ、と。

そしてもうひとつ。
ゴッホのほかにはテオとゴーギャン以外1場面しか
でないと書いた。
ゴッホにとって、他人とはそのぐらいの比重で
しかないのだなと思う。
彼に愛されたはずの女性2人が気の毒になる……

前半がちょっと盛りだくさん過ぎてくたびれるのと、
後半初めのナレーションの着地点が見えないために
いささかダレたのは気に掛かったが、役者陣、特に
主演は大熱演で、有無を言わせぬ迫力があったです。

いつもとちがう頭の回路を使ったというか……
たまにはこういう作品も見ておかないとイカンね、
などと思った。

2009年6月24日 (水)

寸評・「炎の人」(その1)。

天才にして狂気の画家・ゴッホを主人公にした芝居である。

「新劇」といわれる芝居は何度か見ていたが……
いやいやいやいや。
何から書こうかな。

まずは第一印象。
「菊田一夫の『放浪記』に、似てないけど似てる」
「登場人物より作者の印象が強い」
「余白なし」

1つの場面が1つの芝居であって、比較的独立している
というか、前の場面とあとの場面がそれほど密接に関係
していないというか。
「炎の人」の場合、主人公ゴッホとその弟テオ、ゴッホが
唯一尊敬する男ゴーギャン以外は1場面のみの登場人物で
あって、その後の展開に影響を及ぼすことはないんだよね。
なんていうかなぁ。
ぱらぱらしているなぁ、と思って。
「放浪記」(ちなみに、今は亡き芸術座で見た)でも
同じような感想を抱いたのだけれども。
どちらも過去の芸術家を主人公とした芝居で、伝記だから
事実を辿っていくとこういうことになるのかもしれないが、
描かれるのは「ゴッホ」であり「林芙美子」であって
「物語」ではないのかもしれない。

ふたつめ。
作者がゴッホに強い共感を示し、というか既にゴッホと
同化しているように思えてならなかった。
登場するのはフランス人であり、地名もヨーロッパのもの
なのだけれども、見てるうちに「これは大正~昭和の
日本の話で、苦悩する芸術家・ゴッホは日本人なのでは
ないか」と錯覚する。
クラシックな言葉遣いのせい、という気もするのだが。

観劇後、台本も読んだ。
作者である三好十郎の著作権は切れているので、青空
文庫で読むことが出来るのだ。
(ちなみに、ハヤカワの演劇文庫からも出てます)
画面で長い文章を読むのは辛い世代なので、出力した。
ビンボ性なので3段組にしたせいもあるだろう。
が、見てびっくり。
「白い部分がない」
んである。
いや、戯曲は台詞とト書きから成り立つものだから、
下半分は白いページの方が多いだろう、フツー。
それが、字で紙面がいっぱいなのだ。
小説のようである。

確かに、舞台を見た時も、饒舌な人々に圧倒された。
しかしこれは……
見るとさらに圧倒される感じ。

スミマセン、長くなったんで続きます。
全然寸評じゃないし。

2009年6月22日 (月)

ささやかな情報。

しばらく忙しくしてた間も芝居は見てた(汗)ので、
徐々に感想など書いていきたいと思っておるわけですが、
もうちょっと掛かりそうなので、とりあえず。

新しく高円寺に出来た「座・高円寺」2階カフェのパスタ、
美味しかったです。
超猫舌のけらいにはなかなか大変な食べ物でしたが。

2009年6月 3日 (水)

もうひとつ・鴨川ホルモー@吉祥寺シアター

原作のことも出演者も全く知らなかった(スマン)のだが、
「焼肉ドラゴン」の鄭義信が作・演出を担当すると聞いて
いってみた。

京大の新入生が訳も分からず謎のサークル「京大青龍会」
に入ってしまい………という物語で、真面目なサークル
活動が実にバカバカしくてオカシイ。
体張った「鬼語」が見所のひとつ(だと思う)。

奇想天外なのに妙に具体的な青龍会の設定は面白いし、
元気のいい役者たちを見てるのも楽しい。
もちろんディテールは全く違うが、大学生活って
大体こんな雰囲気だったなぁ、今もそんなに変わって
ないんだなぁ、などと、わずかに残る記憶(けらい、
過ぎたことはどんどん忘れる)と照らし合わせて
しみじみしたりもした。

細かいことを言えば、2年に1回しか新人入らないのに
今代表が499代目で、儀式に使われる曲が「レナウン娘」
って計算あわなくないか?等の疑問は残る。
脚本もね……
会長の言葉を疑ってた新人ちゃん達がいつの間にやら
「見えている」どころか「鬼操ってる」ってのは
ナシなんじゃん、とか、サークルのたまり場である
「べろべろばあ」の店長の名前が主人公と同じ安部だ
なんて最後の方でぽろっと言うなよ知らないよ!とか、
まぁ、色々あるわけだが……

コメディにマジでツッコミ入れてもしょうがないし。
楽しめたです。
途中まで。

不覚にも2幕途中まで気づかなかった。

こんな愉快な設定を創り出しておいて、

結局サークル内恋愛の話なんだねこれは?!
(原作は違うかもしれないが)

申し訳ないのだが、けらいは恋愛小説には何ら興味が
ない。
というか、「当人以外の人間にとってはどーでも
いいこと」を描いたフィクションには興味がわかない。
企業内のポスト争いだの不倫ものだのにも、
同じ理由で食指が動かない。

誰が誰を好きで、誰が片思いで、振られて、なんて話、
他人にとっては無意味な情報である。
そりゃね、自分のことじゃなくても、たとえば
知り合いの恋愛みて「ああいうのがタイプか」
「思ったより甲斐性あるんだな」「げっキザ過ぎ」
等と面白がることは可能だ。
が、そんなのは一時の盛り上がりネタレベルの情報で
あって、所詮は些細なことである。

狭い範囲でちまちま繰り広げられるみみっちい話、
フィクションで読んでどーするよ。

本作の主人公も、次が出たらあっさり乗り換える、
程度のレンアイでまぁ騒ぐわ騒ぐわ。
席が前方だったせいもあろうが、最後は
「ええい喧しいっ!」
と、一喝したくなりましたです。

鬼の話で終わってくれたらすごーく楽しめたのに……
この展開なら、別にホルモーじゃなくたって
何だってよかったじゃん。
集団戦であれば、サッカーでもホッケーでも何でもさ。

とまぁ個人的には裏切られた思いだが、楽しい
舞台だったのは確かなので、そこんとこよろしく。

ps
「代替りの儀」最後までやっちゃいますぜ。
(そして「レナウン娘」がクセになって頭の中を
ぐるぐる回る……)

2009年6月 2日 (火)

今度はさくさく・『流れ星』@シアターサンモール

熟年離婚を考えていたヒロインの夫が、突然
この世を去る。
初七日を済ませた妻の下に、いきなり魔法使いが
現れ、4つの願いをかなえてやろうという。
妻は青春の70年代に戻り、歴史を変え、別の男と
結婚して人生やり直そうとする……

と来れば、まぁ結末は想像付く。
ハイ、アタリです。
そんな感じの話。

作・演出・主演の宅間孝行が随分いいとこ持ってく
劇団である。
これまで2作しか見たことないが、いずれも
「最後宅間さんが死んで主演女優が号泣」で
終わるってのはどんなもんかのう。
まぁ、主宰なんだからいっか。
(でも冒頭の夫はもちっとヤなヤツにした方が、
主人公に共感しやすくなると思う。過去と現在で
もう少しキャラに統一感も欲しいところ)

奇妙な人が出てきたり(怪演だ!)、勘違いが
ドタバタを生んだりで笑わせたりもするが、話の
基本には善意や温かさ、リーフレットの表現を
借りれば「本気」な思いが描かれている、と思う。
確かに、家族にはうっかり甘えてしまいがちだし、
言わなくていいことを言ってしまったり、言わないと
いけないことを言えなかったりする。
劇中のシチュエーションはあり得ないにせよ、
共感しやすい芝居ではあると思うんだよね。

ということで楽しめたが、正直言えば、

「人間、超能力持ってるわけじゃないんだから、
いっくら思ってたって伝えなきゃ伝わらないに
決まっておろーが。
先の心配してる暇があったら今、たった今、
目の前にいる人を大事にせんかい。
将来のために金貯めるのとは訳が違うぞ」

と思ったです。

頑張れ日本のお父さん。

ps
70年代の若者は、本当にああいう喋り方をしていた
のだろうか……???

東京セレソンDX『流れ星』@シアターサンモール
2009年5月20日(水)~6月14日(日)
会場:シアターサンモール

2009年6月 1日 (月)

「来年こそは」@紀伊国屋サザンシアター(その3 )

続きね。
例外である主人公の母親は愛すべき老人であるが、
自分の来し方が絶対であるという信念をもったこの
女性が時に妻を傷つけ、苛立たせることもある。

経験は大事だ、もちろん。
そもそもイキモノは経験値を上げることによって
生存競争を生き抜いていくわけだし。
たとえ頭で知ってても、実際自分でやってみないと
わからないことはたくさんある。
何かを経験することで人は変わり、成長も出来る。
と、いうことは充分理解した上で、

経験は、時々恐い。

自分が経験してきたことは、そのまま自分の基盤に
なる。
だから人は信じる。「経験したことなんだから、
確かだ」と。
長く何かをやってきた人ならなおさらだな。
自分はこのことをよく知っていると思う。いや、
実際よく知ってるんだけど。
でも、当然のことながら、「何もかもすべて経験
する」ことは出来ない。
たとえ限られた範囲内であってもね。
当然「経験の枠外」エリアも存在しうる。
また、経験はあくまで「来し方」のことである。
先のことは誰にもわからないわけで、それでも
なんらか判断を下さなきゃならなくて、だからこそ
己の体験を元に考えるわけだが。
経験に自信がある人ほど、「自分が知らないことも
ある」「状況が変わってる可能性もある」ことを
忘れがちである、ような気がする。
自分がこのやり方で成功したんだから、他の人も
出来るはずで、出来ないのは努力が足りないからだ、
とか。
自分がヒットを出した時と同じ事をすれば、また
同じようにいい時代がやってくると思うご高齢の
方(誰とはいわないけど~)とかさ。

いや、別に、劇中の人物が具体的に経験則に
頼ってどうこうするシーンがあるわけじゃない
のだが。
「これからの農業はかくかくしかじか」等の台詞を
聞いていて、何となく思ったんだよね。
人は自分というフィルターを通してしか、世界を
認識できない。
経験にとらわれて見えなくなる、という罠に
はまりたくないと思う。
だってそれってやっぱりオノレを過信してるって
ことだから。

それとは別に(まだ言うのかよ)こうも思う。
「食べる」こと、「食べ物を作る」ことをもっと
大事にせんとイカンよ。
生産者は今以上にリスペクトされにゃ。
安くて楽で、ばっかりいってる場合じゃない!
(そもそも「安くて便利」な食い物って胡散臭いよな)

舞台から限りなく逸れた感想でスミマセン。

色んな事を考えさせられる芝居でありました。

2009年5月31日 (日)

「来年こそは」@紀伊国屋サザンシアター(その2)

テーマはシリアスながら最後は希望を持たせて終わる
タイプの芝居で、泣かせるいいエピソードもある。
だが、何かすっきりしないなぁと思ったのは、
基本的に「男性キャラはだいたいいい方に変化して
清々しいラストを迎えているのに対して、女性キャラは
無変化か、あるいは悪役を振られている」ような
気がしたからだった。
唯一の例外は「おおおばあちゃん」だが、彼女は
主人公の母親だから、普通の女性とは別枠と考えて
いいと思う。
なんたって息子にとって母親は特別だ。

愛すべき頑固者である主人公は一人で頑張ろうと
する(それがしばしば周りに迷惑だったりする)が、
芝居の終わりでは本来の立ち位置に戻ってやり直す
決心をする。
主人公の息子は農業を嫌って都会へ出、ビジネスを
起こし成功した(ちゃんと成功するんだよねこれが)
が、やがて故郷へ戻る決心をする。しかも、かつて
家を出て行った時にはそれなりの理由があったことも
示せ、万々歳となる。
ゲーム三昧のクソガキだった孫は、自然に触れて
劇的に変化し、前向きないい子になる。
(つまり、息子の嫁はマトモなしつけの出来ない女
だったということにもなるわけだが。父親である息子
にも責任はあるハズだが、それは息子自身の変化に
よってうやむやになった感あり)
主人公の甥は過激とも思われた主張が理解され、
叔父である主人公と理解しあう。

一方。
主人公の妻は農場の経営状態をきちんと知らされず、
状況を問えば夫に怒鳴られる。結婚時には仕事を
取り上げられ(彼女は都会育ちらしい)、家計が
苦しくなった今は資格の要らない肉体労働について
丸一日働き、家事が出来ていないと姑に軽くイヤミを
いわれる。
農場を手放したら母が辛い思いをすると大声で語る
夫は、目の前にいる妻の苦労には無頓着である。
(言わなくても分かるって?甘えんなよ)
息子のかつての恋人は外資系企業に勤め、農地を
手放し、農薬を使うことが「利口なやり方」だと
勧める役どころである。
これが主人公の生き方と相反することは言うまでも
ない。
登場すらしない息子の嫁は、農園の全てを嫌い、
ビジネスに熱中して子どもを捨てる鬼のような存在
として描かれる。
あまり出番がなく、ゆえにさほどイヤな部分を
振られていない主人公の妹も、自分は都会生活を
満喫しながら「思い出の場所を手放すなんて」と
兄を批判するような、身勝手で能天気な人物だ。
男性で唯一ぱっとしないのはこの妹の夫だが、彼は
札びら切る都会の男なので、男の中には入らない
のかもしれない。

本戯曲は実際にあったことを元に作られたというし、
現実にもこういうことは多々ある、のだろう、多分。
農場は男の世界だろうし。
でもさ、フィクションでこれはちとナシでない?
男女でこんなにくっきり明暗分かれるってなんなんだ。
でもって、多分男目線で見ると気づかないんだよ。
困ったもんだ。

更に続く。

2009年5月30日 (土)

長くなります「来年こそは」@紀伊国屋サザンシアター

民藝公演を見ました。

3代続いたカナダの農場を舞台にした家族劇である。
農場には今の当主ケンとその妻ヘレン、ケンの母親が
住んでいる。
ケンの息子ロバートは農業を嫌い都会へ出てビジネスを
起こし、成功している。
ケンの妹アグネスもまた都会に暮らし、なかなかに
羽振りがよい。
ケンは銀行の勧めもあって経営拡大を図るが、不況の
ため資金繰りが破綻、農場を手放さなければならなく
なり……という話。

伝統的な農業vs現代的なビジネスとしての農業、
父と息子の確執と和解、
銀行や外国資本の参入に不満を持つ農民の抗議活動、
等々……が描かれる。
20年前のカナダの話なのに、日本の農業にも当てはまる
ところがすごいというか、人間20年間何をしてきたの
だろうというか……

農場の日常が丁寧に描かれるのでいささか長いが、
穏やかで温かい作品であると思う。

思うんだけどね。

これはメインポイントから外れた感想だとわかっては
いるのだが、見終わってまず思ったのは、
1 これじゃ女性はやってられないな
2 経験はある意味毒だ
の2つだった。

長くなるので、順繰りに書いていきたいと思う。

2009年5月17日 (日)

寸評・「相思双愛」

横光利一と重松清の小説を1公演で上演するって
どういうことだ?!と思って見に行った。

確かにその通りだった。
「四十回のまばたき」と「春は馬車に乗って」
が、交互に上演される。
2つの物語は、基本的には絡むことなく進んでいく。
男優2人が両方の物語に登場するし、重なるポイントは
あって対比もしようと思えば出来るけれども、2作品の
つながりはそれほど強くはなく、というか、敢えて
緩くしてるように思われた。
敢えて、ではないのかな?
2作品を交互に、という構成に、それほどの必然性を
感じなかったです。
確かに、設定は重なるし、最後はつながる。
でも、だからって、この構成でなくてもいいんでは?
と、観ながら正直思ったですな。
2つの話を行き来する間、転換に若干待たされたせいも
あるのかもしれんが、「どうしてもこの2つを一緒に
やらにゃイカンのか?」という疑問は消えなかった。

いや、どっちも面白かったわけですよ。
時代も設定も物語展開も何もかも違うのだけれども、
卑怯な男とワガママな女という基本的な構図は同じで、
なるほど恋愛というのはまっこと困った病だ、などと
思った次第。
役者も嵌ってたなあ。
個人的には、病人を演じた女優2人(坂井真紀、辺見
えみり)にツボりました。

1公演2時間休憩なしで2つも芝居が見られてお得、
という、しょーもない感想も抱いた。
(我ながら、ホントにしょうもない)
原作読もうか、という気にもなった。

何より、こういう試みそのものが興味深く、応援したい
なぁと思ったです。

バンダラコンチャ ソロアルバム公演
「相思双愛」
5/9~5/17/09
紀伊國屋ホール

2009年5月14日 (木)

寸評・団菊祭歌舞伎座(夜の部)。

「毛剃」
歌舞伎口調の九州方言はイマイチ聞き取れず、状況が
つかめない……
そんな難しい話じゃないと思うし、大まかなところは
もちろん分かるのだが、ホントに大まかなことしか
理解できなかったなり。情けなや。
「よか、よか」と繰り返すのは團十郎に似合いなのだが。
最後になってビービー泣く海賊がオカシイ。

「夕立」
悪党が雷のどさくさで高貴の女をものにする、という
だけの(だけの……)一場で、面白いのかなんだか
なんで上演されるんだかよく分からないが、菊五郎も
時蔵も美しく、役どころに合い、かつエグくなかった
からまぁいいのか……正直、ホントよく分からん。

「神田ばやし」
悪い人ではないが思い込みの強めな大家(三津五郎)と、
ぼんやりした店子(海老蔵)のやり取りがおかしかった
けど、話としてはそれなりに不条理だと思う。
というか、1両ちゃんと返してもらえたんでしょうか。
困ったばあちゃんの市蔵、一言多い男團蔵等、皆が
楽しそうに演じているのがいい感じである。
が、入れ歯はちょっとヤダ……

「鴛鴦」
菊之助の喜瀬川が一途で可愛い。
松緑の股野は一人著しく気の毒な役で気の毒である。
そして海老蔵。
美しい、けど口は利かないで欲しい。
背中丸めて踊られてもなー。キビシイぜ。

2009年5月12日 (火)

ざっくり寸評・「ベイクド・マンション」「ぬばたまの淵」

どちらも終わってしまった公演なので、ホントに一言だけ。

「ぬばたまの淵」
自分を手ひどく裏切った相手を許せず、呪い続けるうち
魔性となった男が、その身を捨てて主に尽くす男との
出会いによって浄化される……というのが大まかな
話で、それはいいと思う。
演じた役者にも合っていた。

気になったのは、暗転がやたら多いということ。
セットは抽象度が高く、さほど待たされはしないのだが、
ともかくまたしても場面が変わる。
そのためか、
・心理描写がイマイチ足りない
・時間の経過が分かりにくい
ということにもなり、物足りなさが残った。
(それは脚本のせいもあるか……)
初めのうち特に人が多いので、誰に焦点を当てて
いいやらよー分からんということもある。
激しい立ち回りはよかったな。

もひとつ、「ベイクド・マンション」
スランプに陥った売れっ子絵本作家が、ずっと目を
背けてきたトラウマと向き合うことで立ち直る。
そんな話。

これも惜しい感じ。
酔っ払ったヒロインが迷い込んだ奇妙なマンションが
実は……という発想自体は面白いし、キャラクターも
ユニークである。
んだけど、肝心のヒロインの状況が分かりづらい。
彼女が今何を求めていて、何に不満を抱いているのか。
彼女の悩みと過去の事件がどう繋がるのか。
そこが芝居の肝だと思うのだが、そしてそれが全く
分からないということもないのだが、イマイチ明瞭で
ないのは困ったものである。
そもそも事故の本当の原因は彼女の記憶とは違うはずで、
解放というならその辺も劇中できちんと示すべきだと
思うんだよね。
(だって生木はそう簡単に燃えないもん)

全然一言じゃないけど、以上。
(いい逃げ)

「ぬばたまの淵 ~鬼ごっこ 今ひとたびの 逢うこともがな~」
(実はとてもタイトルが長かった……)
5/8~5/10/09
シアターモリエール

シアターキューブリック「ベイクド・マンション」
4/29~5/3/09
シアターサンモール

2009年5月 6日 (水)

遅れて寸評・「マイ・フェア・レディ」

これも終わってしまいました。スミマセヌ……

いわずと知れた、ミュージカルの古典的名作である。
言語学は訛りの強い花売り娘をレディに仕立て上げる
ことが出来るか?!

ナンバーを聞いていて、どれもこれも耳にしたことの
あるような気がした……または、聞いたことがあるかと
思うぐらい耳になじむ。
名曲だよな。
ミュージカルはやっぱりいい曲がないとイカンね。
話の筋は、もちろんちゃんとしていたほうがいいに
決まってるが、説明不足だったり荒唐無稽だったり
ご都合主義だったりしても、ナンバーがよければ目を
瞑れる。
台詞がいちいち古めかしくて失笑モノでもね。
どう考えても教える才能のないヒギンズのレッスンで
イライザがどうやって正解にたどり着けたのか、
見てても全然分からなかったが、それはまぁ許そう。
(ずいぶん偉そうだな)

ってことで、楽しく聞いた……初めのうちは。

どのナンバーも名曲なのに、途中から「何だか長いな
この曲」と思ってしまったことを、正直に白状します。
2番ぐらいまで歌ってひとしきり踊ってまたしょっぱな
から歌って、みたいな印象。
何のせいだかぱっと原因を挙げることは出来ないのだが、
まぁ、それが本音であります。

それともうひとつ。
これは輸入ミュージカルだから、勝手に変えるわけに
いかないのはよーく分かる。
分かるんだけど。
イライザが小娘でなくても、この話は成り立つと思う
んだよね。
教養のない下層階級の女で、でも上を目指す意欲を
持っている、というところさえあれば。
ヒギンズもピッカリングも性別と身分だけで彼女を
下に扱うだろうから(彼女に対する態度は違っても)、
物語の辻褄は合う。
で、こういう大きな舞台の主役をやるというのだから、
イライザを本当に若い、キャリアのない女優が演じる
って訳にはいかないだろうと思う。
であれば。
わざわざ彼女の年齢を明示し、幼い演技をさせるのは
やめといた方がいいんじゃないかと思うんだよね……
却ってわざとらしくなって白けるからさ。

「マイ・フェア・レディ」
帝国劇場
4/5~5/1/09

2009年5月 2日 (土)

急いで寸評・「テンリロ☆インディアン」

もう終わった公演でスミマセン。
ためてしまったんで、さっさか行きます。

アメリカの片田舎で、9人の日本人が逮捕された。
9人のうち5人はろくに英語も喋れず、状況も
わからないまま連れてこられた。
断片的な情報を繋ぎ合わせて判明したのは、
容疑が「銀行強盗」であるということだった。
犯人が日本語を使ったという証人が出てきて、
町にいた全ての日本人がパクられたのだ。
9人の中に犯人がいるのか。いないのか。
事件はいかにして起こったのか。
(この公演は男女2バージョンあって、話の
展開が多少異なるらしい。上記はけらいが見た
男性版についてである)

パニックだったり訳ありだったりする男たちが、
疑心暗鬼状態から少しずつ事の真相に近づいて
いくまでがテンション高く描かれる。
2時間強休憩なしの上演だが、長さを感じなかった。
登場するのは妙な人物ばかりだが、それも漫画の
ようで、気楽に楽しめる。
宛書……ではないのかな。再演だそうだから。
でも配役もぴったり嵌まっていたと思う。

ただ……
この芝居、同じ脚本家の書いた「泥棒温泉」と、
作りがそっくり一緒なんだよね。
犯人は初めわからなかったが、最後辺りでこの
パターンに気づいたら「ああそうか」と。
そんなに何作も見たわけじゃないので判断は
出来ないが、これだけ笑わせられるんだから、
もっと手管を持っていて欲しいと思う。
それと前半、「なんで俺がこんな目に」シーンが
長いのはちと気になった。
みんなが言わんでエエねん。

看守(自分は警官であって看守ではない、という
台詞があったが)を演じたのが日本人じゃなかった
ことで、リアリティが増したように思う。
話そのものはめいっぱいホラ話だから。

劇団6番シード「テンリロ☆インディアン」
東京芸術劇場
4/18~4/26/09

2009年5月 1日 (金)

寸評・「ヴェニスの商人」

もちろんシェイクスピアの、よく知られた作品である。

やたら友情に篤い2人の男、
謎の求婚者テスト、
宗派を超えた恋愛、
男装の麗人の裁き、
法律と人情の相克、
水物のビジネス、
「胸の肉1ポンド」
そしてもちろんユダヤ人差別。

どうしてこの芝居がこんなに長く愛されているのか、
ちょっと不思議な気がする。

差別云々については、時代によって地域によって意識や
価値観が違うんだから、今の目でどうこう言うべきでは
ないように思うが、それでも主要キャラクターは皆
身勝手と無考えが過ぎる。
正直、「なんでこないなヤツらが勝つねん」「がつんと
痛い目に遭わせてやれシャイロック(無理だけど)(と
いうかなぜ関西弁)」と思ってしまう訳だ。

でもそれだけじゃなくて、この芝居、何か妙な気が
するんだよな。
バサーニオの箱選びはあとの展開にさほど影響しないし、
アントーニオのメランコリーも別にどってことないし、
ラーンスロットの転職も、まぁあってもいいけどなくても
いいよね、別に。
「さっきの場面、ありゃナンだったんだ」が、見ていて
分からなくなることがある。
シェイクスピア作品はよくよく考えると大概妙だったり
するが、それにしてもこの芝居は奇妙だ。

でも、この芝居は各地で上演され続けている。
それが不思議でならない。

今回のASC公演は楕円の会場を客席が360度取り巻く形で
上演され、ごくわずかな小道具を除き、セットや装置はない。
役者も衣装を変えない。ポーシャの男装シーンでも。
観客と役者もかなり近く、一部の観客は芝居に少々参加する
ことになる。
それも面白い試みだと思ったが、今回一番印象に残った
のは、
「キリスト教徒=マジョリティの悪辣さが際立っていた」
ということ。
彼らは独善で世界を裁き、身勝手で傲慢な理屈を振りかざし
ながら、己を善人と信じている。
通常は「いいもん」として描かれるバサーニオやアントニオ、
魅力的な女性であるはずのポーシャが垣間見せる底意地の
悪さや冷たさは、自分が戯曲を読んだ時の印象に近かった。
「そうそう、こいつら全員ホントはヤなヤツらなんだよ。
もっと言ってやれ」と野次りたくもなった訳で。
ああもちろん、本公演でも完全な悪党とはなっていないが。
そしてシャイロックが正義であるようにも見えないが。

とはいえ、見ていてしんどくなったり重苦しかったりは
しない。
喜劇として上演されているからね。
てか、この話は悲劇ではないよね。

それにしても……
マジョリティに属してた(多分)クセに、マジョリティの
こんな姿を描けるシェイクスピアってのはどんだけ悪党
なんだかね。
ステキだ。

ASC「ヴェニスの商人」
4/25~5/3/09
遊空間がざびぃ

2009年4月30日 (木)

寸評・「ベゴニアとしあわせ~上を向いて歩こう~」

諸般の事情で見にいった。
OFFOFFシアターは、狭いのはまぁ慣れてるしいいと
して、トイレがとなりの駅前劇場と共有かつ男女共用で
1個しかないというところがあり得ない……

それはともかく。

10年以上ルームシェアをしているアラフォーOL2人の
話である。
一方が結婚することになり、もう一方は……
とまぁそういう話。
シリーズ3作目だそうだが、今回だけでも話は分かる。
但し、「何でこの人の役必要だったんだろう??」な
人は登場する。多分、前2作では重要な役所だった
のだろう。

劇中でまたしても携帯が鳴る、本当にイマドキの話で
ある。
マリッジブルーだの結婚したい焦りだの家族の口出し
だの、まぁよくある話が展開されるわけで、話自体は
かなりどうでもいい感じ(というか、こういう話題は
自分の身の回りではまず出ないので、別世界の他人事
なんである)なのだが、ヒロインが住むマンションは
なかなか興味深い。
隣近所の仲がよく、家族や恋人を含めて皆知り合いで、
いつも誰かが誰かを助けたり遊んだり干渉したり
している。
「変な住民が多くてプライバシー少なめ」なのだ。
こういう生活が楽しげに描かれるってことは、現実は
こうじゃないんだろうな、とか、だからこそ憧れるん
だろうな、と思ったりする。
確かに長屋生活みたいで楽しそうだ。
留守中に管理人に家に入られるのはかなりイヤだが。

役者はみんな肩の力抜いて楽しげに演じていた、
ように見えた。
出演者のファンならお薦め。

経済とH「ベゴニアとしあわせ~上を向いて歩こう~」
4/24~4/29/09
下北沢OFFOFFシアター

2009年4月27日 (月)

正直言います「赤い城、黒い砂」@日生劇場(その2)

もうひとつ。
冒頭の戦は剣と剣の対決である。
そこへ現れた武器商人モトが、赤の国だけに兵器を売る。
はっきりとは示されないが、どうやら大砲のようなもの
らしい。
城壁を壊された黒の国は勢いを失い、その後うやむやに
衰退していく(らしい)。
なるほど人馬の戦いが重兵器の戦いに切り替わる時代
なんだな、と思う。

ところが、後の場面でジンクは拳銃を持っている。
フツーに。
……火薬、使えるんじゃん。
拍子抜け。
しかも、モトの扱う大砲は、一介の盗賊が買えるような
超お買い得価格らしい。
それ、いくら何でも無理あるだろ。
てか、国境付近を荒らした程度でどんだけ稼いだんですか。
誰から何を盗んだんですか。
(ここで、国力の話が出てくる訳だよ)

で、大砲を売りつけたモト。
武器商人ってのは、戦争で儲ける人である。
ってことは、赤の国を勝たせたらダメじゃん?
赤の国にも黒の国にも兵器を売りつけて、戦を長く
続けさせなきゃさ。
私がこの国を動かしてたとか何とか言ってる場合じゃないよ。

「繁栄すると滅びを迎える」という赤の国の「秘密」も変。
いや、それ当たり前だから。
速度や原因に差はあれ、どんな国も繁栄し続けることはなく、
いずれは滅びる。
そんな大仰に言うことじゃない。
(それに、滅んでたら黒の国と戦争できないだろ……)

他にも、赤の国の王宮には王族3人しかいないよ(大臣
とかいないのか、この国は)、とか、親衛隊はいいけど
正規軍は?大砲ひとつで国が滅びるって早すぎねぇか、
とか、身内が牢番ってのはどーゆーこったい(ただの
不正だ)、とか、伝染病の罹患範囲がよーわからん、
とか、気になるところは色々ある。
ツッコミに忙しくて物語に入り込めない。
王女が変化も成長もしないところ、物語に必要とは
思えない不快場面があるところナドナド……にも
引っかかる。

翻案イコール骨を借りて肉をつけることである、とすれば、
肉だけ用意すればいい、という考え方も出来るだろう。
が、フィクションを作るということは、世界をまるごと1つ
作り上げるということである。
骨のことは元の作品に任せた、というのは、姿勢として
無責任であると思う。

きちんと1から作るのがスジだろう?

で、
結局これは何の話だったのか??

そういや「無知の罪」の話がチラッと出た気もするが、
その後の物語展開と関係なかったし。
こんな穴だらけの話で戦争と平和語られてもねぇ。
人は必ず諍い、戦うというのは真実かもしれない。
でも個々人の争いと国家単位の戦争を同列に扱うのは
乱暴だと思う。

芝居というのはある意味ズルイところがあって、話が
ショボかろうが出演者の魅力で押し切れる、場合もある。
もちろんいつも、とは言わない。
基礎がちゃんとしてない作品はダメなことの方が多いよ。
でも、「ダメなところだらけだけど楽しめた」「よく
考えたら変なんだけど、見てる間は盛り上がった」って
ことは、確かにある。
宝塚なんかそれで90余年やってるんだし。

華や実力のある役者たちは魅せてくれたと思うよ。
まったく面白くなかったとは言わない。
でも、やっぱり思う。
「この面子揃えてコレって、もったいないよな」

ということで、大変残念な舞台だったのであった。
チラシはカッコよかったのにねぇ。

「赤い城、黒い砂」
4/11~4/26/09
日生劇場

2009年4月26日 (日)

正直言います「赤い城、黒い砂」@日生劇場

さて困ったものである。
感じ方は人それぞれだし、叩きのめし批判はしたくない
のだが、といいつつ、けらいは基本ツッコミ体質なので、
普段はかなり抑えて書いているのだが。
(ブログには、言いたいことの1~2割ぐらいしか書いて
ませんです)

これは、ヒドイよ。

シェイクスピアのファンを名乗りながら、けらいは本作の
元ネタ「二人の貴公子」を知らない。
文字で読んだことも、舞台で見たこともない(ダメじゃん)。
ゆえに、原作との比較考察は一切行わず、見た舞台のこと
だけに話を絞って書きたい。
ちなみに、今回は盛大にネタバレさせていただきます。
お嫌な方は、ここでお別れいたしましょう。
ご機嫌よろしゅう。

*

*

*

*

批判点は3つである。
・物語設定がちゃんとしてない。
・ゆえに、登場人物の行動が理解できない。
・結局、何が言いたかったのかがよく分からない。

大まかに言うと、長年対立する赤の国の王女ナジャと
黒の国の2人騎士・ジンクとカタリの愛憎物語である。
カタリがナジャに惚れ、ジンクがナジャに求愛する。
王女は別にどっちも好きにならないが、実は騎士2人が
愛し合っていたことが最後に判明する。

……
最後の1行はまぁおいといて。

まずね、赤の国と黒の国。
地理的に近いことしか判らないが、国力に差はあるのか、
文化的には近いのか、それぞれどういう国家なのか。
それでも赤の国は王国であることがわかるが、黒の国
なんかいつの間にか衰退してて、戦争がどうなったのかも
はっきりしない。

また、赤の国は「女王が死ぬと神として祭られるが、
王が死んでもただ葬られるだけ」というしきたりがある
ことが繰り返し示されるが、これも意味が分からない。
まず、王と女王は両立しない。
どっちかだ。
王の妻は王妃だし、女王の夫は王ではない。
(あんまり例がないが、例えばヴィクトリア女王の夫は
アルバート公である)
女王が死ぬと神になるってことは、女王は偉いわけだ。
ここは女系国家なのか?と思う。
そしたら、女王亡き後、国の統治者になるのは夫じゃ
なくて娘ってのが自然じゃないか?
妻の後を夫が継ぐのが許されるのであれば、国政において
男女の差はない(優先順位ぐらいはあるかもしれん)と
いうことになり、女だけが死後に神となる理由が
見えなくなる。
しかもこの夫、側室に娘を産ませている。
でもってこの側室の娘を、身分が低いうんたらと侮辱
する場面がある。
おいおいそれは男系の理論だろ?
言ってることが無茶苦茶だよ。

なんでこんな点をツッコむかというと、これらのことが
漠然とでもいいから判らないと、主人公の1人である
ジンクの野望の方向性が見えてこないからである。
「何のために彼がこんな行動をとるのか」が曖昧になり、
というか、むしろ「無意味あるいは逆効果なんじゃ
ねぇのか」=「こいつ、頭悪くないか」に思え、話の
説得力が著しく低下する。
もちろん、理解も共感もできない。

ピカレスクというジャンルがある。
悪いヤツが主役って話な。
民谷伊右衛門やリチャード3世を、観客は好きにならない
かもしれない。共感しないかもしれない。むしろ腹立たしく
眺めるのかもしれない。
それでも、主人公への一種の尊敬というか、畜生なんで
こいつこんなに上手く立ち回るんだ、というような思いは
抱くと思うんだよね。
てか、それがないと悪い人間は主人公になれないだろう
と思う。

本当に、
悪キャラがバカって致命的だと思うんだよね。
ちょっと服と名前変えたぐらいで、黒の国の人間が
出自を誤魔化せるのか?
言葉は同じなのか、身体的に似てるのか、習慣は?
世に知られた武人のはずなのに、誰も彼を知らないのか、
(一兵卒は仕方ないとして、王女に知られてない勇者
っていったい……)戦いぶりや太刀筋で気づく者も
ないのか!
偽名使ってるのに長年の親友に声を聞かせるのは
まずかろう?
忠義の愛国者を装ってるのに、王女の姉に手出しする
のも 絶 対 まずい。
(相手が完全に日陰の身ならともかく、父王に最も
近い人物だってのに。ばれるって)
身の破滅を望んでいるとしか思えない。

何だコイツ意味わかんない、じゃダメなのだ。

訳の判らんことをするキャラクターを延々3時間も
見させられるって、すげぇしんどいことだよ?

とても長くなったので、とりあえず斬り……じゃなくて
切ります。でもまだ終わらない。

2009年4月23日 (木)

寸評・「デマゴギー226」

1936年2月26日に発生した青年将校によるクーデター未遂
事件、いわゆる「二・二六事件」を題材にした芝居である。

4日間にわたるこの事件で(この年は閏年だったんですねー)
もちろん何人もの犠牲が出たわけだが、そういわれてみれば、
誰が亡くなったんだっけ……と思うと、ちょっと自信ない。
(今思い出せたのは高橋是清ただ1人。それも結構あやふや
でしたです。情けなひ……)
五・一五事件では犬養首相が亡くなったのが有名だが、
あれは名台詞のせいなのだろうか。

なんてことはともかく。

標的とされた当時の内閣総理大臣・岡田啓介は射殺されたと
報じられたが、実は生存していた。
姿形のよく似ていた(でも写真見る限りあんまり似てない
ような……)彼の義弟が、身代わりとなったのであった。
そして当の首相はといえば、総理秘書官や憲兵により、翌
27日に無事官邸を脱出している。
(詳細はwikiなり何なりをご覧くださいまし。
結構細かく書かれておるです)

……ご存知でした?
けらい、恥ずかしながら、ちっとも知りませんでした。

前振りが長くなった。

本公演は、この人違い射殺→本物救出大作戦を描いている。
いいところに目をつけるものである。

官邸内に潜んでいる総理本人、
その世話をしている女中3人、
総理の実の娘、
秘書官、
憲兵3人、
兵士反乱軍、
皆、部分的な情報しか持たないゆえに、疑心暗鬼になったり
右往左往したりする。
もちろん、事件が事件であるから、ただのドタバタ喜劇では
なく、政界の腐敗や農村の疲弊、社会の閉塞なども描かれ、
現代ともリンクした作品に仕上がっている。

正直に言って、
途中まで面白かった。

いや、最後がつまらなかった、とは言わない。
言わないが、「物語設定を聞いてまず最初に浮かんだ
疑問が、最後の最後の秘密として明かされた」ことに
著しく拍子抜けしたんである。
いや、当然でてくるでしょうそういう問題は。
そんな意外そうに言われても。

それともひとつ。
日本家屋に住んだことあるのかなぁ。
襖や障子じゃあ、音は筒抜けだよ?
もちろん舞台だから本当に囁くわけにはいかないものの、
秘密を持った人々がまたしても大声を出すというのは
ちょっとありえないと思う。
それにね、そもそもお手水が水洗じゃないんだから、
人の意識も今とは随分違うと思うよ。

その他にも、3人の憲兵のうち2人のキャラクターの印象が
イマイチ一定せず、豹変されてびっくり、とか、3人の
女中はキャラ立ってる割に役割分担がなく、「何故3人?」
と思ってしまったり。
時間の経過が分かりにくくて、「今緊迫してるのかゆっくり
してていいのかどっちや!」と突っ込みたくなったり。
色々惜しいことであった。

ともあれ、意欲作ではあると思うので、今後に期待したい。

弾丸MAMAER「デマゴギー226」
中野ポケット
4/17~4/26/09

2009年4月17日 (金)

寸評・「四月大歌舞伎(昼の部)」

伽羅先代萩の通しである
「花水橋」「竹の間・御殿」「床下」「対決・刃傷」
満腹でござる。

とはいえ、
席が3階東だったので元々本舞台が1/3ほど見えない
上に、お隣さんが身を乗り出し、乗り出したままの
状態ですやすやお休みになったため、半分以上
見えねぇ!という悲惨な結果に。
「対決」の弾正は体半分のみ、大江鬼貫にいたっては
声しか聞こえなかったです。しくしく。

それにしても先代萩って、一大シリアス劇であるはず
なのに、よくよく考えると結構笑えるよなぁ。

身持ち放埓の殿様は改心することなく、息子にその
地位を奪われてしまうし、
悪者に肩入れする山名夫は細川の詮議を止められず、
妻は勝手に誤解して敵である政岡にリストを渡して
しまうし。
弾正と八汐の兄妹は凄む割に案外弱い。
沖の井に言い負かされる八汐も情けないが、それ以上に
鼠に化けた途端、妙に可愛らしいしぐさを見せる弾正は、
実はラブリーな性格なのかもしれない。←何いってんだ
とどめはいいもんのはずの細川勝元が、死に掛けている
外記左衛門を踊らせる場面……
相手は手負いの年寄りなのに。
いや、まぁ、確かに冥土へ向かってまっしぐらな状態
ではあるよ。
芝居の最後で盛り上げようというのもわかるよ。
わかるけどさ。

安全確保のためとはいえ、食事の用意に時間掛かり
すぎてないか政岡、とか。
千松は健気だし、あんな殺され方することはないと
思うけれども、毒入りの菓子を食べる場面の登場の
仕方&狼藉(箱を蹴散らして見得)は、それなりに
お咎めあって然るべきだよな、とか。
いちいちツッコミ入れたくなる芝居ではある。

豪華キャストはそれぞれに役に嵌まっていて、安心
感があった。
いつものアレ、といってしまえば身もフタもないが。
個人的には、玉三郎の政岡のキレイな所作と恐い顔、
全然女に見えない仁左衛門の八汐にツボりましたが、
他の人たちもよかったよ。
荒獅子男之助の三津五郎は、あれだけの出番のために
隈取するんだから大変だよなぁ……
(橋之助も冒頭しか出ないけど、夜の部は大きな役
するからさ)

追記;夜の部の感想で書き忘れたが、久々に竹三郎の
舞台を見られて嬉しかったなり。

2009年4月15日 (水)

「淫乱斎英泉」感想(その2)。

登場人物は、蛇足感の強い現代の女を除けば5人。
退廃的な春画で知られる浮世絵師・渓斎英泉。
その腹違いの妹・お峯。
蘭学者・高野長英。
英泉のパトロンの一人・豪商越後屋。
英泉の経営する女郎屋の娼婦・お半。
十数年にわたる彼らの愛憎を描いた作品である。
簡単にいえば。

年月の間に、彼らは変わっていく。
そして誰もが夢をかなえられない。
5人の中では望んだものを一番多く手にしたであろう
越後屋でさえ、思う通りの結末を迎えられてはいない。
ゆえに、芝居はなんだかすっきりしない形で終わり、
それが却ってリアルであるようにも思われる。
人間そうそう割り切れないし、意味づけなんか
出来ないもんな。
……んだけど。
(今回こればっかり)

5人の境遇は変わり立ち位置は変わり、でも、根本の
ところはさほど変わってないように見えるんだよね。
長英の卑しさは1幕の途中で既に明らかになっている
し、お峯も、見た目は大きく変わってるものの、その
行動原理は一貫しているといっていいと思う。
(てかさぁ、長英はみんなに思われる男なんだから、
ちったあいいところも見せてくれよ、と思うわけだが。
長英は他人の台詞では褒められてるものの、板の上に
いるのは、基本「ベンキョ出来ても人としてダメ」な
ヤツである)
(大体、好きな男のために苦界に身を沈め、ってのは
歌舞伎を初めとするメロドラマの常套で、特に目新しく
ない。この芝居も、愁嘆場こそないが、五六段目の
お軽と大差ないよね)

人間そんなもんだ、といわれればそれまでだが。
特に2幕目、さまざまな「秘密」が明らかになるとき、
もちろん一つ一つの発言は「知らなかった」こと
なのだけれども、案外意外性がないのは、描かれる
人にブレがないからだと思う。
で、ブレがないのはいいことのように思えるが、実際
見てると「びっくり出来なくてちょっとがっかり」
なんだよなぁ。

それとは別に、何だかよく分からなかったところも
引っかかっている。
猫の魂の話の場面のお峯の発言はなんだったんだ?
とかね。
あるいはお半。
彼女は前半と後半で立場が変わり、発言が多少違って
くるのだが、あるところで元に戻ったかのような様子を
見せる。
(実際は戻らないが、昔のような物言いをしたりする)
にもかかわらず、彼女の変化に対して周囲の反応は
特になく(その前にいったん話が終わってるから)、その
後の展開にも特に影響せず、何だかうやむやになって
しまうんだよね。
そもそも大店の女将が前と同じでいられるものだろうか、
という疑問もあるのはあるのだが。
何だかもったいない気がした。

むー。
元の戯曲を読んで、すっきりしたい気分。
って、それですっきり出来るかどうかはよく分からない
けれども。

「淫乱斎英泉」
あうるすぽっと
4/2~4/12/09

2009年4月14日 (火)

もはや寸評ではなくなった・「淫乱斎英泉」

スミマセン。
歌舞伎座の評を書くのに手間取ったのが始まりで、
どんどん予定が……
東京公演終わっちゃいましたよ。
まぁ、公演自体はまだ続いていますし、何かしらの
参考になればと思い、今更ながらupしてみます。

といっても、正直言っていいものか……

うーん。
なんというか。
「見ごたえはあったし、面白いは面白かったんだ
けど、なんだかなぁ」、というのが本音だ。

くどいようだが、つまらなかったわけではない。
やはりイマドキの脚本とは一線を画するものだと思うし、
出演者は皆達者だった。
特に英泉は、そもそもの役のあくどさ、過剰さ、
偽悪っぷりが面白い上に、演じ手にぴったりで、
強い説得力があったと思う。
迫力のある舞台を見たのは確か……なんだけど。

まず舞台、三角形の座敷(一段高くなっている)が
あって、奥に襖。これが透けて、さらに奥の
スクリーンが見えることがある。
(スクリーンは、常に使われるわけではない)
面白いつくりだとは思うのだけれども、前方端の
席で見ると、それなりに見えにくい。
また、時代劇なので当然の事ながら、座ったり
寝そべったりのシーンが多く、段差のない前方
(でも最前列じゃない)席だと結構見えない。
細かいことだけど、それなりにストレスにはなる。
まぁ、「複数の客席からどう見えるか」を考えて
くださる演出家はあんまりいないからね、日本じゃ
(よそのお国のことは知らん)。
別に珍しいことじゃないが。

愚痴はいい、芝居の話だ。
冒頭。舞台中央に座る高野長英に、現代の女性が
話しかける場面から芝居は始まる。で、長英の
時代に話が戻り、江戸末期の芝居が展開される
のだが。
……この場面、元の戯曲にあったのだろうか?
読んでないから確かなことはいえないし、あとから
追加されたという感じでもないのだが、物語の中で
浮いているというか、何のためにこんな場面が
あるのかが掴めない。
女の質問の意味も意義も、イマイチ見えなかった。
英泉を下品と断じる紋切りの台詞も面白くないし。
ということで、初めから、ちょっぴりテンション
下がったわけです。

話始まってないのに長くなりそうなので、続く。

2009年4月12日 (日)

寸評・「帰れない夜」

また今日までの公演を今頃書いてスミマセン。

劇団でやる朗読と聞いて、どんなもんかと興味を
持った。で、行った。

ホントに朗読である。
(嘘ついてどうする)

語り手が1人いて、登場人物を演じる役者がいて、
どちらかがどちらかに合わせるという感じではなく、
両立している、といったらいいのかな。

短編小説4つが朗読され、その間をオリジナルの
物語がつなぐ。これは朗読ではなくて、純粋に
芝居である。

もとの小説を、ひとつも読んだことがなかった。
何せ現代日本の小説は滅多に読まないもんで。
でも、読んでなくてよかったかなと思う。
怖かったし、驚いたし、泣けたからね。

小説は文字で味わうのが王道で、それ以外の
情報を先に見聞きしてしまうのはちょっとズル、
という気がしないわけではないし、今後の読書に
今日のイメージが影響する可能性もあるとは思う。
(原作者の作品を読むかどうかは分からない
が……)
けれども、イヤにキレイな夕焼けとかひょいと
飛び出すボールとか、すごいインパクトあった
んだよね。
こういう形の楽しみ方もアリ、だなぁと思った。

ちなみに、取り上げられた作品は以下の通り。
「あなたをはなさない」(原作:井上夢人)
「生きがい」(原作:小池真理子)
「縁切り神社」(原作:田口ランディ)
「昨日公園」(原作:朱川湊人)

どれも面白かったけど、スズナリのパイプ
椅子に2時間休憩なしは結構きつかった。
仕事帰りに行ったせいもあって、最後
へろへろになっちまっただよ。

本公演はこの朗読劇と、芝居「さとがえり」
の2本同時上演中です。
今回は日程が合わなかったが、芝居の方も
見たかったな。

KAKUTA蔵出し公演「帰れない夜」
4/4~4/12/09
ザ・スズナリ

2009年4月11日 (土)

寸評・「4月大歌舞伎(夜の部)」その2

「吉田屋」
遊女に入れあげて勘当されたボンボンが金も
ないのに女に会いにやってくる。
いざ会えばぐずぐずと痴話げんか。
そうこうするうちに坊ンの勘当が解け、遊女は
受けだされて、2人はめでたく夫婦になる。
まったくバカバカしい、夢のような話。

仁左衛門の藤屋伊左衛門に我當の吉田屋喜左衛門、
秀太郎の女房おきさという、兄弟で固めた定番
配役である。
定番なのでもう何度も見ているのだが、この演目
での3人の組み合わせはとても好きだ。
にらめっこの場面は、何度見ても笑ってしまう。
しかし毎回書いているが、伊左衛門と喜左衛門
というのは耳ではあまりに区別しにくい。
まったく、気の利かんことである。

仁左衛門の「いつまでこれが出来るのだろう」と
感心せずにはいられない無邪気さ。
夕霧の玉三郎は、前見た時は狸寝入する伊左衛門を
それなりに痛い目に遭わせていて、強気が可愛い
なぁと思ったもんだったが、今回は全般的に
憂い顔で、とてもキレイだった。

**

「曽根崎心中」
ぼんぼんの徳兵衛が恋敵の九平次に陥れられて
追い詰められ、恋人の遊女お初と心中してしまう。
しかも無実が証明されたのを知らないのは本人だけ。
メロドラマの王道だ。

これも何度も見ているが、今回最も印象に残ったのは、
お初と徳兵衛のバカップル振り。
今まさしく恋愛真っ最中、というか。
もう周り何にも見えてません、というか。
……むちゃむちゃ暑い、いや、熱いっすね。
この勢いで破滅しちゃったんだなぁ、と、なんだか
妙に納得した。
通行人棒立ち時間が長いとか、いきなりみんなが
しゃべり出したら不自然だろ、とか、細かいことは
色々あったのだが、もうそんなのどうでもいいや、
という勢い。
まぁ、最後に年齢いわれたのはちょっときつかった
けどな。(禁句)

盛りだくさんでくたびれたけど(正直、もう少し
早く終わってくれると助かるなぁ)、3つとも
面白かったですよ。

2009年4月10日 (金)

寸評・「4月大歌舞伎(夜の部)」

さよなら歌舞伎座公演期間に突入してから、面子が
いつも以上に華やかな代わりに演目は無難になって
きてるような……
やっぱり「あちらを立てればこちらが立たず」に
なるんでしょうかね、色々。

ってことで(どういうことだ)、見て来たです。

「毛谷村」
親切で手を貸した老婦人に「親子になろう」といわれ、
いきなり斬りつけてきた女に「自分が女房だ」といわれ、
ワガママなガキまで転がり込んできた。
さあ、君ならどうする。

……というのは枝葉だが、そこが一番印象に残った。
(なんだそりゃ)

吉右衛門は押し出し立派で役に合っていたと思うが、
吉之丞(お幸)と福助(お園)に囲まれたら気の毒
であった……
しかし吉福で力自慢カップルって似合うな。
お園はもうちょっと色気がなくてもいいと思うが。
敵役を演じた歌昇の目が血走っていて、ホントに
役者絵のようだった。
東蔵は顔が福笑いだったしなあ。
吉之丞好きだ~。イケズな役でまた見たい。

続く演目は「吉田屋」と「曽根崎心中」。
この2つ、結末は大きく違うものの、「上方の坊ンと
遊女の恋」を描いているという点では同じである。
何かと印象がかぶるので、並べるのはどうかと
思わないではない。
個人的には別に気にしないが。←なら言うなよ。

で、
「吉田屋」は仁左・玉のゴールデンコンビ、
「曽根崎心中」は藤十郎と翫雀の親子競演である。
後者が無茶苦茶テンション高い(詳細後述)のに
対し、前者はなんだか長年なじんだ夫婦みたい
だったというか……
比較すると興味深いことであった。

長くなったので、続く。

2009年4月 3日 (金)

寸評・「Triangle」

高名な小説家を父に持つ青年が主人公。
彼は自分も小説を書いているが、いつも佳作どまりである。
何とかして世間に認められたい、父に認められたいと思う
主人公の家に、向かいに住むミュージシャン志望の青年が
転がり込んでくる。
曰く、幼馴染に結婚を迫られているので匿って欲しいと。
断ろうとするも押し切られる主人公。
しかも彼を追ってやってきた幼馴染までなぜか主人公の
家に住み着いてしまう。
かくして男女3人のルームシェア生活が始まった……
と、まぁ、そんな話。
イマドキの友情物語、ですか。

すごく正直言うと、「面白くなかったけど楽しめた」。

話は別に面白くないのだ。
安易な三角関係になってないところはいいとしても、
展開にはさほど意外性がなく、2時間かけてやる話でも
ないと思った。
ありがちなのは別に構わない。
が、「敢えてよくある設定を使う」んであれば、その
意義というか、見せ所が欲しいわけだが、イマイチ
甘いというか、せっかくの設定が充分生かされてない
というか。

例えば。
主人公の父親は偉大な小説家な訳で、おそらくだが「あの
父の息子なんだから」あるいは「あの父の息子のクセに」
と小さい頃から言われ続けていると思われ、それは相当な
ストレスになっている、ハズ。
ましてや同性で、同じフィールドで勝負しようというのだから、
単に自分を認めてもらいたい、という話じゃすまないと
思うんだけどな。
他の2人のお悩みも然り。
「判ってはいるけど応えられない」辛さや、病気の描き方
(ネタバレしないよう、一応気を遣っております)も
浅いように思う。
いや、そんなに詳しくはないが、実際あんなもんでは
済まないのでは?

だいたい、大人3人が同居できる安アパートってどんなんや!
(それはいいっこなしか?)

台詞から歌への以降をすらっと行わず、出演者にわざわざ
マイク持たせて歌わせるショー?形式も、目新しくはあるが、
何度もやられるとちょっとな。
ナンバーは、全部はわからなかったが、オリジナルではない
曲も含まれているようだった。

でも楽しめた。
ひとえに、出演者の魅力によって。

3人とも、宛書かと思われるほど役に似合っている(しかし
アレが嵌まるというのはいいのか悪いのか)し、実力も
充分。
(あ、歌の話ね。芝居もまぁ)
いいところも欠点も山と抱えた若者を自然に演じていて、
見ていて気持ちがよかった。
ギャグシーンも、「台詞そのものより、この人が言うから
可笑しい」というところがあったと思う。
外見のイメージ、間、その他もろもろによって。
そういう意味では上手く作られた脚本なのか。
出演者みんなに愛嬌があるというかなぁ、共感しやすい
というか。
衣装はともかく、可愛い3人だった。

細かいことを突っ込むのは野暮というもんなんでしょう。
肩の力を抜いて楽しむのが吉かと。

「Triangle トライアングル~ルームシェアのススメ~」
PARCO劇場
3/27~4/19/09

2009年3月29日 (日)

寸評・「ニュー・ブレイン」

主人公は売れない作曲家。
生活のため意に染まない仕事をしている自分に不満を
抱きつつ、じゃあ作りたい曲は何かといわれると
それもまた上手くいかない。
そんなある日主人公は倒れ、検査の結果、緊急に
脳の手術が必要であることが判明する。
手術しなければ助からない。
が、手術が成功するとは限らない。
明日死ぬかも知れないと分かった主人公は、最後に
生きた証になるような曲を作ろうとする……

というあらすじだけ読むとドラマティックに見えるが、
実のところ、これは物語ではない。
主人公と、まぁたまに周囲の人(母親とか)の内面、
もっといっちまえば独り言が綴られた作品だと思う。

仕事が上手くいかないという愚痴、
才能なんかないんじゃないのかという不安、
突然の発病、
手術への恐怖。
苛立ってつい周囲の人に当たってしまったり、
昔のことを思い出したり。
そういったことが歌になっている、のだと思う。
何で曖昧かというと、歌詞を全部は聴き取れなかった
からである。が、「RENT」と違って聴き取れる部分の
方がずっと多かった。ってあんま褒めてないようだが
そんなことはない。

まあそういうことで、
闘病感動ものを期待していくと、いや、もっといえば
「起承転結」を期待していると、がっかりするだろう
だろう、多分。
本作はミュージカルで、台詞は著しく少なく、大半の
場面は歌と踊りで進んでいく。
そして曲はどれもとても難しく、登場人物はニューヨーカー
らしく(偏見?)たいそう饒舌である。
日本人の観客は、いちど躓くと、ついて行けなくなって
しまうのかもしれない。

とはいえ、出演者の歌唱力は素晴らしく、彼らの歌を
聴けただけで、劇場に足を運んだ甲斐があったと思った
ですよ。
誰が、じゃなくて、みんな上手い。
ミュージカルはかくあるべし。
幸せだった。耳が。

中身はというと、作曲家の実体験を元にした話だそう
だから仕方ないのだろうが、ちょっとすんなり展開
しすぎという気がする。
葛藤とかぶつかり合いとかないからねぇ。
ここで悪役が出てきたらそれはそれでありきたりかも
しれんが。
「カウンセラー」の台詞がイマイチぴんとこなかった
のも不満かな。
それともう一つ。

本をあんな風に扱っちゃイカン!!!!

イヤ、あれがモノというよりシンボルだということは
分かっているのだが……

万人受けしない作品だろうことは想像が付くが、
個人的には楽しめたです。

「ニュー・ブレイン」
シアタークリエ
3/11~4/29/09

2009年3月23日 (月)

寸評・「御用牙」

舞台は江戸中期。権力におもねるを潔しとせず、
事件解決のためには手段を選ばない奉行所隠密
廻り同心・板見半蔵が、一見無関係の
集団スリ
ゴミ問題
不当な逮捕と苛烈な拷問
米の値上がりによる世情不安
役人の賂
のつながりを見抜き、悪を倒すという、まぁ
大変大まかに言えばそういう話である。
それなりに暴力的で陰惨なエピソードを、
深刻になりすぎず、ややユーモラスに描いている。

上演時間2時間15分休憩なし。場面転換がなく、
人の出入りがスムーズな割には長い。
(中央に台があり、登場人物は戸板や障子と
ともに出入りする)
正直、前半はちと引っ張りすぎだろうと思った。
話題が山積みなのにひとつひとつの描写が長いので、
前の問題が置いてけぼりになるというか、時々
「ゴミ問題は放置されてるがいいのか」「そういや
スリの話はどうなったんだ?」などと突っ込みたく
なった。
逆に、最後はががっと話が進んでびっくりさ。
もうちょっと取っ掛かり部分を刈り込んでも
良かったんじゃないかなと思う。
アンサンブルが少なくてやや寂しい感じなのは
やむを得ないとして、もひとつ気になるのは
若者の着物の所作。きちんとしてる人もいるだけに
目に付く。

主人公は躓いても倒れることはないし、最後は
必ず勝つんだから心配する必要はない。
周囲の人たちは、その分傷ついたり死んだり
せにゃならずに気の毒だが。
そこは多少引っかかったりするわけだが。

でも、ま、こういう話に目くじら立てるのは
何だしね。
出演者はみんなそれなりに似合ってたし。
(特におじちゃんたちが……)
楽しめたですよ。

どうでもいいがこのタイトル、何て読むんだろ……(小声)

「御用牙」
09/3/20~3/29 紀伊國屋サザンシアター

2009年3月22日 (日)

寸評・「川を越えて、森を抜けて」

家族の話である。
笑って泣ける、という話だった。
泣けなかったけど面白かった。
イタリアンの熱さに、個人的について行けないのだと思う。
といっても舞台はアメリカなのだが。

主人公はイタリア系アメリカ人の青年で、既に30前だが
ずっと祖父母の近くで生きてきた。
そんな彼に昇進+転勤の話が舞い込む。
嬉しいのと不安なのとで迷う主人公。
4人の祖父母は孫をいつまでも手の内に置いておくために
見合いを企画する……

ドラマティックな話ではない。
見所は青年と4人の祖父母のやりとりである。
家族とは時にうざったく、時にその大切さを忘れるもの、
ぞんざいに扱ってもいいとうっかり思ってしまうもので
ある。
だが、もちろんそうではない。
誰だって家族から(不在であれば不在であるという事実
から)大きな影響を受けている。
普段意識していてもいなくても、本当はとても重要な
ものなのだ。

翻訳物にありがちなわざとらしさや泣かせ演出はなく、
素直に見ていられる。
ただ、前半に比して後半がやや駆け足というか、前半が
ややゆっくり目というか。
最後を主人公と、一人残った母方の祖母のナレーションで
終わらせてしまうのはもったいないなと思った。
祖父母の意見は変わったのか、
家族を離れた青年はどう変わったのか、
見せて欲しかったと思う。

話は終始母方の祖父母の家で進むのだが、何だか居心地
良さそうな空間で(やたら暑いという設定になってたが)、
またしても出てくる美味しそうなイタリア料理名が、
食事前の腹には拷問のようだった……

気持ちのいい舞台だったです。


加藤健一事務所「川を越えて、森を抜けて」
本多劇場
09/3/18~29

2009年3月13日 (金)

寸評・「獨道中五十三驛」

見てきた。

猿之助主演で見たのはいつの日か……(本気で忘れている)
なんてことはどうだっていい。
あの時師匠の後ろで頑張っていた若手が、舞台の中心で
頑張っている姿をみていると、それだけで感動できるのだった。

物語はよくあるお家騒動で、
・悪者3親子がいいもんを殺してお家の宝を盗み出す。
・殺された男の息子が宝の詮議と仇討ちのためにあとを追う。
という話である。
途中、化け猫が現れたり、恋人が犠牲になったりする。
さらに、やじきたの妻(前回見た時はやじきた本人だった
ような……)コンビが引っ掻き回したりする。
見所は、
・化け猫の宙乗り
・本水つかった立ち回り
・15役早替わり
辺りだろうか。
あ、それと女やじきたの掛け合い漫才。素晴らしい。

早替わりについては、歌舞伎の定番のパロディになっている
ので、元を知らないと厳しいものがあると思う。
(多分知らないんだろうなという観客が爆睡していた……)
早いけどな、確かに。
化け猫の宙乗りは微妙に地味だった、ような。

個人的には水バシャバシャが単純に一番盛り上がった。

でも、面白かったよ。
皆それぞれの位置で役割をきちんとこなしていて、安心感が
ある。
あ、これ、上手い下手とは別な。←意地悪いよ……

宗十郎や先代門之助亡き後の舞台がどうしても「師匠対
弟子大ぜい」に見えてしまっていたことを考えると、
現状の方が全体のバランスがいいようにも思えるし。

楽しめる舞台だと思いますです。

弥生花形歌舞伎 猿之助十八番の内獨道中五十三驛
新橋演舞場
03/04~03/23/09

2009年3月12日 (木)

寸評・「ストーン夫人のローマの春」

テネシー・ウィリアムズ作品にはぶっちゃけ詳しくない。
ないんだが、過去数回、やたらしんどい思いをさせられた
……ような、気がする。
なら何で見るんや、という話なのだが。

この作品は、
「テネシー・ウィリアムズの小説の世界初上演が東京で
行われる、しかも脚本はマーティン・シャーマン、演出は
ロバート・アラン・アッカーマン」というのが売りであり、
世界初といわれると……
いや、やっぱ見とかんとイカンだろ、という気になって
しまったわけですね。

上演中なのでちょっと迷ったが、公演HPをはじめとする
あちこちであらすじが語られているようなんで、あらすじを
ざっと説明すると、

「第二次世界大戦が終わってまだ間もない頃。
金持ちの夫を持つブロードウェイの大女優が、自らの衰えを
自覚し、久々に舞台を降りてローマへ向かう。
だが旅の途中で最愛の夫が急死。
1人取り残された女優に、ローマの没落貴族が近づく。
彼女は美しい青年を金持ちの女性に差し向け、彼らを通して
女性から金を巻き上げる、いってみればポン引きである。
始めは嫌悪感を示した女優だったが、何人目かに現われた
青年には惹かれるものを感じ、段々と泥沼に嵌っていく」

最後はお定まり、金目当ての男とプライドだけは
捨てられない女が衝突し、修羅場を演じて別れる。
(そのあともう少しエピソードが続くが、それもおそらくは
バッドエンド)
意外性も夢もない話である。
じいさんと若い女の恋は時に純愛に変化するのに、逆は
まず100%ないんだよね。
まあ、現実にもあんまりないけどね、そういうケース。
なんでかねぇ。

ということで、話自体は初めから結末が分かるという類の
ものである(そしてうんざりさせられる)。
ということは、結末に至るまでをどう見せてくれるかが問題に
なるのだろうと思うんだが……

セットや転換はスムーズでキレイだった。
音楽もよかったと思う。
ただ、「豊かで洗練された、虚飾にまみれたブロードウェイ
と、戦争で何もかも失い、人々の生命力だけがぎらついて
いる、熱気溢れるローマ」の対比はあんまり出てなかった
ような気がする。
アンサンブルが同じってだけじゃなくて。
生きるために何でもする、ハズのローマが、なんとなく
お上品だったというか……
けらいはローマ(だけじゃなくて、イタリア全土)に行った
ことがないので、「ローマはこうだよ!」といわれたら何も
反論できないが。

イタリア人がまたしても自分たちの優位を説き、アメリカを
バカにするのが滑稽で面白かった。
どっちもどっちというか。
個人的には、イタリアもアメリカも別に好きじゃないし。

そうそう。
戦争が終わってすぐの話だというのも、よく聞いてないと
分からないので、女性の格好がやたら時代がかかってるのに
少し違和感があった。
これも聞けば分かる話ではあるが。
でも、あんなドレスで街中歩くもんだろうか。
あれは現実のファッションではなくて、ヒロインの姿の象徴
ということなのだろうか。

それともうひとつ。
演じ手は大体が割とそれらしかったのだが、美しいが良心を
持たない男娼を演じたパク・ソヒはキャラに合っているとは
思えず(もっと真面目に見える)、今ひとつ乗り切れなかった
のだった。
そもそも彼が他の男娼たちとどう違うのかがさほど明確に
描かれてないし、2人の関係がだんだん変化する様(多分
大きな見所となったはず)も曖昧な感じである。
彼が女と関係する場面の台詞自体も、なんでそうなるのか
流れが何だかよく分からなかったし。
なんていうかなぁ、
「これなら落ちるよな」と思えないというか。
演じ手1人の問題ということではなくて、全体的に。

原作にない、狂言回しのゲイ作家(テネシー・ウィリアムズが
モデル)の使われ方も、ちょっともったいない感じだった。

最初と最後が重なる演出は面白いのに、あっちゅー間に
幕が下りるのもいかがなものかと。

とはいえ、全体としてはまぁ面白かった訳ですが。

「ストーン夫人のローマの春」
3/28~3/29/09
パルコ劇場

2009年3月 1日 (日)

寸評・「ワーニャ伯父さん」

あ、スミマセン、これ今日までだったんですね。
昨日見たもんで、今頃アップです。

えーと。
チェーホフは嫌いではないのだが、実のところあまり
印象にない。
短編は一通り読んだつもりだった……んだけどな。
ちなみに「ワーニャ」は読んでません。

という、きわめてあやふやな観客の感想。

ちなみに本公演は「チェーホフ作の『ワーニャ伯父さん』
をマイケル・フレインが英訳したもの」を上演している、
のだそうだ。

知らないけらいが書くのも何だかなぁな感じだが、どういう
話かというと、
「主人公のワーニャは亡くなった妹の夫である大学教授を
支援するために田舎で地道に働き続けてきた。年月が経ち、
教授職を退いた義弟(ちなみに歳はワーニャより上)が
娘と同世代の若い後妻を連れて帰郷してくる。彼の身勝手で
自堕落な生活を見て、インテリと尊敬していた義弟は実は
俗物であり、長年の自分の苦労は無駄だったことに気づき
始める……」
とまぁ、こんな感じである。

一言で芝居の感想をまとめてしまえば、
「配役が妙で共感しづらい」
かな。

なにぶん元の話を知らないのでどの辺がフレインの手に
よるものか分からないのがもどかしいが、少なくとも
舞台を見る限り、物語のキーになるのは、
・年齢
・戻らない過去
・報われない努力
といったところである、と思われる。

登場人物はよく年齢のことを語る。
「自分はもう年寄りだ」「今からじゃ遅すぎる」「あと
5年も待てば、私もおばあさんになるわ」
(台詞はもちろん正確なものじゃありません)

ワーニャは歳を取っていて、
友達の医者と従僕は大体同じぐらい歳を取っていて、
教授は彼らより更に歳を取っていて、
もちろんワーニャの母もうんと歳を取っていて、
逆に、教授の娘(ワーニャの妹の娘)ソーニャと
教授の後妻エレーナはうんと若くないとおかしい
だろう。
そういう話なんだから。

でも、役者がそれらしく見えないんだよな。

もちろん比較すればワーニャ役の木場勝己より
ソーニャの伊沢磨紀の方が若いし、教授を演じた
柴田義之は確かに歳を取っている。例えばの話だが。
でも「世代が明らかに違う」ことがぱっと見て
つかめないので、台詞を聞いても実感が涌かない。

もちろん、若い役を若い人間がやればそれでいい
ってもんでもなく、きちんと喋れないような女優に
語られたらラストシーンはぶち壊しだろうと思う。
でも、例えばエレーナがワーニャの嫉妬をかき立てる
ほど若くなかったら、この話は成立しない。

その辺が今ひとつ納得しづらく、うーむと思った
まま終幕を迎えてしまったのであった。

おおむね(曖昧な表現)みんな上手かったんだけどね。
そして、いい台詞も沢山あったのだけど。

環境破壊を憂える医師アーストロフの台詞は、
現代にもまんま当てはまる。
本当に。
人間というのは進歩しないイキモノである。

つまらなかったということではない。
ただ、「うーむ」と唸るのみ。

「ワーニャ伯父さん」
あうるすぽっと
2/19~3/1/09

2009年2月16日 (月)

寸評・「千羽鶴」@文化座アトリエ

広島にある「原爆の子」の像のモデルとなった
佐々木禎子さんの物語と、彼女の話を聞いて
核戦争の恐怖に取り付かれたカナダの少年の話が
交差する。

両者をつなぐのは、一時期サダコと同室で入院生活を
送っており、その後カナダへ移住したミズ・ハヤシで、
彼女の語りがまた泣かせるわけで。

まぁ、原爆ものですから。
明るく快活な少女が精一杯病気と闘い、散っていく……
ときたら、泣かないわけにはいかないだろう。
イヤ、真面目な話ね。
古めかしく真面目にストレートに描いている訳です。
こちらもまっすぐ受け止めて、素直に感動する訳ですよ。
折り紙を意識した(でもお雛様の菱餅にも見える……)
セットを始め、色々工夫されているのは確かなのだが、
根本のところはイマドキびっくり、というぐらい古典的で、
初めはちと引くものがあったが、やっぱり直球には
変化球には敵わないパワーがある。
ここはひねくれずに、泣きます。

一方のカナダ人少年の話は……
よく分からんが(描かれた時期も含めて)、あちらの
子供はこんな感じなのだろうか?
ピースウォークに参加しようと誘う同級生はちょっと
「教育テレビドラマ仕様」みたいだったし、母親との
和解も「あっなんだそれで済むんだ」と、正直いささか
拍子抜けした。

とはいえ、多くの人に見ていただきたい芝居だと
思う。特にお子様に。
(文化座のアトリエ公演なのでスペース的に結構
きつきつ状態で、完売の日も多い模様だが……
子供にはキツイかもなぁ……)
全席自由、上演時間はほぼ90分休憩なし。

あ、それともう一つ。
会場は駅からそれなりに距離があるのだが、
劇団のHPにある「アトリエまでの行き方」の
説明が本当に分かり易く、いっぱつで行けたの
にはちと感動しました。
迷子にはならない。大丈夫!

劇団文化座「千羽鶴」
09/2/12~22  文化座アトリエ

2009年2月15日 (日)

「続々オールド・バンチ カルメン戦場に帰る」@本多劇場を見た。

今日までの公演なんで、全然役に立ちませんが。
これは自慢話なので、悔しがってください。

本公演は「パラダイス一座」なるカンパニーによる
最終公演である。
年1回、3年にわたって続けられた「オールド・バンチ」
シリーズの最終回。
何がすごいかと言えばこの一座、

・メンバーのほとんどが役者ではない。
・平均年齢約80歳。
・しかもただの80ではない。
文学座の創設メンバーにして現役最高齢の演出家。
青年劇場元代表、日本演出者協会理事長も勤めた重鎮。
学習院大学名誉教授にしてブレヒト研究の第一人者。
折口信夫の弟子にしてミュージカル演出家の草分け。
本多劇場のオーナー。
劇団21世紀FOX代表。

……なんてメンバーが、芝居をするわけで。
普段ダメだししてる立場の人たちが、役者になって
しまうわけで。
しかも、演じるのが「ビルマから帰還したゲイ」
というのだから。
オネエ言葉で喋るのみならず、女装で歌って
踊ってしまうわけだから。

一見二見の価値あります。
てか、芝居好きならこれは見とかんと。

真面目に、全力でバカをやる人たちは素敵だもんな。
うん。

話はこんな感じ。
1989年1月7日、四谷の老舗ゲイバー「つばき」のママ、
弁天・ローズの訃報が伝えられた。
戦友5人が店に駆けつける。
ローズは死んではいなかった。
彼……彼女かなぁ……が意図したのは、昭和と「つばき」、
そして自分たちの葬儀だった。
店の権利を狙う会社社長、ローズの甥夫婦などが現れ、
お笑い音楽劇が繰り広げられる。

お笑いと書いた。
基本はむちゃくちゃな話なのだが、根底にあるテーマは
「戦争」である。
そこがこの芝居の、もう一つすごいところだと思う。

あちこちで書かれていることなので今更とは思うが、
実際に戦争に行った人の台詞は重みが違う。
若い世代が知識や感情で綴った戦争云々の台詞と、言葉
そのものに大きな差はないハズなのだが、ここにあるのは
ホンモノなのだろうな、安易な作り事ではないなと、
理屈ではなく感じる。
こういう言葉を、聞きたいと思う。

けらいは最初の1作を見ていないので、前回との比較しか
出来ないが、前回は役者の皆様がかなりロレった(その日
たまたま不調だったのかも知れん。なにぶんご高齢だし)
のと、動きが何だかおぼつかない感じだったのに対し、
今回は皆ノープロブレムで舞台を闊歩していたのが印象的
だった。
もしかしてスズナリ(2作目会場)より本多劇場の方が
広くて動きやすかったのだろうか??
歌もねぇ……
もちろん上手いわけはないのだけど。
元々期待はしてなかったけど。
でも、前回より上手くなってたからびっくりした。

ニューハーフ3人はあんまりそれらしく見えなかった……
いや、別にそんな詳しい訳じゃないんだけど。
劇中で演じてるのが女優だったってこともあろうが、
プログラムについている脚本を読んでも、「歳いった
男性が若い女の発言として書きそうな感じ」の言葉に
見えたのだよな。
演じた3人が下手だったと言ってる訳ではありません。
でも男と女は体型も動きも違うし、あれで男を自称
されてもねぇ……
それと、戦場での過酷な体験から「オス」であることが
つくづくイヤになった→「男を降りる」というところ
まではまぁいいとして、ゲイってのは「なる」もんかね、
という疑問は、見てる間ずっと消えなかった。

とはいえ、ご老体パワーが炸裂しているさまを見ていると、
「まぁ、よろしいでしょう」と流してしまいたくなった
のが正直なとこなんだけどね。

バンチシリーズはとりあえず終わるとして。
また芝居やってくれないかな、この一座。
万難排して見に行きます。

2009年2月10日 (火)

寸評・二月大歌舞伎(昼の部)

「菅原伝授手習鑑  加茂堤・賀の祝」

これを見ると「おいらは知らぬ」というフレーズが
マイブームになるのであった。
何でもこれで片付けられたら楽だなぁ。

それにしても。
なにぶん歌舞伎だで、細かいことは言いたくないが、
「三つ子」という設定で
橋之助
染五郎
松緑
を並べるのはいかがなものかと。
一人一人はともかく。

でもってその妻に
福助
芝雀
扇雀
って、夫と世代が合わないじゃないか!
ビジュアル的にかなりきつい……
目にフィルター必須。

*********************

「京鹿子娘二人道成寺」

2度目ではあるが、これが目当てで参りました
ですな。
やはし華やかでよろしおすな。
菊之助はホントに可愛らしいし、
大和屋の動きは本当にキレイで見とれます。

個人的には、最後の鐘に取り付くところの
衣装は鱗模様で決めていただきたかった。
それと……
菊之助が格段の進歩を遂げてからの上演でも
よかったかもな、と思いつつ、でも、それで
今の勢いや美しさがなくなってしまうのもな、
とも思い。
難しいものでござるよ。

*********************

「人情噺文七元結」

えったった一日でそんな、なんて野暮をいっちゃ
いけない。
ハッピーな話なんだから、素直に楽しめばよいので
ある。
菊之助の、涙を浮かべての熱演には泣かされたし。

菊五郎の長兵衛は達者なんだが、無邪気さはさほど
感じられないので、時に「ホントは分かって言って
るんじゃないのか」と思ったりもする。
役者の愛嬌について考えさせられた次第。

個人的にはとぼけた手代の團蔵にツボりました。

2009年2月 7日 (土)

「ジンガロ ~バトゥータ~」を見た(その2)。

馬はホントに賢い。
音楽に合わせて走って、人間と息合わせて、最後
引っ込む時も、誰に何を言われるわけでもないのに
ちゃんと1頭ずつ順番に並んで走っていくのだ。
合間に水浴びしたり、背中を砂にこすり付けて
ごろごろしたりするのが可愛い。
猫も馬も腹を出すのだなぁ……(妙な感心)
人を押しのけて出入りし、トイレの順番も守れない
ニンゲン様に見習ってもらいたいものである。マジで。

サーカス、着ぐるみのクマ(イイ性格で可愛い)の
コメディ、結婚式や食卓、風呂、寝室、葬式などの
様子が次々出てくる「人生馬車」(私的呼称)などなど、
次々に展開されるアクロバットに見とれてるうちに
時間になってしまう。
いやぁ、ホントに。
騎馬文化からしか生まれ得ないであろう、馬と人が
一体化してのパフォーマンス。
異文化だ……
ため息が出る。

花嫁のベールを風船で持ち上げているのがとてもキレイ
だった。
どうして途中で絡まらないのだろう。
疾走シーンのような派手さがないせいか客席はさほど
反応していなかったが、ホントはあれ、すごい技だと
思う。

会場は早くから開いているが、馬のためもあって、
客席へは15分前ぐらいにならないと入れない。
場内はやたら広く(でも席は別に広くない、というか
むしろ狭い。ゆえにコートを脱ぐ時等に周りの人を
打ってしまう可能性がかなり高い。御注意あれ)、
照明は暗い。そして当然のことながら
大 混 み
である。
なにぶん15分しかないから皆気が急くのだろうが、階段
付近は朝のラッシュアワー並みに混む。
こういう時、人間性が出るよねぇ。
あまりみっともない真似はしたくないもんです。
馬には敵わないまでも、ヒトとしてね。

あ、ちなみに、隣の東京都現代美術館は休館中っす。
せっかく行ったんだから見ようかなと思ったら、
やってなかった……

「ジンガロ」バトゥータ

1/24~3/26/09
木場公園内ジンガロ特設シアター 

2009年2月 6日 (金)

「ジンガロ~バトゥータ~」を見た。

いやいやいやいや。
1時間半あっという間。
馬可愛い。
でもって、ラテンな人たちのセンスには敵わん。
衣装も、ルーマニアのバンドによる音楽も
素晴らしかった。

しかしけらいは勘違いをしていた。
「騎馬ミュージカル」と聞いていたから、てっきり
物語があるのだと思っていたのだ。
でも会場は円形らしいし、ってことは字幕は
でないのか、いや馬は喋らないからマイムで進む
のかな、理解できるだろうか、などと思っていた
のだが。
これはあくまで馬上パフォーマンスであって、
ミュージカルって訳じゃないんですね。
失礼失礼。

聞くところによると1800人近く入るという
すり鉢状の円形特設ステージ。パフォーマンスは
中央の馬場で展開される。
馬場の真ん中に、天井から水が落ちている。
水は常時流れていて、多分馬が走ることで埃や砂が
飛ぶからだと思うのだけれども、その水にいろいろな
色のライトを当てて、まるで舞台装置の一部のように
してしまう辺り、本当に美しく、洒落ている。

見ていると、乗馬がいたく簡単なことのように
思えてくる。
だってさ、
走ってる馬に飛び乗る。
走ってる馬から飛び降りる。
馬上で立つ。
馬上で寝る。
馬上で片手。
馬上に2人立つ。
馬上で踊る。
馬上で宙返り。
馬の胴で前まわり。
馬上から、地面に落ちてるものを拾う。
なんてことを、いとも簡単にやってのけるんだもん。

冷静に考えたら、馬上で座ってるだけでも結構
大変なことだと分かるのだが、あまりに軽々
こなしているから、何か自分にも出来そうな気に
なってくる。←絶対ない
(先日見た「ジェラシー」で、乗馬に苦労すると
いう台詞があったのを思い出した)
そして、こんだけ上で人に動かれても平気な馬も
すごいと思ったのだった。

長くなりそうなので、続く。

2009年2月 5日 (木)

「宋家の三姉妹」@サンシャイン劇場を見た(その2)。

3人の出演者は、まぁ多少噛んだりもしたが、
長台詞をおおむね危なげなくこなしていた。
チャイナドレスを着こなすプロポーションも
さすがだと思った。
3人の会話時と1人語りの時にちゃんと雰囲気が
変わっていて、でもきちんと筋が通っているから
「同じ人物」に見えるのもいいと思った。
1人芝居のところは台詞もいいし、その前後より
ずっと面白いんだよな。

そうそう。
今更だが、3姉妹を演じているのは、全員宝塚の
卒業生である。
劇場内には元ファン(彼女たちが生徒だった頃の
ファン)と、おそらく今もファンであろう人々が
大勢いた。
客席の平均年齢はやや高め。

皆さん、どうなさったんでしょう。

政治の話は退屈かも知れない。
一人語りは地味かも知れない。

でも、ここは劇場な訳で、みんな自らの意志で
劇場に来てるわけだよね、もう大人なんだから。
(仮に誘われてお付き合いで来てるとしても、
最終的に「行く」と決めたのは自分、って人が
大半だよね)

「ねぇこれいつ終わるの」「ずっとこんな
調子なのかしら」と声に出して言う人、
(親に無理やり連れてこられた幼稚園児か?)
時間を見たいのか携帯電話を開いて液晶を
光らせる人、もちろん着メロ鳴らす人も複数、
「うるさい静かにしろ!」と叫ぶ男性まで
(うるさいのは誰だ)。

カーテンコールで京胡奏者・呉俊汝のソロが
あった。
ら、
一緒になって歌い出した客がいたのだ!
力いっぱい音が外れていた訳だが、始めから
終わりまで歌い続けたのであった。
そして終わった瞬間立ち上がり、「CD売ってる
わよね」「買いに行きましょう!」と叫んで
周囲を突き飛ばし駆け去ったのをこの目で
見た……

今年に入ってから、「客席で歌う宝塚ファン」
と遭遇するのはこれで2度目である。
理屈にあわないと分かっていても、偏見を
持たずにはいられない。

なんて行儀が悪いんだ、宝塚ファンってのは!

うちでスカステ(専用チャンネルのことだす)
でも見ててくれ。
外に出てきてくださるな。頼むよ。

ついでに。
開演10分前になっても、会場入口は長蛇の列。
何があったのかは知らないが、Y新聞の窓口では
おねーさんが誠意なく頭下げてたりして、
全般的にダメダメな感じであった。
ちょっと手際が悪すぎるのでは……

「宋家の三姉妹」
1月29日~2月1日 サンシャイン劇場

2009年2月 4日 (水)

「宋家の三姉妹」@サンシャイン劇場を見た。

文字通り、宋家の3人の娘たちの物語である。
激動の19世紀末中国に生まれた3人は上海で育ち、
長女は孔子の末裔に、
次女は革命の父・孫文に、
三女は中華民国初代総統・蒋介石に
それぞれ嫁いだ。
これが実話なんだからとてつもない。

出演者は3人、プラス京胡の生演奏。
ということは、3人の軌跡を時系列で描いた同名の
映画とはまったく違うものになるんだろうなぁと
期待していった。

……の、だが。

えーと。
まず、構成なのだが、
この芝居は三女の美齢が106歳で天に召され、
先に逝った2人の姉と再会するシーンから始まる。
懐かしさに顔をほころばせる姉妹ではあったが、
思い出話をするうちにちょっと剣呑な雰囲気と
なり、誰もが折れずに(!)いったん解散。
その後長女靄齢、次女慶齢、そして美齢が
1人ずつ登場し、それぞれの「秘密」を語る。
(ここはつまり1人芝居な訳です)

最後に冒頭のシーンが繰り返され、揉めようが
対立しようが変わらない姉妹の絆が強調されて
終わり。

とまあ、こんな感じの作りなのだが。

そもそもの「天国での再会」が、分かった
ようでハッキリ分からない。
ま、チラシに書いてあるから事前に見てれば
わかるのだが。
今はいつ、ここはどこ?がすらっと伝わらない。
これはイカンのではないかと思う。

更に。
何せ中国近現代史の中枢にいた姉妹である。
彼女たちの人生は政治とは切り離せない。
とはいえ、台詞で歴史的背景を語るのも妙
だからか、特に前半、またしても字幕が出る。
当時の状況が文章でずらずら書かれ、役者は
その間踊ったりしている。

この字幕が、結構読みづらかったのだな。

けらいは矯正視力1.0だが、後方席では文字が
読めず、オペラグラスを使う羽目になった。
当然、その間役者たちの動きは見えない。
結構イライラさせられる。

それでも、個人的にはこの辺の時代は好きで
それなりに本も読んだから、行の初めを見たら
「ああ、あのことか」と思って全部読まずに
いても何とかなったが、歴史に詳しくない人は
追い切れないと思うんだよね。

これ、字幕ではなく、台詞で処理できたのでは
ないかと思うのだが……

けらいの後ろの席では、
「あんな小さい字の字幕読めない」
「じゃあアタシが読んであげる。えーと、
『昔、中国に3人の姉妹がいた……』」
というやりとりが聞かれた。
ちなみにこのご婦人、始めから終わりまで
全部、字幕を声に出して読んでくださった。

また、3姉妹の1人語りの場面で、台詞がそっくり
字幕で出てくるのも妙だと思う。
聴覚障害のある人へのフォローとも思えないし
(時代背景を説明する字幕よりも字が小さい)。
ただの飾りなのかもしれないが、役者がちょっと
言い間違えたのが分かるぐらいで、あまり意味が
なかったと思う。

あ、長くなりそうだ。
とりあえず、続く。

2009年1月27日 (火)

寸評・「ジェラシー」

こちらがチケットを取った芝居。

昨日の「ミッシング・ハーフ」の前日譚という位置づけで、
主人公……名前ないと書きにくいな、万里江だ……は
上海に来て日が浅い(でもそれなりになじんでいる)。
今度の主人公は川島芳子。
清朝の王女として生まれ、大陸浪人の養女となって
日本で育ち、「男装の麗人」といわれもてはやされ、
最後は漢奸として処刑された、とされる女性である。

川島芳子の愛人である陸軍将校が、東京から作家を
呼びつけた。
彼女の物語を書かせるためである。
「戦意高揚に結びつくような」という条件付きで。
だがワガママで気ままな芳子をどうしても好きに
なれない作家は、キャバレーで知り合った万里江の
家に逃げ込む。
逃げるものは追うのが芳子の性格である。
かくして万里江の家は芳子とその周辺の人たちの
たまり場になってしまうのだった。

大勢の人が出入りするのに余計なドタバタ感が
ないのがいいなあと思った。
似たような場面を重ねることによって、状況が
変わったことが際立つのも面白い。
台詞が多少説明っぽいのはOKだろう。
時代背景をいわなきゃならないってことで。
もちろん他の役もそうなのだが、特に「川島芳子
らしい」役者がいないと成立しない話だと思う。
奔放で大胆でワガママで子供っぽくて嘘つきで
繊細で本当に孤独な。
で、今回の作品に関していえば、「大いにアリ」
だと思った。

ここで描かれる万里江はバランスが取れてる感じで、
上海着後すぐに新しい場所で別の生き方をした経験が
あるのに、なんで後にグロリア・スワンソンに
なっちゃうんだ、と思わないでもない。
和製スワンソンは本家本元と比べたらずいぶんマイルド
だから、無理があるとはいえないが。

中国語はまあともかく(^^;;;、面白かったよ!

ps
作・演出・主演の関根信一氏をどっかで見た
……と思ったら、「非戦の会」のリーディングに
出てた人だ!
見たい劇団が増殖していくのは困るような、
楽しいような……

2009年1月26日 (月)

寸評・「ミッシング・ハーフ」

「日本人はなんで昔の上海が好きなのか」
と、上海の人に訊かれたことがある。

理由は分からない。
が、けらいもご多分に洩れず、オールド上海と
聞くとわくわくするクチである。

30年代上海を舞台にした芝居をやるというので
チケットをとった。
ら、公演は2本立てで、一方を取ったら他方の
ゲネプロにご招待いただけた。
わーい。
ということで、こちらはゲネプロ観劇である。

映画はサイレントからトーキーの時代を迎えた。
女性が「女優」として、舞台や映画に出演する
ようになった。
仕事を失ったのは、それまで女の役を演じていた
「女形」たちである。

デートリッヒに憧れて女形になった主人公は、
銀幕で居場所を失ってからも夢を諦めることが
出来ずに、上海へ渡った。
そして9年。
ある日、主人公の家に、いきなり青年が飛び込んで
くる。
情けない理由で職を失い、国を失い、上海へと
逃げてきた青年は、実は主人公にとって因縁深い
人物であることが分かる。
主人公は手違いで青年に怪我を負わせてしまい、
彼を匿うことになるのだった。

登場人物は7人だが役者は3人。
主人公と青年以外のすべての役を1人が演じる。
(これはすごいことだ。最後の甘粕と紀伊国屋が
若干被った感じだったけど、それは許容範囲内だと
思う。甘粕はもうちょっと穏やかに喋った方が
却って怖かったのではないかと思うが……)

話の展開はまぁだいたいわかる訳だが、登場人物の
会話にひねりがあって面白い。
主人公と青年のつながりもちゃんと考えられていて、
ご都合主義には見えないし。

公演始まったばっかりなのでネタバレはしないが、
主人公はつまり、
「雨に唄えば」のリナであり、
「サンセット大通り」のノーマ・デズモンドであり、
「蜘蛛女のキス」のモリーナであり、
「毛皮のマリー」のマリーであり、
そしてもちろん「モロッコ」のアミィ、
なのだよね。

「見たときより面白かったから」という青年の台詞に
深く頷く。
ゲネプロだから時々台詞が……なんてこともあったが、
再演ということもあっておおむね滑らかな進行。

面白かったです。

劇団フライングステージ「ミッシング・ハーフ」
下北駅前劇場
1/24~2/1/09

2009年1月19日 (月)

『血のつながり』@「劇」小劇場を見た(その2)。

繰り返すが、面白い芝居だった。

で。
とても正直に言うと、「予想通り面白かった
けど、戯曲読んだ時の方がもっと面白かった
かも」
と思った次第。

直接的な理由はいくつかある。

文字で読んだ時は、リッツィーの周りの壁が
とても厚く、高く見えたのね。
こういう言い方は乱暴なのだが、「進歩的で
頭の回転が早いが現実的な問題処理能力は
持ち合わせないお嬢様育ち」のリッツィーが、
実際的な力をもつ周囲の「大人」たちの悪意
なき無理解に抑圧され、追い詰められて犯行に
及んだ(かもしれない)、と読んだ。

今回の芝居では、まずリッツィーと女優が
同世代に見える。(実際そうなわけだが)
また、リッツィーを演じる「女優」とその周りの
年齢差がほとんどない。

劇中のリッツィーはよく大声をあげ、騒ぎ、
それでも受け入れられなくて玉砕する。
何度も。
彼女が極端なことを言うのは、ひとつには誰も
彼女の言うことをちゃんと聞き、相手になって
くれないからである。
普通に喋ったら誰も聞いてくれない。
だから大きな声になる。
(大声出しても結果としては同じなんだけどね)

リッツィーと周りの力が拮抗していて、彼女が
力一杯叫んだら、そりゃただの喧しくて変わった人
である。
正直に言って、ここまでエキセントリックだと
存在自体が迷惑だろうと思ってしまい、あまり
リッツィーに同情できなかったのだよな。

100年以上前のアメリカの話なのだが、イマイチ
それらしく見えないところもあった(曖昧な
言い方だが、具体的にどこと指摘できない。1回
見ただけだから。ただなんか違和感が残ったって
だけで。スミマセン)、ということもある。
大きな劇団でもプロデュース公演でもよくある
ことだけどね。
こういうところ、翻訳物は難しい。

と、
さんざ言ってきて何ですが、楽しめたんだってば。
ホントですからね。
おーけー?

うんと細かいことを言えば、リッツィーの台詞に
「パパ」と「お父様」が混在するのが気になったが、
妖怪重箱隅突きと呼ばれそうなので止めておきます。

2009年1月18日 (日)

『血のつながり』@「劇」小劇場を見た。

スミマセン、こっちは今日までだった……

19世紀末、夏。
ボストン郊外の農場で、夫婦が惨殺されるという
事件があった。
手斧の乱打による頭蓋粉砕により、被害者は
2名とも即死。

殺人の容疑者であった被害者の次女リッツィーは
証拠不十分で不起訴となり、事件は迷宮入りした。

実際にあった出来事である。

犯人は未だに分からない。
だが、リッツィーへの疑惑は残り、その後、彼女を
題材にした物語が多く生まれた。
本作はそのひとつであり、1981年度のカナダ総監賞
(最優秀創作戯曲)を受賞した作品である。

重苦しい話だとお思いでしょう。
エエその通り、緊迫感に満ちた物語なんである。

多くの人の価値観が保守的であった頃の話である。
強権的な父、
世知に長けた義母とその弟、
優等生の姉、
そして自由に生きたいと思いながらそれが出来ない
妹娘。
皆、相手を心底憎んでいるわけではないのに、
お互いの違いをどうしても受け入れられず、だからと
いって離れることもならず、追い詰め合っていく。

本作には仕掛けがあって、「歳取ったリッツィーの
元を訪れた女優が、事件当時のリッツィーになりきる
ことで事件の真相を掴もうとする」ための劇中劇が
繰り広げられる。
リッツィー本人は、彼女の家にいた召使いを演じる
んである。
これが面白い。

舞台の中央に家族4人のためのテーブルが置かれ、
下手にはリッツィーの大事にしている鳩の小屋、
上手には紗幕がかかっていて、その後ろに椅子が
置かれている(途中のシーンでは幕が引かれ、
椅子が直接観客の目に触れる)。
幕の背後には「その場にいない家族を演じる役者」
が座っていて、ハッキリではないがその姿が見える。

リッツィーと女優しかいないはずのこの部屋で、
誰がそれ以外の人間を演じているのか。
彼らはそこに「いる」のか。
何だかよく分からないが不気味である。

よく出来た戯曲は面白い。
当たり前だけどホントにそうなんである。

芝居はねぇ、やっぱり本がよくないとねぇ。

ということで、面白かったです。
会場はむちゃくちゃ混んでて、コートを脱ぐ
こともままならない感じだったが、むべなるかな。

で。

……いや、長くなったので、続きは明日。

2009年1月17日 (土)

寸評・「in fantasioso」

明日までの公演でスミマセヌ。

時は大正時代。
(あんまりそう見えなかったが……ぼそり)
とあるお金持ち一族が所有する山に、実は良質の
石炭が眠っているということが分かった。
ところが、開発工事は奇妙な事故に妨げられて
ばかり。
妖怪の噂に怯えた現場担当者は逃げてしまった。
困り果てた跡取り息子は霊媒師にすがることにした。
この霊媒師、実はただの詐欺師。
旧知の仲のゴシップ記者と共に山へ入り、適当な
ことを言って金をふんだくろうとする。

ところで、霊媒師とゴシップ記者は、実は過去に
不思議な体験をしていて……

と、大まかにいえばこんな話。

不思議の国のアリスと夏の夜の夢が合わさった
ようなファンタジーで、コメディと見せかけて
最後はブラック。

面白かったよ。

一つ一つのパーツはさほど珍しくないし、多少
やり過ぎの人もいなくはないが、伏線は最後に
ちゃんと収束するし、みんながのびのびと楽しんで
ホラをふいているのが楽しい。

ただ、「大正時代」というなら衣装はもうちょっと
それらしくしてもよかったのでは……

『in fantasioso』
09/1/14~18
吉祥寺シアター

2009年1月12日 (月)

寸評・「ドロウジー・シャペロン」

見てきました。
ノンストップ約100分、楽しい時間であった。

実のところあんまり幸せではない一人の男が、
母親から貰ったという古き良きミュージカルの
実況レコードを聞いている。
彼は舞台を見てはいない。
だがレコードはそれこそすり切れるぐらい聴いて、
細かいところまで覚えている。
本やネットで当時のことを調べもした。
で、頭の中で舞台を想像し、一人楽しんでいる
のだった。
そのミュージカルこそが「ドロウジー・シャペロン」
……という入れ子構造になった舞台なのであるが、
この舞台が架空の作品であるということが、特に
後半見えづらくなる。
それがラストシーンでの躓きになってしまうのは
ちと残念である。
いや、男の頭の中の舞台が面白いので、ついうっかり
作品に入り込んでしまうんだよね。
それと、やっぱり、こっちは知らないから。
「知らなかったがブロードウェイでは20年代に
こういうミュージカル作品があって、すごく
流行ったのか」と思ってしまうというか。
さすがに同国人であれば、たとえ20年代に生まれて
なかったとしても「そんなヒット作品ないから」
「そういう名前の役者はいなかった」ということを
頭のどこかで覚えてられると思うのだが。
その辺、外国人は欺されてしまうね。

たわいない物語、分かり易いキャラクター、
気持ちのいいナンバー、そして狂言回しの男が
ぽろっと洩らす今のミュージカルへの皮肉。

そうそう、そうなんだよ。
気楽に笑ってられるんだけど、最後はちょっと
ほろっとさせられる。
いいねえ。

心配していたヒロインの歌は、まぁ上手いとは
言えないが、無理な高音がないなど比較的アラが
目立たないように作られていて、そこそこ聞かせた。
やっぱりスタァの役はスタァにやって貰わないと。
正直、歌の上手い小地味な俳優に出てこられてもな。
(しかし藤原紀香というのは真面目に頑張っている
のが見える女優である……前に見た時も思ったが)

さすが日本のミュージカル公演だけあって、実力
充分の人たちと、そうではない人たちが混在する
舞台であったのは確か。
(というか、日本のミュージカルは「歌える人も
出てる」レベルのものがあまりに多い……)
全員が歌えたらきっともっと素晴らしかったの
だろうとは思うが、楽しかったからいいです。

追記。
藤原紀香の開脚がエライ注目されているようだが、
そういう舞台じゃないと思うんだけどなぁ。
てか、180度開脚ぐらいで騒がんでも。
けらいだって出来るぞ。
(だから何だ)

「ドロウジー・シャペロン」
2009/1/5~29  日生劇場 
(長崎、愛知公演あり)

2008年12月24日 (水)

「RENT」@シアタークリエのこと・補遺。

えー、今更11月に見たものの話で恐縮ですが。
酷評して言いっぱなしだったので、一応説明を。

言わずもがなだが、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』
をベースに、80年代末ニューヨークの若者たちの姿を描く
ミュージカルである。

曲はどれも本当にいいと思う。
そして難しい。
おそらくそのせいだろうが、日本上演版は前回も今回も
「役者」より「歌手」が多く配役されている。
(確かに日本ミュージカル界の歌唱力はお寒いからな……
歌える人「も」出てる、ぐらいで)
とはいえ、ミュージカルの歌詞は「台詞」でもある。
正しく歌えるだけでは状況が伝わらない。
つまり、
歌もいいけど芝居もしてくれなきゃなぁ
ということなんですね。

劇場の音響やらオケとのバランスやら要因は色々
あろうが、文化がまったく違うって事も大きいと
思うが、細かい状況がよく分からないのだよ。
怒鳴りあってりゃ揉めてるんだな、ぐらいのことは
もちろん分かるが、何が原因でどうしてこんなことに、
ということが見えない。
これがフラストレーションになる。
ちなみに、
・ロジャーとミミの出会いのシーンのロウソクが
ドラッグのための道具だったこと、
・2幕目の頭で、マークたちがベニーによって部屋から
締め出され、窓から入り込もうとしたこと
・2幕目でミミとロジャーが揉めて破局した原因
・金のことばかり言ってたベニーが、途中から「親切な
みんなの財布」に変身する理由
・マークが、モーリーンのパフォーマンスの撮影に
よって才能を認められ、意に染まない仕事を得たこと
・楽器を手放したロジャーがホントにサンタフェに
行ったのかどうか
が、けらいには分からなかった。

さらに言えば、ロジャーが頑なになっている理由も、
HIVや元恋人の自殺という事情は分かるものの、
「だからってなんでそこまで?」というところまでは
伝わらず、感情移入も共感もまったく出来なかった
んだよな。
それに、2幕目中盤でエンジェルが死亡した後、また
ミミがHIVで倒れて、ってのが同パターンに見えて
くどいと思った。
で、キミ一人生き返るのか、ヒロイン?
なんだかなぁ。

文化が違うと理解できない等と視野の狭いことは言いたく
ないが、日本でこの作品を「実感もって」見る観客って
どのぐらいいるんだろうか。
語られている思想ではなく、描かれている事象を
肌で感じているかどうかって意味なんだが。
なんかね、カッコいい、だけで盛り上がってエエんか
この芝居、と思ってしまうんだよな。
そりゃもちろんエンターテインメントなんだし、どう
楽しもうが受け手の自由ではあるわけだが、日本版だと
エスニック・マイノリティの姿も見えにくくなってるし……
全般的に、ノリ切れなかった。
(ついでに、ドラァグクイーンがあのカッコってのは
ちょっとないんじゃないのか……)

フィクションの輸入はなかなかに難しいなと思う
次第であります。

2008年12月20日 (土)

寸評「ソウル・オペラ『魔笛』」

昔の話と今の話が混在してスミマセン。
これはつい最近の話です。

「魔笛」
けらいは音楽には暗い。
聞くのは好きだが、NO MUSIC NO LIFE、というような
人間ではない。
もちろん、オペラなどただの一度も見たことない。
にもかかわらず、チラシを見たら何か行く気になった。

南アフリカ発の「魔笛」である。
オペラなのにマリンバやアフリカンドラムが使われ、
皆裸足で歌い踊る。
正直、話の展開はさっぱり分からなかった。
よくよく聞けば英語だったのだが(でもあのオペラ
歌唱だと聞き取れないよう)。字幕も出ていたのだが。
魔笛ってタイトルにもなってるぐらいなのに、あんま
重要なアイテムじゃないんだな?
パパゲーナはどっから出てきたんじゃ?
まぁ、物語なんかどーだっていいんだろうな。
オペラなんだから、歌を聞かせればそれで。←偏見?

全編祭りのようだった。
むやみに楽しくなってテンションがあがる。
勢い余って終演後にCD買ってしまったぐらいだ。
人類発祥の地はアフリカという。
いったいどの時点でこのリズム感をなくしてしまった
のだろう、日本人。

「もしや楽器のチューニングはされてないのか?」
「この人とこの人ハモってなくないか?」等
思う場面も実は結構あったのだが、聞いてるうちに
「細かいことはイイや」と思えるようになった。

客席は比較的おとなしく(それも相場が分からんが)、
これでノリノリになったらもっと盛り上がるだろうなと
思うとちと残念。
まぁ、けらいが見たのは幕開いたばっかな時だったしな。

2008年12/13(土)~23日(火・祝)
ソウル・オペラ「魔笛」
東京国際フォーラムホールC

2008年12月19日 (金)

寸評・「12人」

裁判員制度始まりますねぇ。
充分議論しないまま導入ってのは、よろしくないように
思うのだけれども……
ってことで、陪審員制度をテーマにした芝居を見てきた。
タイトルから分かるように、「12人の怒れる男達」の
平成日本バージョンである。

けらいは元の映画もその翻案も見ていない。
ゆえに比較は出来ないが、有名な作品ではあるので、
結末は知っている。
知らなくてもだいたいの見当はつくが。
スミマセンねスレた観客で。
それでも充分に楽しめる。
よく出来た物語というのはそういうものだと思う。
わかってたって面白いのだ。
あのラスト(ご存じない方のために伏せます)に向けて、
議論がどうなっていくのか?
気の抜けない90分(もうちょっとあったかな?)であった。

客席が舞台の両側に設定されていて、「話し合いの現場を
外から見ている」ような作りになっていたのが面白い。
狭いし混んでたし出入りは大変だったが。

ちと気になったのは、
・はっきりしてはいないが、理屈っぽいのは男性、感情的
なのは女性、という大まかな区分けがあったこと、
・「明らかに嫌なヤツ」2人が同意見であること、
の2つ。
何となく、なんだけどね。
考えすぎといわれたらそうなのかもしれないと思うレベル
なのだが。
一方に流そうとしてるのかなこれは、と思わせる部分が
あって、分かりやすいとはいえ、ちょっと残念だった。

それと、舞台は夏という設定で、みんなが暑がるのがどーも。
実際の気候とリンクしてなきゃイカンとは言わないが、
なにぶん真冬なので、ちょっとぴんと来ない感じ。
冬に上演するの分かってたんじゃないのだろうか……

とはいえ、見て考える価値は充分あるテーマだと思う。
出演者も、「いるだろうなこういう人」と思わせる好演。
期間短いけど、お時間あればぜひ。

Plug-In presents Volume 5『12人』
2008年12/17~21(日)
劇場MOMO

2008年12月16日 (火)

寸評・「破れ傘長庵」「空の定義」「12月歌舞伎(昼の部)」

「破れ傘長庵」
終わってしまった公演でスミマセン。

金のためなら身内も殺す町医者の長庵がついにお縄に
かかるまでを描く芝居である。
この手のピカレスクは、悪者に共感するわけでもない
のに、正義を振りかざして復讐を誓ういいもんが
つまらなく見えるのはどうしてだろう?

江戸糸あやつり人形芝居である。
結城座を見るのは初めてだが、文楽とは違い、語りと
人形遣いが同じ人物で、複数の役を演じている人も
あるようだ。
シアタートラムは大きな劇場では決してないのだが、
人形が小さいので、世界がちょっと遠い感じであった。
でも、人形の演技は人のそれとは違って好きだ。
顔もキレイで。

面白いのは、人形の中で一人だけ生身の俳優・串田
和美が長庵を演じていること。
かなりのサイズ差にも関わらず、見ているうちに
違和感がなくなるんだよな。

歌はいらないかとも思ったが、次も行こうっと。

Choan

結城座 江戸糸あやつり人形芝居 
『平成のぞきからくり 破れ傘長庵』
2008年12/10(水)~12/14(日)
シアタートラム

***********************

「空の定義」

マスター1人が経営する昔ながらの喫茶店を舞台にした
家庭劇……一応……である。
キーワードは「革命」
この時点でフツーじゃないな……

マスターの妻はかつて革命を目指して夫と娘を捨てた。
長じた娘は妊娠中、舞い込んだアメリカ留学の話を
受けるか迷っている。
どこかにいそうな人々が日常的な会話を重ねているのに、
ぽん、と非日常が飛び出すのが、そして驚きつつどこかで
「ああ、そういうこともあるか」と思えるところが面白い。
理想を言葉で語るのは難しい。
革命には正直興味も関心もないし、特に誰かに共感する
訳でもないのに、身近な人たちの話を聞いているようで
すっかり話に入り込んでしまった。

12/11(木)~21(日)
俳優座劇場

*********************

十二月大歌舞伎・昼の部
一、新歌舞伎十八番の内 高時
鎌倉の話になっているが、明らかに生類憐れみの令への
抗議話になっている。
後の時代の人間が好きなことを言ってるようで、何か
乗り切れません。
そりゃあね、昔の常識を後から批判するのは簡単だろうさ。
「人は万物の長」「人類の命は獣より大事」ってのも
どうかと思うよ。
人間ってのはそんなにエライもんかね?
梅玉に暴君ってのはあんまり似合わないような。

二、京鹿子娘道成寺 鐘供養の場
白拍子花子は三津五郎。
踊りは上手い、んだろう(よく分からない、正直)が、
なんつーか地味っつーか白拍子には見えんっつーか。

三、東山桜荘子 佐倉義民伝

領民の窮状を訴え家族もろとも処刑されてしまう、
正義の名主の悲劇である。
史実はかなり悲惨で、聞くのがツライ話であるが、
芝居はひたすら家族劇だった。
あの……
直訴の決意を胸に、死をも覚悟して郷里に戻ってきた
男、の割に、宗吾、何かと声が高くありませんか。
真夜中に渡し守、あるいは妻子を相手に、でっかい
声で語りすぎ。
死にたいのかオイ、と突っ込みたくなる箇所多数。
泣かせ場面も長いしなぁ……
直訴相手の将軍様と顔そっくりだしさ……
(イヤ、それ言うのはルール違反なのだが、でも
似てちゃイカンだろ、やっぱり)

段四郎、台詞覚えような?

2008年12/2(火)~26(金)

Kabuki1 この外見がなくなるのは惜しいか。

でも狭いし柱邪魔だし、使いにくいのは事実なんだよな。

Kabuki2あ、てかってしまった……

2008年12月13日 (土)

「病は気から~想ひ出の街 西品川二丁目物語~」』@シアターΧを見た。

シアターΧ+日本ろう者劇団提携公演である。

手話による芝居を、生まれてはじめて見た。

実は大昔、手話を習いたいという下心を持って
ボランティア活動に参加したことがある。
あいにく教えてもらえなかった……
手話のレッスンは常時開催されているわけでは
なかったのだ。
それ聞いた途端、あっさりやめました。
まったく不真面目なガキだった。
その一方で、手で熱弁をふるう若者2人に
山手線内で何度もどつかれ(肩や背中が当たるのだ)、
「おいおい静かに喋れよ!」と思ったことも、
実はある。
未だにまったく解らないにもかかわらず、手話と
いうといろんなことを思い出す。

さて、芝居だ。
舞台上の役者は手話で演技する。
舞台の上手と下手にいる男女が皆の台詞を朗読する。
これで、皆が芝居を楽しめるというわけである。

物語はというと、
天才劇作家モリエールは芝居を書いている。
どうやら稽古が始まっているというのに。
で、舞台美術を頼まれた天才画家ダリは、台本を
まったく読まずに好き勝手に描いた。
ダリの絵に引きずられ、話をまとめられなくなる
モリエール。
途中で登場したライバルのピカソに対抗心を
燃やすダリ。
一方で、「病は気から」の芝居は進んでいる。
しかも舞台は今の?日本に移っている。

……うーむ。
フツーに「病は気から」を上演してはいけなかった
のだろうか?
モリエールとダリのやり取りはそれほど効果が
あったとは思えないし(役者は確かに似てたが)、
日本に移したのに台詞は「修道院」のままだったり
して、違和感があった。
舞台美術が仕上がってるのに台本あがってないのか?
稽古してるわけ?じゃあ演じている彼らは「役者の
役をやっている」のか?
なんだか前提が見えない。

……まぁ、細かいことはいいのだが。

パンフにも書かれていたが、全てが劇団員の
手作りというセットと衣装がとてもステキだった。
ことに後者は、既製服をアレンジしたような
(よく解らんが)ちょっと非日常的なデザイン
なのだが、色といい形といい、とてもキレイ
だったと思う。

手話表現の豊かさを目の当たりにして、
ありきたりな言い方だが感動した。
どうやって拍手したらいいのかが解らなくて
戸惑いもした。
上演中は本当に静かなのだ。
客席の反応(身体の動きとかってことね)が
ほとんど感じられない。
開演前・終演後の客席は本っ当に賑やかだった
ので、正直驚いた。
音がしないのに、反響してる感じだったんだよね。

いやいやいや、知らないことがいっぱいあるよ。
って、分かった訳ではないんだけど。
あちこち出かけてみるものだ。

2008年12月12日 (金)

寸評・「舞台は夢」

新国立劇場中劇場が円形劇場になっていた。
びっくり。
(いや、よく見たらチラシにもちゃんと
書いてあったんだが……)
役者はほとんどセリから出入りしていたようで
ある。
客席が広いから、通路を通って出入りすると
忙しいもんなー。

17世紀に書かれたコルネイユの戯曲である。
家出した息子の行方を捜し、万策尽きた父親が
稀代の魔術師を訪れる。
魔術師は息子の足取りを舞台上に再現してみせる。
ところが……
と、簡単にいってしまえばこんな話。
(ホントに簡単だ)

さすがに展開は古典的だが、それだけに普遍的
でもある。
自信と才覚だけに支えられた二枚目。
美しく勇敢な貴婦人。
機転の利く侍女。
間抜けな求愛者。
頑固な父親。
成功した男が浮気に走る辺りまで、いつの時代の
どこの国でも起こりそうな……

出演もそれぞれの役に嵌まり、テンポもよく、
単純に楽しめました。

ただ、会場が広いので、席によっては物語に
入り込めないかもしれない……
けらいも後方で見たが、舞台が遠かった。
物理的にも、心理的にも。

あと、でっかくそびえる金属の輪のセットには
何か意味があったんでしょうかね?

12/3(水)~23(火) 新国立劇場中劇場

2008年12月 9日 (火)

「山の巨人たち」@新国立劇場を見た。

奇妙な芝居である。

正気と狂気の間を行き来する大女優、
彼女を憎みつつ、その演技に魅せられて集まっている
劇団員。
女優は死んだ詩人の芝居を上演しようとしているが、
これが観客に受け入れられず、彼女を支えるために
夫である伯爵は全てを失った。
詩人は女優を愛し、彼女に作品を捧げ、彼女の
愛を得られずに自殺してしまったのだった。

彼らは嵐に遭い、魔術師の館へたどり着く。
一行を迎えたのは奇妙な人々(軽業の女の子やら
天使を見た女やら)である。
さて。

まずは未完なので、話はぶっつりと切れてしまう。
で、最後はどうなるかというと、「著者が息子に
あてた手紙に書かれた戯曲の構想」がスクリーンに
示される。
それによると、ずいぶん悲惨な終わり方をする
つもりだったらしい。
が、まぁ予定は未定にして決定に非ずってことで、
ホントの所は誰にも分からない。
で、スクリーンに文字が出ている間舞台はどうなって
いるかというと、出演者がいて、でも彼らは無言で、
彼らがその前に言った台詞が録音で流れる。
なかなか幻想的……なんだけど。
スクリーンが見えない(見えにくい)客には
まったく無意味な演出ちゃうかな。
そんな席はないのだろうか?

この公演、ということではなくて、昨今、
「客席前方中央に座ってる客ばっかりじゃねぇん
だよ端の席からじゃ見えないだろうがゴルァ!」
といいたくなるような演出をされる方が
決して珍しくないものですからねホホホ。
観客もついつい疑い深くなるのであります。

で。
未完の上に観念的な芝居なので、「ものがたり」
を期待すると、多分寝ます。
客席のそれなりの部分で首振りが見られました。
意味分かろうとしても、多分辛いと思います。
ぱっと見て聞いたぐらいで解るような内容では
ないと思うので、多分。
(解ると仰るお利口な方には失礼しました)

でも、じゃあつまらないかというと、そんなことは
全然なかった。
膨大な台詞は謎かけのようで、詩のように美しい。
日常レベルの会話を「ナチュラルに」見せるのも
いいが、非現実的な台詞によって架空の世界を
作りだすことも、演劇の魅力のひとつだよなぁ、
としみじみ思った。
そして、それを聞かせる役者の実力もまた、この
舞台を支える大きな力になっていたと思う。
下手な役者は論外として、「それらしさ」、即ち
外見やら雰囲気やら声やら……演じ手が表現の
手段として用いるもの……がなければ、とても
見てはいられなかったと思うから。
ヤオヤというにはあまりに急な、坂のような舞台
にも驚かされた。よくあんな上で立ったり歩いたり
語ったりできるものだ。すごいなぁ。
おや、真面目に語ってしまった。

とはいえ、一部登場人物は出番が来る前に(あるいは
最後までないのだろうか?)話が終わってしまい、
何のためにいるやらイマイチよく分からなかった。
また、魔術師の館に集う人たちはほとんど見せ場が
なく、存在すら認識できない人物もいる。
奇矯で魅力的な設定だけに、彼らの話が展開する前に
終わってしまったのがしみじみ残念である。

久々に頭の違うところを使ったなぁという感じ。
まぁ、確かに、観客を選ぶ舞台だとは思うが……

……古い話でスミマセン。

2008年12月 6日 (土)

「サド公爵夫人」@グローブ座を見た。

たまってきたので手早く。

セットのないヤオヤ舞台で、小道具すらほとんど
使わず、男優の演じるデカイ女たちが饒舌に語る
舞台である。
平たく言えば、「神をも恐れぬSM行為で獄に
繋がれたサド侯爵の貞淑な妻ルネがなぜ夫を
見捨てなかったか、そしていざ夫が釈放された
その時になって、彼を捨てる気になったのか」
という話である。
面白かったよ。
ひとつには、あまり違和感を覚えなかったから。
違う文化圏の人の物語を日本人が描く時、「外人
名を持つ日本人の物語」になってしまうことは
比較的よくある。
別に詳しいわけでもなんでもないのだが、ことに
神を語る台詞に「それってキリスト教の神じゃ
なくて神様仏様の神様じゃないのか」と思う
ケースは多い。
それが、この作品では、皆が神の名を口にはする
ものの、信心深いという設定のシミアーヌ男爵夫人
ですらさほど突っ込んだことをいわないので、
神の解釈が違うのでは、と思わずに済んでいると
いうか。
それともうひとつ。
本作は男性が描く女性の物語だが、異性の手になる
キャラクターは、「それってキミの異性への願望
ちゃうか」といいたくなるような描かれ方をしてる
場合がままある。
あ、「男はこんなこと言わない」「女が解ってない
ね」とかそういう話じゃないよ。
リアリティの有無とはまったく別の次元で。
「そうあって欲しいんだな?」と思わせるような
箇所があると白ける、ということ。
長い長い今回の舞台を見ていて、そういう意味で
引くことはなかった。
ゆえに心安らかに楽しめた、ということなのだと
思う。
さすがに台詞は流麗である。
まあ、役者たちは皆それなりに噛んでいたが……

皆それぞれに役に合っていたと思うが、ルネ(篠井
英介)とその母モントルイユ夫人(加納幸和)が
親子には見えにくいのがちと……
(同世代に見えるに決まってるわけだが)
そして2人とも、特に後者がだが、喋り方が何となく
和もの&世話物っぽい。
なんていうかな、ネオ歌舞伎?(まんまやんか!)

とはいえ、見てる間は充分楽しんだ。
今のグローブ座は不幸にして無茶苦茶見づらい、
割にお高いというとんでもない劇場だが、今回は
幸いにもまぁまぁ見易い席だったから、かも
しれない。

あんま手短にならなかったな。

2008年12月 5日 (金)

寸評・パサジェルカ

第二次世界大戦から16年経ち、ドイツが経済復興を
始めた頃。
大使夫人として南米へ向かう船旅の途中、ヒロインは
1人の女船客を見て過去を思い出す。
彼女はかつてナチ親衛隊隊員としてアウシュビッツに
勤務していて、そのことを夫に話していなかった。
件の客はそのときの囚人にとてもよく似ていたのだった。
……とまぁ、そんな感じの話。

ネタがネタなのでハッピーとは言いがたいが、
そして正直、ラストシーンでありゃ、とならなくもないが、
これが原作のせいなのか脚本のせいなのかはよく解らない。
この劇団、ぶっちゃけ脚本はいつもまずいし、原作を
読んだのはエライ昔なんで。
そして本の表紙を見ると、購入時に
オンライン書店bk1から受け取った無礼極まりないメール
を思い出してヒジョーに不愉快になるので、読み返す
気になれないのだ。
(けらいは怒っている。そして狸のようにしつこい)

話がそれちゃったよ。

色々まずいところはあって、手放しでお勧め!とは
言いにくいが、静かに、だが訴えかける力を持つ作品
だと思うので、機会があればぜひ。

同時上演中の「死の泉」は、皆川博子の小説の舞台化。
これは一部設定が気になるもののとても面白い小説
なのだが、なにぶん長い。
もちろん全部は上演できないわけだが、割と無考えに
エピソードが省略されているので、多分原作読まずに
見ても意味分からないと思う、特に2幕目。
とはいえ、作品と劇団の雰囲気は合っている……と、
思う……ので、まぁ、これはこれでいい、のかも……?
(エライ自信なさげ)
こちらはまぁ、お好きな人にしか勧めませんが。

脚本のレベルアップは急務だと思う。マジ。
演出は割と好きなんだけどな。

ただし、「パサジェルカ」の演出に関しては、
初演と比べたらずいぶんマシになったとはいえ、
まだまだ暗転が多くてイラっとくるが……

劇団Studio Life
「死の泉」「パサジェルカ~女客船~」

東京公演
2008年11月28日(金)~12月14日(日)
天王洲 銀河劇場

●神戸公演
2008年12月19日(金)~12月21日(日)
新神戸オリエンタル劇場

2008年12月 2日 (火)

寸評・「黄金の猿」

劇場は乾燥して埃っぽく、暑かったり寒かったり
する場所である。
風邪っぴきが行ってよい所ではない。
狭い中での咳やくしゃみは、上演中のみならず、
周囲に多大な迷惑を及ぼす。
が、行って好きなもの、面白いものを見るとハイに
なり、なんだか元気になったりする。
芝居好きってのは、まっこと困ったもんである。

ということで、来年の取り壊しに向けてカウント
ダウンに入ったベニサンピットに行ってきました。

いやいや、噂には聞いていたんだが、どえりゃあ
セットであった……
劇団もだが、こんなことが可能なベニサンはすごい。
本水はそれなりの準備が必要だから、逆に
装置の動きがある程度予測できてしまうけど。
(あ、本水の使用量はハンパないです)
あと、ぶっちゃけ歌は要らない……(ぼそ)。

北九州に伝わる九千坊一族の伝説を核に、弱い
ものがさらに弱いものを虐げる差別と暴力の連鎖、
そしてそこからの脱却を描く。
とにかく泥臭くてエネルギッシュ。
上演時間2時間30分という長さを感じさせない。
7日までの公演で、チケットは売り切れているそう
なので、今更ご紹介するのはちと気が引けるが。
当日券は出ると思うので、劇場にすし詰めになって
観てくだされ。

登場人物が多いので、活かしきれてないなと
思う部分もないではないが。
テンションあがるぞ!

「黄金の猿」・・・猿モ、オダテリャ・・・木ニ 登ル・・・
【作】サジキドウジ 【演出】東憲司 【美術】塵芥
2008年11月21日(金)~12月7日(日)
ベニサンピット

2008年11月27日 (木)

『毛皮のマリー』@俳優座を見た。

10月10~12日の、たった3日の公演。

この芝居を見るのは2回目だが、初回は美輪明宏と
麿赤児の印象が強烈過ぎて、話の展開がイマイチ
よくつかめていなかったようである。
(そういう観客はいかがなものか)。

今回はとても分かりやすかった。
理由は、ひとつには「詩人」が台詞を朗読して
しまうから。
全部ではないのだが(でもマリーの台詞は全部)、
文楽のような作りになっていたのが面白かった。
結果、言葉のトーンが安定して、話がすんなり
頭に入ったのだった。
朗読者(吉野悠我)、うまかったしねえ。

とはいえ、美少年と美少女の性別が逆であった
ことにはちと引っかかった。
年齢はいいんです、まぁ。
少年役の方が年上であってもね。
芝居だからさ。
リアリティを追求するような話じゃないし。
でも、美少女=異分子ということが視覚的に
分からないというのはどうなんだろ。
正直、登場後しばらく紋白が誰か分からなかった
んだよね。
(台詞を聞いててやっと気づいた)
男性が演じる美少女・紋白は異形のマリーと
同種(世代は違うが)に見え、ゆえに欣也の世界を
かき乱すものではなくなっていたように思う。

ベテラン女優が演じる少年が迫られて怯えるのも、
「箱入りのまま歳くっちゃった女が外に出られず
びびってる」ように見えたし。
身も蓋もない言い方でスミマセン。

さらにもうひとつ言えば、舞台にはブランコの
女の子やらほとんど全裸(最後の1枚はかろうじて
着けてる)の美女やら、本当の女性がやたらと
いて、それが「マリーの家の特殊性と閉鎖性」を
損なっていたように思う。
美女の亡霊ってのは確か「醜女のマリー」の長台詞の
ところで出てくるんだよね。
あれは女装の男ではなかったか?
(解釈によって、色々ありなんだろうが)

確かに、男性の肉体を曝しながらあくまで女を称する
娼婦マリーの奇矯さは、モノホンの女の裸と並ぶと
際立つけれども。

出演者は滝のような汗をかいていて、舞台に水たまりが
出来ていたよ……
あと、生演奏の音楽が美しくてよかった!

一部出演者の関係者とおぼしき人たちが、ロビーで
学芸会よろしく盛り上がっているのには興ざめしたが。
家帰ってやれって。

2008年11月23日 (日)

寸評・「ア・ラ・カルト」

青山の裏通りにある高級フレンチレストランを
舞台にした寸劇+ショーである。
しゃれてて上品、穏やかに楽しめる、という感じ。

20周年記念公演なのだそうである。
けらいは今回初めて見たのだが、正直なところ、
思ったより内輪受けてなくて驚いた。
前から見てる人には違った楽しみ方があるのかも
知れないが、とりあえず、初めての人間でも
問題なく見ていられる。

回数繰り返せば客席にも「お約束」が増え、一見
さんは居心地の悪い思いをするのが世の常だが。
なかなか立派である。

音楽も素敵だった!やっぱり生演奏はいいなぁ。

ただし、3時間はちと長いかも……(ぼそ)

見終わったらもうクリスマスかと錯覚してしまった。
そんなに早く年の瀬になって貰っては困る……

ア・ラ・カルト
~役者と音楽家のいるレストラン~
20th anniversary
【出演】
高泉淳子 白井晃 陰山泰 + 羽場裕一(visitor)
中西俊博(violin) クリス・シルバースタイン(bass)
竹中俊二(guitar) 林正樹(piano)
ROLLY(special guest 12/19までの平日のみ)

2008年11月22日 (土)

「貴婦人の帰還」@あうるすぽっとを見た(その2)。

イルという男。
かつて彼は恋人に対してひどい真似をした。
そして今、彼はまったく別の方向で、やっぱり彼女を
傷つけている。
それほどの悪意もなしに。

クレーレという女。
彼女はずっとぶれない。
周到に、確実に、望みのものを手に入れる。
その一方で、望むものがどこにもないという事実を、
彼女はちゃんと知っている。

ギュレンの人たちは、清廉潔白とはまぁいえないに
しても、心底悪党というわけではない。
ただ、彼らは困っている。
だから何をしてもいいかというと、話はまた別だ。

食べていくための仕事が欲しい、
かつかつじゃなくて余裕を持って暮らしたい、
欲しいモノもやりたいことも手に入れたい、
出来れば楽に。

多分、誰もが思うことだと思う。
正直な気持ちを形にした結果どうなったか。

通常、正直は「美徳」にカテゴライズされるものだが、
「ホントのところ」が善だなんて保障はどこにもない
のだろうな。

そして、過去を悔いたところで、本当のところは
何の意味もない。
人は過去と決別できるが、過去自体を変えることは
出来ないからね。

コミカルでメルヘン風なのに、恐ろしく悪辣。
すごい作品である。
ホントに長かったけど(くどいな)、見てよかった。
面白かったです。

2008年11月21日 (金)

「貴婦人の帰還」@あうるすぽっとを見た。

寸評にも書きましたが、面白かったっすよ。

どういう話かというと、

長く続く経済不況で瀕死状態にある町・ギュレン。
そこへ、この町の出身で、複数回の結婚によって
世界有数の財産家になったクレーレ・ザッハナシアンが
里帰りするという知らせが入る。
あわよくば寄付を、そこまではなくてもせめて投資を、
彼女から引き出そうと企む町の人々。
7番目の夫その他謎の男たちを引き連れて、クレーレは
帰ってきた。
そして故郷への莫大な寄付を申し出た。
ただし、ひとつだけ条件があった。

かつてクレーレにはイルという恋人がいた。
彼は妊娠中のクレーレを捨てて店つきの娘と結婚した。
父親としての責任を逃れるために、金で偽の証人を雇って。

クレーレが出した条件とは正義。
すなわち自分を裏切ったイルの死であった。

さて、町の人たちはどうするか。

ドイツと思しき架空の町で、やや時代がかった姿の人々が
右往左往する。
(でも衛星放送あるし、アメリカの大統領はブッシュ
なんだよ)
登場人物の一部をダンボール彫刻が演じているのも含め、
リアリティはないけど、でも、妙にリアルで面白い。

前にも書いたが、この芝居はとても長い。
でも、「罠」同様、要らないシーンがないのだ。
いやいやいやいや。
すごいねぇきっちり作られた戯曲は。

続く。

2008年11月17日 (月)

寸評・RENT

96年、オフブロードウェイでの初演の舞台評を、
何故か覚えている。
その時はこの作品が日本で上演されるとも、
熱烈なファンがつくとも思っていなかった。

今回初見。
12年前のあの評は正しかった……

曰く、
曲はいいしアイディアは斬新、
でも話がバカバカしい。

他の所はともかく、何すかあのラストは……
脱力したぜ。

みんなシャウトするから歌詞が聞き取れず、
状況が半分ぐらいしか分かんないしさ。
ついてこれないヤツは見るな、という作品
なんでしょうかね。

ちなみに、シアタークリエにも初めて行った。
行く前からさんざ悪評を聞かされていたのだが、
これまた皆様のいう通りで……
全体的に狭苦しくて、何だかなあな劇場である。
舞台が見やすいのがせめてもの救い。

2008年11月15日 (土)

「サダオのサダメ」@銀座小劇場を見た(その2)。

それとは別に、主人公の弟の「結婚して男の故郷に
帰って親と同居するのが当たり前」発言といい、
全般的に、登場人物は無考えで無神経である。
女の事情はどうでもいいのか。女の親はどうなるんだ。

とはいえ、見ててさほど不快にはならなかった。
役者に愛嬌があるってのもあろうが、あくまで
コメディとして描かれているので、「ったくしょーが
ねーな」ぐらいで済んでしまったんだよな。
そこが危ないような気もするんだけど。

文字通り大汗かいて熱演する出演者には、ホントに
お疲れ様でしたといいたい。

それはそうと。
家庭の愛憎は連鎖する。
手前1人で話が済まないからね。
次の代、次の代に引き継がれてしまう。
悪意も、好意の不在も、相手を傷つける点では同じ
だろう。
多分、何かしらの形で伝わるもんだと思うし。
(仮に、受けた相手が自覚してなくても)
無意識のうちに汚染していくというか……
隠し通せてると思ってるのは自分だけだからね、
大体。
そして、家庭がどんづまると逃げ場ないから。

安易な決断は不幸を生む、こともある。
結婚を逃げ場にするのは 本 当 に ヤバイと
思うよー。

などと、改めて思った次第です。

2008年11月14日 (金)

「サダオのサダメ」@銀座小劇場を見た。

1幕ものだが、2つのパートに分かれた芝居である。
サダオという男と彼の2人の友人、そして実の弟が
登場する。
「世間の目を気にして自分を抑えてきた男たちが、
最後には本当の気持ちを認める」
簡単に言ってしまえばそういう話だ。

状況自体はありきたりで、というか、チラシ見て
「まさか……ってことはないよね、そんなヒネリの
ない」と思ったらどんぴしゃだったという。
ちょっとトホホな感じである。
いや、それは別にいい。
うまく料理できてれば、よくあるネタだろうと
楽しめるはずだし。
実際、見てる間は結構笑えたし。

問題なのは、「ほのぼのと描かれた基本善意の人
たちが、実はひどいマネをしでかしている」「でも
芝居はハッピーエンドなんだよな」というところじゃ
ないかと思うんだよね。

人間そんな強いもんじゃないし、長いものに巻かれた
ほうが楽なのは確かだし、なんでも白黒つけられる
わけじゃないし、「そうはいっても、もしかしたら
今回は上手くいくかも」という希望的観測で決断
下してしまうこともある。
決断が間違ってることもある。
それは分かる。
分かるが、下してしまった結論は、ほとんどの場合、
他人にも影響する。
自分ひとりの範囲で収まる話なら別だが。

間違った決断を下したことに気づいた時、振り出しに
戻るのは間違ってない。
が、戻り方にも仁義はある。
ただ戻りゃいいってもんじゃない。

葛藤を続けてついに自分の中のタブーを打ち破った
男たちの笑顔は清々しい。
でもさ、元はといえば君たちが嘘をつかなかったら、
こんな問題は起きなかったんだぜ?
という自覚が、彼らにあるとは思えなかった、
んだよな。
4人の男のうちの2人が「知っててやったこと」に
よって、2人の女と1人の男の人生が大幅に変わる
わけだ。
彼らの出した結論は「離婚」なんだからさ。
っていったら、不意打ちは卑怯だろ。
もっていき方も考えるべきだろ。
「自分探しが出来ましたよかったよかった」じゃ
ないって。

長くなったので続く。

2008年11月10日 (月)

「三人でシェイクスピア」@シアターグリーンを見た。

3人が1時間半でシェイクスピア作品全37作を
演じる!
というから、とてもとても期待していってみた、
のだった。
が。
これ、日本でやるのは無理あるだろ……

イギリス発の作品であるらしい。
あちらの方はいいだろう。小さい頃から
シェイクスピアに慣れてるんだから。
でも日本人はそんなにシェイクスピアを
知らないぜ。
名前ぐらい知ってたって、作品を見たことがある、
読んだことがあるって人になると激減すると思う。
さらに、好きで詳しい人となると……
ちなみにけらい、37作中18作見て、18作読んでいる。
(観劇したものと読んだものはイコールではない)

「シェイクスピア全作品を演じる」というが、
本当のところは全部なんか演じてない。
タイトルを言うだけのもの、あるいはタイトルが
模造紙に書かれているだけで流されてしまうものも
結構ある。
かなりテンションダウン。
確かに歴史ものはややこしいし、その割に他国の
人間にとってはそんなに面白くないし、系図を
さらっと流すぐらいで終わるのが現実的かもしれない、
けどね。
でもさ、全作品っていったじゃん!!
まぁね、おかしいとは思ってたんだけどね、90分しか
ない割に前振りが長いから。でもって「ハムレット
やりたくない」とごねるシーンがやたら長いし。
(あれはくどい)
よく知ってる人なら「ああ、あれとあれとあれ」で
済むのかもしれない。でも、飛ばされた作品を見て
ぱっと分かる日本の観客は、多分とてもとても少ない。
ベースが全然違うんだから、これで笑えといわれても。
(一応、冒頭で「日本人はシェイクスピアを知らない」
ようなことを言ってたが)

「マクベス」を八戸弁でやるのとスコットランド訛で
やるのとは全然意味が違うし、「十二夜」「夏の夜の
夢」系の喜劇と「冬物語」や「シンベリン」を一緒に
するのも違うような。

あともうひとつ、客いじりが長すぎると思う。
後半、適当に選ばれた観客が舞台に上げられ、結構
いろんなことをさせられる。
ツッコミ役にきついことを言われたりもする。
ノリのいい人であればいいと思うが、苦痛な人は
苦痛だろうと思う。
会場は狭い。選ばれる率はそれなりに高い。
観客に芸させるなよなぁ。

見てる間はまぁ笑ったけど。
でも面白かったかといわれると……

2008年11月 6日 (木)

罠@サンシャイン劇場を見た(その2)。

とりあえず、大体のあらすじを

ところはヨーロッパ、山の中の別荘に滞在中の新婚
夫婦がささいな喧嘩をして、妻エリザベートは家を
出てしまった。後悔した夫ダニエルは警部に捜索を
依頼し、酒で気を紛らわせながら彼女の帰りを
待っている。
実はこの夫婦、一目惚れ→電撃結婚したばかりで、
互いの過去をあまり知らない。
家出から10日ほど経った頃、近くにある教会の神父
マクシマンが訪ねてくる。
彼はエリザベートの行方を知っているといい、彼女を
連れてくると約束する。
ところが。
神父と連れだって帰ってきたエリザベートを見て、
ダニエルはこんな女を知らない、彼女は偽物だと
言い出した。
看護師や絵描きも登場し、事態はどんどん複雑に。
さて、
嘘をついているのは誰だ?

既に書いたとおり、ツッコミどころはある。
だが細かいことを気にする方が野暮だ、という
気にさせられる芝居なんだから、いいのだ。
出演者もそれぞれ嵌まってたし、「古めかしくて
不便だけど味わい深いヨーロッパの田舎」の
雰囲気も結構出ていたのではないかと思う。
(よく知らないけど)←おいおい。

ただ、ちょっとばかり親切すぎるんじゃないか、
とは思った。演技も演出もね。
観客はコドモじゃないんだから。

色々書けないのがもどかしいが、面白かった。
機会があればお試しあれ。

2008年11月 5日 (水)

罠@サンシャイン劇場を見た。

ロベール・トマといえば「八人の女たち」。
映画版は逃したが、舞台は見ている。
イケズな女たちの応酬が楽しかったので、たいそう
期待してチケットを取った。

結論。いい戯曲って素晴らしい。

正直言ってしまうと、トマのサスペンス(って、2作
しか見てないクセに言うなといわれたら言葉がないが)
は途中で何となくオチがわかる。
見てる間は確かにワクワクしてるんだが、ふと冷静に
なると(例えば休憩時間に)、消去法でコレしかない、
という答えがあるんだよね。
この作品も、そういう意味ではラストで驚けないと
いうか、「やっぱりそっかー」だった。
……なんて書くと「分かってたよやっぱりそうじゃ
ないかと思ってたんだよなハハハ」などとほざく
バカヤローみたいだが、いや、ホントに。
問題はそんなところにはないのだ。

いいんだよ、分かったって面白いんだから。

もひとつ正直言ってしまうと、この芝居は長い。
約3時間は、物語展開からして長すぎると思う。
でも、じゃあどこが要らないのか?と考えると……
ない。

要らない場面や台詞がないよ!

これってすごいことだと思うんだよね。

じゃあ何で長いのかと訊ねられたら答えられないが、
一説によると翻訳で日本語にすると何割分か分量が
増えるそうだから、言葉のせいかもしれないと思ってる。

まぁ、昔の話だから、中身はいささかのんびりした
ところもあるけど、でもよく出来ていると思う。
と、褒めたところで続く。

2008年11月 4日 (火)

寸評・吉例顔見世大歌舞伎

「盟三五大切」
初めて見た。
噂には聞いていたが、いやはや陰惨な話である……
武家の忠義の薄皮剥げば、詐欺と殺しが現れる、って
もんだ。
多分、同時代の人たちは欺瞞を肌で感じていたの
だろうけれども、それを「忠臣蔵」をネタにして
やってしまう四世南北、只者ではない。
役者もみんな嵌まってて楽しめたです。
(でも三五郎の仁左衛門も見たかったかも……)

「廓文章」
こちらはどえりゃあ能天気な話。
話としては別に面白くないけど、組み合わせとしては
よろしいのではないかと。
何度も見てるけど秀太郎のおきさが好きだ。

2008年11月 1日 (土)

寸評・山の巨人たち

観念劇である。
物語は単純ではなく、出来事は寓意を孕む。
登場人物の台詞は会話ではなくて、それぞれが
一編の詩である。
……というのは言い過ぎのような気もしてきたが
(どっちだ)、フツーの芝居とはちと趣を異に
する。

個人的には好きな感じだが、客席結構ぼろぼろ
だったような……
寝不足で行かない方がいいよ。

もはやヤオヤとは言えないレベルの、坂のような
舞台(形としては太鼓橋のような)だったので、
前方で見てるとずーっと上向いてなきゃならない
ようで、ちとくたびれました。

休憩なし2時間でござる。

2008年10月27日 (月)

「花 hana」@東京芸術劇場を見た。

劇団ZAPPA 第12回公演である。

西郷隆盛の命を受けて官軍の先触れとして戦い、
新政府から得た「年貢半減」の旗印を掲げて農村の
支持を得るも、情勢の変化と共にあっさり切られて
しまった悲劇の男・相楽総三の物語である。
幕末史には暗いもんで「赤報隊」のことも知らなかった
が、劇場でもらった無料パンフ(結構読みでがあった。
前回はこんなではなかったような……)にざっと目を
通しただけでも問題なくついていけました。
そういう意味では、さほどややこしい話ではない。

理想を掲げて旗揚げした相楽とその仲間たちは、とある
農村に逗留することになる。
仲睦まじい若夫婦ばかり、といういささか不自然なその
農村は収穫作業の真っ最中。
互いに支えあいながら暮らす彼らであったが、絵に
描いたような悪侍に虐げられていた。
相楽はともに農作業をしながら新しい世の必要性を説き、
人々に深く慕われる。
一方、相楽の身重の妻・てるは夫を追って旅する途中、
訳ありの女と一緒になる。
彼女は吉原から足抜けしてきたくの一であった。
やがて相楽は西郷に切り捨てられ、逆賊の汚名を
着せられる。
官軍に囲まれる村。
と、そこで農民の妻たちが正体を現し……

だいたいこんな感じの話。

なんたって途中で主人公が変わってびっくりである。
ええーっそういう話だったんかこれ!!という。
それと、2時間強で1幕、というのはやっぱり長いと思う。
この劇団はどちらかといえば泣かせ系で、一つ一つの
場面はいい感じなのだが、丁寧すぎるぐらい丁寧に
描かれるので、ちょっとくたびれてしまう。
例えば若夫婦3組が1組ずつベタベタ仲良くするとかさ。
毎回3組喋らなくていいから。
これ、2幕になっていたら、前半と後半でメインキャラが
変わってもさほど不自然じゃなかったのではないだろうか。

若い役者が演じる時代劇ということもあって、着物や
髪型はかなりアバウトだし(日本髪を結ってくれとは
いわんが、もちっとそれらしいと嬉しい)、冷静に考えると
あれっと思うところもある。
「花魁」と「くのいち」の訓練っていっぺんに出来るものか?
時間的に、とか。
謎の男は結局何がしたかったんだろ?とか。
細かいことを言えば、まぁ色々。
でも、見てる間は面白かったんだよね。
ちと長かったけどね。

2008年10月24日 (金)

「ハーフライフ」@サイスタジオを見た(その2)。

で。
物語の鍵となるのは「記憶」である。
んだけれども。
正直なところ、主宰者のご挨拶文を読んで「おお、そう
だった」と思ったぐらいで、記憶というキーワードは
自分の中にはあまり残らなかった。
理由は簡単で、ヒロインたちの記憶が真実かどうかは
大した意味を持たないと思うから。
だって、アノヒトタチ、恋愛中だろ?

生物学的な知識は持ち合わせていないけれども、
経験として。
「記憶なんて大してアテにならない」
と常々思っている。
忘れるし。
他の記憶と混ざるし。
自分に都合いいように、あるいは納得がいくように、
辻褄合わせようとするし。
「ワタシは違うぞ、全て起こったとおりに覚えている、
一緒にするな」と仰る方も、あるいはいらっしゃるかも
しれん。それは素晴らしい。ぱちぱち。
でもさ、ほとんどの場合、記憶は何らかの形で変化してる
と思うよ。
生きてくために必要な機能だもんな、忘却ってやつぁ。

フツーに生活してたって、記憶は消えたり変わったりする。
ましてや恋愛中。ハイ状態である。
記憶なんかいくらだって上書きされるだろうさ。
10代の頃、一緒にダンスしたというヒロインの記憶は
偽りのものかもしれない。でも、彼女が今恋してるのは、
昔好きだったからという理由だけじゃないのだろうから。
今好きで、幸せなら、それでいいように思う。
……多分、こういう見方はこの芝居を鑑賞する際には
邪魔になるのだろうが。

会場はスタジオなのでいわゆる舞台はなくて、部屋の
一部分に椅子が並べられている(もちろん傾斜はつけて
ある)だけ。幕はなく、スペースもさして広くない。
上手(この場合もそういっていいのかな、向かって右の
方)にカーテンで囲われた空間があって、ここが
ヒロインの部屋になる、こともある。
舞台と客席はとても近い。時に役者が客席の間を通って
出入りするのも面白い。
ただ、うんと上手の端っこで見ていた人は、カーテンが
閉まってる状態で下手奥の様子が見えたのだろうか?
よく分からない。
そして、近いだけに「ニッポン人が横文字の名前を
名乗ってる」というのも分かる、のだよね。
現代ものは特に、衣装などの見た目で差をつけにくいしさ。

難しいな。

2008年10月23日 (木)

「ハーフライフ」@サイスタジオを見た。

時は「戦争に行った世代が老人となり、その子供たちが
親となった(子供はまだ小さい)」ぐらいの頃、場所は
カナダ、軍人とその家族のための老人ホーム。
ある日、ここに新たな入居者がやってくる。諜報部に
いたというその男性は、実の娘に「ワガママで虚言癖が
ある」といわれるような、いわゆる「厄介な老人」だった。
ところが。
ホームに暮らす女性の1人が彼に声をかけ、久々の再会を
喜ぶ。
そして2人は気づく。相手がかつての恋人であることに。
驚いたのは周りの人間、特に女性の息子である。
彼は母にそのような過去がなかったことを知っている。
時間的にも空間的にも、2人の思い出話は辻褄が合わない。
そして女性は認知症(と思しき状況)なのである。
周囲の困惑をよそに、幸福そうな当事者。
父の変化を喜ぶ娘。
母の恋愛を認めない息子。
果たして恋は真実か、幻覚か。

大体こんな感じの話。

劇的な場面も台詞もなく、物語は淡々と描かれる。
でも見ごたえのある内容なんですぜ。
なんたって「福祉施設を舞台にした老人もの」という
設定から想像される物語とはまったく違うから、
予想を裏切られるたびにワクワクする。
ひとつひとつの台詞も、大仰じゃないけど味わい深い。
でも名言が多すぎて、今ぱっと思い出せない(ダメ
じゃん)。

母親の恋愛に反対する息子は大学教授で、脳の研究を
している。彼は人工知能が人に近づけない(=脳の
仕組みを完全に解明できていない)ことに半ば絶望
しつつ、いずれは全てが分かるだろうと思っている。
父の恋愛を歓迎する娘は画家で、人を機械と同列に
並べることに抵抗を示す。
牧師の語る「神」がカナダ人にとってどういうもの
なのか、自分を含めた多くの日本の観客には多分
理解できてないと思う。
だが解釈の違いはあれ、「神がお守りくださる」という
言葉を信じられるほど現代人は素直ではないし、かと
いって「全ての仕組みが明らかになる」ことを手放しで
喜べるほど合理主義的(きわめて曖昧な使用である
ことを認め、先にお詫び申し上げる次第である)にも
なれないだろう。
人間の脳ってなんなんですかね。
その人を形作るものだけど、でも、脳だけでは人は
人にならない。
脳のことが分かって、幸せになる人もいれば不幸に
なる人もいるだろう。
個人単位でならプラスもマイナスもあろうが、多分
トータルはゼロになるんではないかと思う。
新たな知識や技術は古い問題を解消する一方で、新たな
問題を生み出すもんだから。
……難しいな。
考えるには知識が足らなさ過ぎるが、まっこと興味深い
話題ではある。

長くなったから続く。

2008年10月20日 (月)

寸評・「サド公爵夫人」

女6人の芝居を男優が演じる。
しかも中身は三島だ。
興味深い企画である。

セットはなく、道具も使わず、女たちが長い長い
台詞を吐く。
面白かった。
読んだことはないので全くの初見なのだが、面白い
戯曲だと思った。
台詞はストーリーではなく、実質はモノローグと
演説の間のようなものなのだが(分かりにくっ)。

芝居は3幕で、1幕が大体50分程度、休憩は10分と15分。
長いわけです。
グローブ座なので幕はなく、舞台は張り出している。
で、けらい、前方端の席だったわけです。
3時間弱、首を曲げて舞台を見上げていなければならず、
出演者は皆長身なので(だって男性だもんな)、とても
とてもくたびれた。
率直に言って、3幕目の台詞は「聞いてはいるが頭に
入る率は5割以下」状態だった。
今も首が痛い……

もし選べるなら、席は後方でも真ん中を!
何たって役者は大きいのだ。見えないということはない。

2008年10月19日 (日)

寸評・「貴婦人の帰還」

「貴婦人の帰還」@あうるすぽっとを見てきた。

キッチュで、
イケズで、
でも可愛らしい。

ある意味、善良な民ほど恐ろしいものはない
……のだろうな。

ただ、ちと長い。(約3時間)
あと、会場が内容に比して広いように思う。
ベニサンあたりでやったらよかったんでは……

舞台は2階建てなのだが、けらいは前方端の席
だったので、所々柱が邪魔だった。
単なる鉄筋なので、全く見えないということは
ないのだが。

22日までかな?機会があれば是非。

2008年10月18日 (土)

「どんずまり・・・」@シアターモリエールを見た(その2)。

ダンサー、歌手、お笑い、手品等、ジャンルは違えど、
芸人にとってのゴールはスターになることだ。
それはいい。
彼らがわずかな可能性にすがってしまうのも分かる。
「実力」だけでスポットライトを浴びることは
出来ないからだ。
スターには運が要る。運に恵まれるからスターに
なるともいえるか。まぁいいやそれは。
でもさ、ジミーって店の客だろ?場末のショーパブの?
人一人スターに出来る力を持つ男は、そんなところで
飲まないだろう。
いや、たまにならともかく、常連にはならんだろ。
「俺はこんなところで終わりたくない」なら、「こんな
ところに来てる客」のランクも推し量らないと。
そのぐらい目が利かなくてスターも何もないっての。
「どんずまって」るのは、主人公だけじゃない。
芸人たちだけじゃない。
とすれば。
どんずまってる人間に頼ってどうするよ?

あ、違う。
逆だ。
世界が狭いから「どんずまって」るんだ。
ドツボに嵌まってる時って視線が問題そのものに
しかいってないもんね。
上見たり周り見たり出来てないから煮詰まる
んだよね。

あとは……
若手役者は全員必要かなあ?とか、
1場面が結構長い割に場面の頭から出ていた人が
はけないので、話が進むにつれてギャラリーが増え、
喋ってない人がじっと見てるパターンがやや多め
なのが気になる、とか、
多少ふざけ過ぎかもしれん、とか、
実際には出てこない子供の扱いはちょっとどうなのか、
とか、
ところどころ「古いなあ」と思う箇所がある、とか
(ケンのこだわりとか、恋人のために嫌いな男と寝る
りりことか。しかも確約とらずにホテル行っちゃダメ
だろう……)。
もうあと少し整理されてたら文句なかったんだけどな。
もったいない。

でも面白かったよ。
さんざ言っといてなんだが、ホントに面白かったんだって。
出演者も大物だったし。
ネームバリューがあればいいってもんじゃもちろんない。
が、やっぱり「見せる力」のある役者の揃った舞台は
面白い!のだった。
うろんなヤクザとうろんな演歌歌手、健気すぎるおかま
ちゃんにはホントに笑った。

最後の最後に一つだけ。
前方席から冒頭のスクリーンが見えなかった……
ついでにスペル間違ってた……

2008年10月17日 (金)

「どんずまり・・・」@シアターモリエールを見た。

しかしここんとこチケット取りすぎてるよなぁ。
反省。
でも面白かったからいいや。どっちなんだ!

場末のショーパブでの狭い人間模様を描いた芝居である。
主人公はかつてタップダンサーだった40過ぎの男ケン。
店の客と恋に落ち、結婚して夜の世界から足を洗ったが、
愛妻を病気で失い、2人の幼い子供とともに残された。
悪いことに会社もリストラされてしまった。
面接で落ち続け、「どんずまり」状態となって、結局は
元いた店に戻らざるを得なくなる。
数年の間に店は変わっていたが、若い芸人も含めて皆
ケンを受け入れ、それなりに和気藹々とやっていた。
ところが、テレビのプロデューサー・ジミーが面白半分で
若手芸人のヒカルをたきつけたことから、事態が
ややこしくなる……

色んな人がいて色んなことが起こる。
ケンは同僚(芸人たちだ)、お客、そして家族との
関係に頭を悩ませることになる。
嫌なヤツもいれば親身になってくれる人もいる。
トップダンサーだったという過去にしがみついていた
(でないとプライドを保つことが出来なかったからだが)
ケンが少しずつ素直になっていくところが見所のひとつ。
圧巻はラストのタップである。
シアターモリエールみたいなちっちゃいところで瀬下、
川平のタップを見る日が来るとは思わなかった。
手品のシーンもあって、これがまたなかなかすごい。
間近で見られてラッキー。

深刻なシーンとお笑いシーンが織り交ざっていて、
笑っていいやら真剣になるべきなのやら、切り替えが
大変だった。

いや、面白かったんですよ。ホントに。
笑ったし、最後はちょっと泣かされたし。
早口言葉のシーンには心底笑った……
ただ、冷静になって考えると、
「この人たち世界狭すぎ……」
と、まぁかように思ってしまうわけだ。

長くなりそうだから続く。

2008年10月15日 (水)

秀山祭九月大歌舞伎(昼の部)@歌舞伎座を見た(その3)。

最後は日舞「日本振袖始」である。
平たく言えばスサノオノミコトによる八岐大蛇退治話
……のはず。
いや、この作品、初見ではないんだが、前回もイマイチ
話の展開が分からなかったのだ、実のところ。

なんで岩長姫がヤマタノオロチなんだ??
岩長姫ってのはあれだよね、美人の妹・木花咲耶とともに
瓊々杵尊へ嫁入りした美しくない姉娘で、目先の利かない
尊が美人だけ残してブスを実家に帰したために、人の命は
桜のように短くなってしまいました残念でしたってヤツ。
……岩長姫ってオンナだよね。姫だもんね。
でもヤマタノオロチは美女を生贄に求める化け物な訳で。
一応、作中では「日本の美人は皆殺しにしたる!」と
いう台詞があるが……
ちょっと設定に無理がないか?
でもって、これが振袖のはじめなり、といわれても、
……何が、どう???
と困惑するよりない。

でも、ま、これ踊りだから。
踊りが楽しめればいいから。

さて。
岩長姫実は八岐大蛇に玉三郎。おっかなく面白い顔
である。後半原形とどめてないし。
踊りはさすがに優雅で美しい。
しかし、こうキレイな人に「美女に恨みが」といわれても
説得力ないよなー。
むしろ白雪姫のお母さんという方が説得力ある(小声)。

素盞鳴尊の染五郎は、ま、こんなもんか、と。
見た目二枚目です。

稲田姫はずいぶんめそめそしてて、仮にも姫なのに
潔くないというか……まぁそりゃあ、誰だって生贄に
なりたくはないだろうが。
福助はしおらしい女には見えにくいので、悲鳴も
策略か?と勘ぐってしまったり。

タイプの違う美女2人の戦いは、なかなかに興味深い
ものがありました。

そして、残り7体の大蛇たちの健闘を称えたい。

補足。
「6週間のダンスレッスン」ちょっと書き足しました。
「東京原子核クラブ」誤字直しました。恥ずかしい……

2008年10月14日 (火)

秀山祭九月大歌舞伎(昼の部)@歌舞伎座を見た(その2)。

次は「ひらかな盛衰記・逆櫓」

見てると結構分かりにくいと思うので(寝てる観客
多かったもんなぁ……)、簡単にあらすじをば。

漁師の権四郎(歌六)は娘およし(東蔵)と
暮らしている。
およしは夫を早くになくし、一人息子を巡礼時の
トラブルで取り違えられたという、大変不運な女
である。
およしと権四郎は間違って連れてきてしまった子を
育てながら、実の子(孫)の槌松が帰ってくるのを
待っている。
いっぽう、およしは松右衛門(吉右衛門)という
男と再婚した。
松右衛門は船頭となり、権四郎から「逆櫓」の技を
習い、義経の船の船頭を命じられる。これはなかなか
目出度いことであるらしい。
そこへ武家の女・お筆(芝雀)が訪ねてきて、
子供を返して欲しいという。実はおよしが連れ帰った
のは木曽義仲の遺児・駒若丸だったのだ。
しかも槌松は死んでしまったと知らされ、驚愕し、
嘆き悲しむ権四郎とおよし。
権四郎は婿に仇を討ってくれと頼むが、松右衛門は
いきなりエラソウになり、実は自分は義仲の家臣
樋口次郎兼光であると正体を明かす。彼は義経への
復讐のために婿となったのであった。
……あれ?恨みはらす相手は義経なのか?
などと思っているうちに樋口は捕り手に囲まれる。
(随分略した)
婿に裏切られた権四郎は、それでも駒若丸を助ける
ために、畠山重忠(富十郎)に訴人する。舅の配慮に
気づいた樋口はお縄にかかる。

……とまぁ、こんな話。

既に結構な長さになったが、ここで終わると意味が
ないので続ける。

すごく平たくいえば庶民の泣き寝入り話である。
(随分平たい)
時代背景をさっ引いても、この話は相当に不条理で
あったのではないかと思われる。
まぁね、世の中不条理なことはたくさんあるよ。
弱い者が泣くことの方が多いよ。
子供の死亡率も高かったよ。
でも、だからって「ごめん死んじゃいました、泣いても
しょうがないから諦めてね(というような台詞を、
お筆は本当に口にする。どういう女だコイツ……)」
で済まされる筋合いはないと思うんだよね。
しかも今、平成の世に上演するのだから、やはり
ある程度は登場人物に共感できる要素が欲しい。

しかしながら、吉右衛門の樋口、芝雀のお筆とも、
武家らしさはあっても可愛げがない。
無茶を承知で言ってます、いいながらツライです、
本当にゴメンナサイ、という、身分はどうあれ
人間なら多少なりと持ち合わせて然るべき感情が、
彼らからはあまり感じられなかった。
(全然、とはいいません)
「何言ってるんだコイツ腹立つ~」
と思わせないで欲しいんだよね。

吉右衛門は見た目が立派で、いかにもお武家様
という態である。
だが、それ故に周囲を見下ろしているようにも
見えてしまう。
デカイ人間ってのは、本人その気なくても
エラそーに見えてしまうもんだ。
(自戒を込めて書いてます)
周囲が小さいせいもあり、樋口が正体現して
からは特に、「頭が高いよ!」と思って
しまったわけです。

そしてお筆の無神経な台詞の数々は……
書き手に悪意があったのか?武家の女に?
あるいは女全般に??

富十郎ははまり役で立派だったが、東蔵は随分
若作っていて、演技自体は無難だけどあまり
面白くなかった。
ただでさえおよしというのは面白くない役なのだ。
ひどい目に遭うだけ遭って、何も出来ずに泣く
ばかりで。
東蔵にはおばちゃんをやって欲しい。

とはいえ、沈没もせず、むしろ身を乗り出して
見ていられたのは、ひとえに権四郎を演じた
歌六がよかったから。
いやはや。泣かされましたよ。
単純で善意で、でもおよしみたいにただ負けて
ばかりではなく、しかも人間味があって。
いいジジイだったと思う。ホントに。

おお、たいそう長くなってしまった。
踊りについては後日。

2008年10月13日 (月)

秀山祭九月大歌舞伎(昼の部)@歌舞伎座を見た。

すごい今更だけど。

演目は三つ。

まずは「竜馬がゆく・風雲篇」
原作が司馬遼太郎の小説であることはタイトルから
分かったが、続編とは知らなかった。
前作を見ていない観客にも、さほど分かりづらくは
なかったから。
もっとも、描かれるのはよく知られたエピソードだし、
特に詳しくないけらいですら知ってる話だから、
気にならなかっただけかもしれない。
竜馬とおりょうの出会い、中岡に煽られる海軍操練所の
若い者(バカだなー)、西郷との会見の様子などが
描かれている。

暴言承知でいってしまうと、新作歌舞伎は退屈な
ものの方が多いと思っている。
演劇じゃなくて演説、対話じゃなくて主張の応酬に
近い上に、転換にいちいち時間がかかり、集中力が
途切れるから。
しかも、空間をきちんと生かし切れていない、ゆえに
いやにだだっ広く見えるセットが多い。
「こんな装置なら要らんやん」と、思わずツッコミたく
なることもある。
もちろん、空間が埋まっていないのは役者にも問題が
あろうが。

で、今回の「風雲篇」。
正直、全然期待していなかった。
いささか説明的なのは予想通りだったし、話として
面白いかといわれると微妙ながら、盆を使った転換が
スムーズだったこと、役者がそこそこ嵌っていた
ことで、結構楽しめたのだった。

染五郎、亀治郎は期待通りという感じだった。
吉弥のお登勢がキレイだったなぁ……
そして、西郷に全然似てないが健闘していた錦之助に
エールを送りたい。

2008年10月12日 (日)

寸評・「サダオのサダメ」

15日までやっているそうだし、ネタバレは何なので、コメントのみ。

・男優の4人芝居である。出演者大汗かいての熱演だ。

・今更このネタか……?と思ったが、逆に言えば、当事者の
状況はあまり変わっていないのかもしれない。

・「つき通せない嘘はつくな」「だが大概の嘘はばれる。
ばれてないと思ってるのは本人だけ」
と、説教したくなるような話だった。
逃げのための決断は、周囲にとっては迷惑行為だ。

・会場である銀座小劇場はとても狭い。
そして席の振動が周囲に伝わる。
動くなといわれても無理だが、あんまり動くと周りの
迷惑になるので気をつけよう。

2008年10月11日 (土)

「6週間のダンスレッスン」@銀河劇場を見た(その2)。

さんざ書いておいて何だが、いい話だと思う。
やっぱり見終わった時に温かい気持ちになるってのは
いいよね。
娯楽の正しいあり方だと思う。
(唯一の正しいあり方とは思わないが)

それに、ありきたりだろうが何だろうが大した問題
ではないのだ。
だって、これはメルヘンだから。

他者と……この場合、血のつながりやら家族関係やらは
関係ない、自分以外の人、ということ……と「理解」
しあうというのは、とても難しい。
でも、なかなか手に入らないからこそ、理解し合える
人を求めるってところはあると思うんだよね。
でも、日本人は相互理解があまり上手くはない。
なんたって「以心伝心」が手抜きの言い訳に使われる
ようなご時世である。
みんな楽を目指しすぎ、お客様意識持ちすぎだから。
分かって欲しい、じゃなくて、オマエが理解する努力を
しなさい。

おっと、話が逸れた。
芝居の話に戻す。

アメリカの事情はよく分からないが、日本において、
高齢の女性が他者と対等かつ思いやりに満ちた関係を
結ぶというのはとてもとても難しいことではないかと
思う。
それが世代も性別も違う、しかも同性愛者という
「ある意味安全」な相手となりゃ、言うことない
だろう。
この場合、リリー(一応念のため、草笛光子の役名で
ある)とマイケル(これまた念のため、今村ねずみの
役名だ)がお互いに対して求めているのは
「ロマンス」ではないのだから。

「6週間~」は、中高年女性に夢を見せる物語なのだと
思う。

但し、物語の中で、ヒロインの夫はとっくに世を去って
いる訳で、つまるところ理想の理解者は「老夫切り捨て」
によって得られるわけだ。
これは、ある一定以上の男性にとっては面白からぬ
展開である、かもしれない。

あくまでけらいの見た日の話だが、終演後の観客の
反応が、男性と女性でそれなりに異なっていたように
見えたのは、おそらくは気のせいではない、と思う。

あともひとつ。

舞台転換のためのスクリーンの使い方は変だと思う。
リアルなアメリカの姿を見せた後で草笛・今村のアップは
ないだろう!
それと、リリーの家の内装が子供部屋みたいで変だ。
厳格な牧師の家とは思えない。
夫亡き後、好きなように改装できるぐらい精神的に独立
してるなら、悩む必要はないだろうし。
どういうセンス??

2008年10月10日 (金)

「6週間のダンスレッスン」@銀河劇場を見た。

草笛光子と今村ねずみの2人芝居である。

60代後半の女性が出張ダンスレッスンを依頼する。
現れたのは40代の男性インストラクター。
2人はそれぞれ事情を抱え、孤独であり、人付き合いが
上手くない。ゆえに初めはケンカばかりしているが、
やがて心を通わせる。

まぁ、いってみれば定番中の定番である。
見る前から話の展開が分かってるような芝居。
2人芝居だから余計にね……揉めて仲直りする、って
のは、平凡でも見てて安心感あるし。たまには破局
まで一直線、の「動物園物語みたいな作品もあるが、
ありゃ見ててしんどかったわな……

とりあえず、話の展開はありきたりだ。
会話の楽しさと出演者の魅力、多分その2つで魅せる
作品なのだと思う。
で、台詞に関していえば、特に前半は揉める方に
重点が置かれていて、ちょっとばかり早送りしたく
なった。
「そうはいったって仲直りするんだろキミタチ」と
思うもんな、やっぱり。
役者2人は可愛らしくて魅力的だった。
(最近ちょっと思うのだが、役者にとって技術と同じか
それ以上に大事なのは「可愛げ」であるような気が
する……長くなりそうなのでこの件はいずれ)
とはいえ、2人ともキャリア、実力もあるので、深い
孤独を抱えてひっそり生きているにしてはいささか
立派すぎるような気もする。
特に、社交ダンスの衣装は華やか(過ぎる)だから、
「誰にも相手にされない」ようには見えなかった
ですよ。

ついでに書いてしまうと、ダンスレッスンのこと。
けらいは特に踊れないが、けらい妹はいささか踊る。
(変な日本語だ)
横で見てるぐらいで大したことは分からないが、
1週目のスウィングはともかく、2週目にいきなり
タンゴってカリキュラムはどーよ。
ハードル高すぎないか。
日本ではないから、ワルツぐらいなら多少は踊れると
いう人はいそうだが……(ちなみにワルツは3週目)
そして4週目のフォックストロット、5週目のチャチャチャ
はともかく、6週目のコンテンポラリーダンスは要らん
だろう……

ありゃ、長くなった。いったん切ります。

といいつつ、蛇足。
なんとこれをダンス公演だと思って来てた人も
いたらしい……
喋ってばっかりで踊らない!と驚いている人を見て
驚いた。いや、これ芝居だから。演劇だから。
出演者やチラシを見ても気づかなかったのだろうか。
あるいは見てもいないのか。
時間とお金かけて見るんだから、内容はともかく
ジャンルぐらい押さえておこうよ、再演なんだし。

2008年10月 3日 (金)

「東京原子核クラブ」@俳優座を見た(その2)。

物語の肝は、やはり原爆投下への反応なのだろうと思う。

友田たちの研究は、欧米と遜色ないものだった。
だが、両者の環境は全く違う。
アメリカなら電話1本ですぐ手に入るものが、日本では
半年もかかってしまう。その間に両者の差が更に広がる。
そして日本人研究者たちは、核兵器製造という分野で、
圧倒的に豊かなアメリカに「敗れる」のだ。
広島長崎のことを知って友田がまず考えたのは、
「核兵器製造がついに成功した」という感動、そして
「アメリカに先を越された」ことへの悔しさであって、
多くの人の命が失われたことに気づいたのはその後
だったという。
なぜなら、彼は「科学者」だから。

科学者でない人間にはなかなか共感しにくいし、
多くの日本人の間で共有される「広島長崎観」とは
相容れない発言でもある。
……でも、まぁ、本音だろうな。

多分、当事者であれば似たようなことを考えるんだろう
とは思う。
だからこそ、科学は人を幸せにしないんだろうなとも。
真理を追究すれば真理が見えてくる(こともある)。
でも真理は真理だってだけで、それ自体には価値がない
んだろう、きっと。

戦争が終わりましたハッピーエンド、とならない点、
鳴らなくなったピアノや妙な生け花とかの小道具が
いちいち利いているところもいい。
気持ちよく見終わって、でも、ちょっと引っかかると
いうか、立ち止まって考える気にさせられる芝居だと
思う。

細かいことをいえば、いくら何でも嘘つくのに
エチオピア文学はないだろう、とか、本当は理研に
入りたかったという下宿の娘の桐子がフツーに下宿人の
面倒を見てる若い女性で、「女だから研究者に
なれなかった」風にはあんまり見えなかった、とか、
多少はあるわけだが。

でも、いい作品だったと思う。

ハヤカワ演劇文庫から出ている脚本には作者の
注というか独り言がこちゃこちゃ書かれていて、
いいよ言い訳しなくても、と思いながらも、これまた
楽しく読めます。

あわせてオススメ。

2008年10月 2日 (木)

「東京原子核クラブ」@俳優座を見た。

昨日は更新できなくて失礼しました。まぁ色々ありまして。

で、「東京原子核クラブ」。今頃でスミマセン。
面白かったよといっておきながら、どう面白いかを説明する
のに強烈に時間が掛かってしまった……

時は昭和のはじめ、東京本郷にある下宿屋「平和館」を舞台に、
理化学研究所(理研)所属の若き物理学者たちの青春を描く
物語である。
主人公の友田晋一郎は朝永振一郎がモデルである。

一見、深刻な芝居ではない。
自信をなくした研究者が国に帰ると言い出したり、研究者
同士の競い合いが微妙な形で友情に影響したり、指導教官の
悪口言ってたら本人が入ってきたり、数学者の名前を持つ
犬がいたり、愛想の悪いピアノマンがいたり、弱い弱い
東大野球部に学歴詐称してまで入りたかった青年がいたり、
次々と怪しい職を見つけてくる女がいたり、演劇青年が
特高に目をつけられたり。

ギャグも割合ベタで、わっと笑う感じではなかったため、
実はちょっと心配していた。
イヤ、別に一観客が心配するところではないのだが、
客席の反応が静かだと演じ手ののテンションが下がるor
盛り上げようとして力む、というパターンが多いからさ。
でも観客は静かに盛り上がっていたようだ。
カーテンコールも長かったしね。

自分の研究には自信も自負もあるのに、物資の豊かさや
スピードの点で欧米に追いつけずに悔しがる主人公。
だがやがて彼は才能を認められ、ドイツ留学を果たして
一流研究者の仲間入りをする。
そのことによって彼は変わり、かつての仲間との距離が
広がることになる。
一方、下宿の娘の見合い相手である海軍中尉は、友田らの
研究が新型爆弾の製造に結びつくことに気づく……

とまぁ、こういう話です。

なんか長くなりそうなんで、いったん切ります。

2008年9月23日 (火)

新シリーズ・寸評。

ご存じの通り、けらい、劇評を書くのがグズい。
書き終わった頃にはとっくに公演が終わっている。
イヤ、これでも頑張ってはいるのだ。
頑張ってはいるが、考えてまとめて書くのに1ヶ月ぐらいは
軽くかかってしまうんである。
見たその日に書いたりはとてもとても出来ない。
ブログの劇評なんて早くてナンボなのに。

本当は、面白い芝居は他の人にも見て欲しいんである。
ハズレ作品の場合は……まぁ、ねぇ?

とはいえ、書くスピードはあげられないんで、発想を変えて
「見た公演の寸評を、とりあえずupする」ことにした。
細かい感想は後日、今まで通りのペースで書くことになって
しまうが。

とゆーわけで、早速1点ご紹介。

『ハーフ・ライフ』
9月16日~29日
サイスタジオ小茂根Bスタジオ(小竹向原駅徒歩3分)
全席自由 前売3300円、当日3500円
学割あり

高齢者の施設を舞台にした作品なんだが、予想したような
展開にほとんどならない。
いわゆる劇的な展開ではないのに、裏切られ続けて目が
離せません。
詩的な言葉が美しい作品です。
オススメ。

観客は1階の自然食カフェや雑貨のお店で使える割引
チケットも貰えるですよ。

それにしても副都心線小竹向原駅、精算時にICカードが
使えないからびっくりである。

2008年9月20日 (土)

「新・水滸伝」@ル・テアトル銀座を見た(その2)。

……ということで(どういうことなんだか)、
「水滸伝」の外伝といった趣のこの作品、物語は単純で、
ひねりは一切ない。
いいもんはいいもんだし悪もんはとことん悪い。
最後は誤解も解け和解も成り、みんなちゃんと
ハッピーで終わる。
途中ツッコミどころは多々あるが、細かいことは
気にしちゃいけない。
台詞がクサいという指摘も無用である。
だって活劇なんだから。
深みだの緻密だのを求めるのはお門違いであると思う。
キーワード”替天行道”は確かにくどかったが……

それと、脇の「美女と野獣」カップルがよく描けている
のに対して、主人公は悩むか飲むかのシーンが長い。
しかも彼の過去がちゃんとした形では示されないので、
「あーもーうっとーしいなこの男」に見えてしまうのが
いささか気の毒だった。
悪い悪いといわれる朝廷の高官も、何のために何を
したのかをきちんと描いてもらっていない。
これでは悪さをアピールしようがないじゃないか。
陰謀ってのはなんかしらの目的を持って企むものである。
手間暇かけて実行するんだからさ。
「地獄の苦しみ」とか何とか言う前に、回想シーンなり
何なりで「ホントのとこ何があったのか」を具体的に
見せとく方がいいんじゃないか?
「地獄」は繰り返すと安くなるぜよ。

メインキャラはもちろんのこと、若手も立ち回りその他
見せ場が色々あって、よかったんではないかと思う。
衣装もキレイだったなー。

舞台セットはシンプルで、左右の階段とその上に
橋状の足場があって、これが梁山泊の砦やら牢獄やら
色々なものになる。歌舞伎にしては華やかさに欠けるが、
これはこれで面白いと思う。
いつもこうだとつまらないけどね。

二十一世紀歌舞伎組、見てると元気になります。うん。

2008年9月19日 (金)

「新・水滸伝」@ル・テアトル銀座を見た。

歌舞伎役者・市川猿之助の若い弟子たちの一座
「二十一世紀歌舞伎組」久々の新作である。

初めて見た二十一世紀歌舞伎組の公演は、はPARCOの
「雪之丞変化2001」初演だった。
(何で見に行く気になったのか、もう忘れてしまった)
あの時2001年は「遥か先」のことだった。
なんとそれから20年近くの時が経ったのだ。
その間にメンバーが入れ替わり、まさかの猿之助発病、
でもあの時の「新人」は歌舞伎界でしっかり生き残っている。
感無量である。
(当時は「家柄もない役者は師匠の後ろ盾がなくなったら
すぐ消える」か何かいう嫌なヤツらが結構いて、腹立たし
かったのだ。もっとも、言った方はもうすっかり忘れて、
「いやいやこうなると思っていたよ僕は」ぐらい言ってる
のかもしれん)

2時間休憩ナシという小劇場風の作りで、歌舞伎ファンは
驚いていたみたいだった。でも慣れると楽なんだよね、
2時間って。
横内脚本は相変わらず説教がましいが、個人的には
スーパー歌舞伎の梅原脚本より好きだ。

あらすじはこんな感じ。

時は明時代の中国。
湖の中にある島・梁山泊(ホントは水溜りの中の隆起部分
らしい。でもその水溜りが琵琶湖より広いらしい……
中国ってスゲエ)は悪党どものたまり場となっている。
リーダー・晁蓋の方針で、対岸の町・独龍岡とは友好な
関係を保っていたが、独龍岡の新たな長となった祝彪は
梁山泊の一掃を決め、襲撃をかけてきた。
二重三重に騙された梁山泊の面々、それでも無事逃げ
帰ってはきたものの、このままではイカンということに
気づく。
そこでリーダーの右腕・女傑の姫虎が目をつけたのは、
晁蓋が連れてきた男・林冲。元は朝廷に仕える身が、
今は身を持ち崩してお尋ね者になっている。
だが林冲は悪党の寄せ集めに戦は出来ない、とこれを
一笑に付す。
一方、梁山泊のメンバーの一人・王英は、祝彪の婚約者で
女武者の青華に、戦いのさなか一目惚れ。
これを聞いた仲間のお夜叉は、何かの役に立つかと思い、
2人の仲を取り持とうとする。
だが青華は彼を拒絶、王英とお夜叉は捕まってしまった。
独龍岡側は2人と林冲の交換を要請。実は祝彪、朝廷の
高官・高キュウ(PCで字が出ないが、にんべんに求)と
手を組んでいるんだが、この高キュウこそは林冲に
無実の罪を着せた悪人だったんである。
林冲は独龍岡に出向き、高キュウと再会する。高キュウも
祝彪も、王英とお夜叉を解放する気はまったくなかった。
騙されたことに気づいた林冲は、何とか王英たちを
逃がそうとする。
祝彪の卑怯な振る舞いを許せない生真面目な青華も
王英たちを助けに来るが、祝彪に見咎められて、深い傷を
負わされる。この男、婚約者を全然愛してないのだ。
梁山泊の面々は、日ごろ自分たちと打ち解けない林冲が
仲間のために敵方へ赴いたことに心動かされ、一致団結
して3人を救いに出かける……

最後は林冲が新たな梁山泊のリーダーになり、青華も
王英と結ばれるわけだが。

エラく長くなってしまったんで、いったん切る。

2008年9月13日 (土)

「ザ!!アンケート」@しもきたリバティを見た。

うーむ。これは……

つまりこんな話である。

旗揚げ3回目の公演中の、とある小劇団。
ヒロインはここで脚本演出を担当している。
流行っぽい芝居を狙って書いた作品だったが、制作が
頑張って200名ほど動員したにもかかわらず、初日に
回収できたアンケートはたった1枚、しかも1行
「つまんねー」しか書かれていなかった。
焦ったヒロインは制作が止めるのも聞かず、開演直前に
脚本を書き直す。
混乱する現場。話はさらに辻褄が合わなくなり、客の
反応はますます悪化。ヒロインはどんどん脚本に手を
加え、芝居は破綻してしまう。
田舎から見にきた母親にも呆れられ、逆切れしたヒロイン
だったが、亡き父に所縁の元俳優の励ましなどもあって、
ようやく千秋楽にはマトモな脚本を仕上げることが
出来たのだった。

……千秋楽かよ。

この劇団は、以前にも見ている。
宛て書きなのだろうか、出演者は達者で、舞台そのものは
(ありえないギャグもあるが)それなりにリアリティが
あった。

だからこそ。

「小劇団ってみんなこんなんなのか?」
「こんないい加減な作り方してんのか?」
「何ヶ月も前からチケット取って予定空けて見に行く
客って一体何?」
と思ったら、なんだか哀しくなってしまったのだった。

もちろん、みんながみんなこんな作り方をしているとは
思っていない。
否、したっていいのだ。
結果、出来上がった芝居が面白ければ。
でもなぁ。
あんな場当たりで面白くなるとは思えんし、稽古もして
ないだろうコラ、と思うと、ねぇ。

更に細かいことをいえば、ヒロインが「古臭くて平凡」と
否定する母の生き方は別に古臭くないだろう(夫を亡くし、
小さい子を抱えてガテン系=物語の設定としては珍しく
ないが、古くはない)、とか、まぁ色々ある。
それだけだったら別に目くじら立てないけどな。

制作の青年の家族ドラマとか、元彼とのやり取りとか、
膨らませれば色々出来たと思うんだけどなぁ。

終演後、アンケート書く気にはなれなかった……

2008年9月 8日 (月)

「9条は守りたいのに口ベタなあなたへ…」@全労災スペースゼロを見た。

「非戦を選ぶ演劇人の会」によるピースリーディングを
聞いた。
出演者は俳優であるが、いわゆる演劇ではない。
リーディングっちゅーからホントに朗読するだけかと
思ったら、案外動きがついてて驚いたわけだが。
舞台後方に椅子が並び、出演者はそこに待機している。
張り出し舞台中央がアクティングエリアで、出演者は
出番が来るとそこに出る。手には台本を持っており、
台詞を言うというよりは「読んでいる」感じである。
でも多分だいたいは覚えてるんだろうな。

護憲派の主婦が、趣味のパッチワーク教室で「鳩と9」と
いうモチーフで作品を作ろうとしたところから話は始まる。
教室で、家族で、街中で、いろいろな人の色々な意見を
聞くたびに、主人公はぐらつく。
彼女は熱心な護憲派であり、かつ、真面目で勉強家であり、
資料はよく読みこんでいる。が、読んだものを咀嚼して
自説へと展開させる思考力が弱いのだ。
だから、改憲派に反論されるとすぐ絶句してしまう。

まぁ、プロパガンダ劇といえばそうで、「イヤ日常会話で
データ示したりしないでしょう」「条文そらで言えるって
尋常じゃないぞ」な人たちが次々現れる。
様々な立場の人がそれぞれもっともな(もっともらしい、
ともいう)発言をし、一筋縄でいかない作りになっている。
個人的には、タイムスリップというネタはちと古いと思った
が……
で、会の趣旨が趣旨だから、最後は9条を守ろうという
ところで決着するんだが、さすが永井愛脚本だけあって、
そこに至るまでの展開にはそれなりにひねりがあって
面白かったです。

やっぱりね、自分は戦争やりたくないから。
平和でないと芝居も見てられないしさ。
演劇ファンとしては、見に行くという行為そのもので
支持表明したいっす。はい。

とはいえ……
このリーディングって、今度11回目なんだよね。
こういう会があることは知っていたが、これまで
チラシや告知を見たことないぞ。一度も。
私は劇場によく行くし、チラシも見てるほうだ。
関心も、ちょっとはある。
でも、具体的な公演について知ったのは今回が初めて
である。
まぁ、今回も2日だけの催しだし、大々的な告知を
しなくてもチケットが売れてしまうということなのかも
しれないけど。
普段は考えないような人にこそ、こういうものは見て
もらうべきなのでは?

次も、一応出かけていくつもりです。
よろしければ、是非。

2008年9月 6日 (土)

不毛会議@「劇」小劇場を見た(その2)。

戦後世代の戦争物は時々見る。
戦争もんでもやっとけ、軍服カッコいいし、と
いうようないい加減な人よりも、真摯に考えて
いる人の方が多いだろうことは、見ていても
何となく分かる。
もちろん、何となくだが。

それでも、だ。
すごく調べてすごく考えて作ったであろう戦争芝居の
多くは、正直あんまり面白くない。
なんたって事実としての重みに欠けるし、なーんか
絵空事だよな、と思ってしまうのだよな。

で、やっと本題の「不毛会議」の話なんだが。
この作品も、軍人が何人も出てくる(というか、1人
除いてみんな軍人だ)。みんな差はあるが軍服も
着ている。多少は小道具もある。
だが、これは直接的には「ずれた対話」を描いた芝居で
あって、現代人が演じてもリアリティはそんなには
損なわれていない。
(イヤ、細かいことは自分も知らんのだが)
でもって、ちゃんと反戦ものになっている。
声高にうたうシーンはないのに。

そうか、こういうアプローチの仕方もあるんだなぁ、
上手いなぁと思ったのだった。

物語のキーになる夫婦2人の感情の動きがイマイチ
つかめなかったのは気になる。
主人公は基本的にぶれないのだが、彼らは作中で
大きく状況が変わる。で、その変化が台詞(表に
出る言葉)にどう影響したのかが、分かったようで
あんまりよく分からないのが惜しい。
あ、支離滅裂とかそーゆーことではないんだけどね。
ラストの桜はあまりに直接的、と思いもしたのだが、
でも、面白かった。
役者もみんな役に合っていたと思う。
ある意味個性的過ぎる……

人間やっぱ知ってるところで勝負せにゃイカンよなぁ、
と思った次第であります。

2008年9月 5日 (金)

不毛会議@「劇」小劇場を見た。

……苦い話ぢゃった。
いや、つまんなかったということではなくて。むしろ逆。

敗戦必至の某国軍隊(でも明らかに旧日本軍)が決死の
作戦を実行に移すべく会議する、という、簡単にいって
しまえばそういう話。

登場人物が皆極端に描かれているので、特に前半はかなり
笑える。
が、やがて少しずつ歯車がずれていき、最後は救いのない
終わり方をする。
一人一人は漫画っぽいが、多分ああいう人っているなぁ、
ああいうことってあるよなぁ、と思える。
妙なリアリティがあって、怖い。

戦争ものというのは、それなりの頻度でフィクションの
題材になるものである。
もちろん、芝居においても。
誰もがやるというわけではないが、それなりの割合で
上演されている、と思う。
で、「正義の味方が敵をやっつけましたバンザーイ」で
終われる単純な、まぁ言ってしまえばどうだっていい
子供だましの娯楽物は別にすれば、大概は「戦争とは
どういうものか」という命題に突き当たる。
ところが、舞台というのはどんな形で上演しようとも
嘘っぱちになる。
事実まんまを、当事者がそのまま出てきてやったって
舞台じゃ伝わらない。
厳密に言えば小説だろうと映画だろうとなんだろうと
同じなわけだが、例えばその場にいた人がたまたま
ビデオに撮っていた、というのは映画の1シーンに
なりうるし、目の前のやりとりをそのまま筆記すると
いう手法も、有効かどうかは別としてありうる。でも
舞台ではそれ自体ありえないってことね。
台詞にせよ道具にしろ衣装にしろ、「本物と同じ」
よりは「本物に思える(しかも客席のどのエリアから
みてても)」事の方が、舞台においては遥に重要
だから。

ああ、嫌な予感がする。
前置きすら終わってないのにこの長さ。

つまり何がいいたいかというと。
「舞台で戦争を扱おうと思ったら、『いかに舞台の
文法に合わせて手を入れるか』に、作り手の考えや
力量がもろだしに出てしまうよ」ということだ。

……アカン、終わらん。
続く。

とりあえずオススメ「東京原子核クラブ」

見てきましたなり。
えと、劇評は後日書かせていただきますが、
とりあえず「面白かった」「オススメ」でござる。

東京公演は7日までだが、その後全国52カ所にて
上演されるそうなので、機会があれば、是非。

2008年9月 1日 (月)

阿片と拳銃@紀伊国屋ホールを見た。

劇団M.O.P.の解散公演シリーズ第一弾。
初めて見るのがカウントダウン公演というのは……
遅かった~。

1930年代の上海。
1950年代の京都。
1970年代末の東京。

3つの物語が切れ切れに示される。
はじめは何やら訳が分からないが、だんだんに
物語の全容が見えてくる。
なかなか凝った作りである。

分かってみれば結構シンプルな話なのだが。
そして、細かいところは色々突っ込みたくも
なるのだが。
(ホントにあれで誤魔化せたのか?とか、日本語
上手すぎない?とか、色々)
普通の人たちの物語に、歴史上の大物が出て来たの
にも、多少違和感があったのだが。

これは、永遠のテーマ「三角関係」の話である。
親友同士の2人の男が、同じ女に恋をする。

面白かったよ。
なんかね、こう、ワクワクする感じ。物語が緻密と
いうより、次は何が出てくるんだろうと思わせる。
特に上海編は、活劇っぽくて楽しかった。

一応はハッピーエンド……ではあるのだが、失われた
ものを後から取り戻すことはできないということが
きっちり示されているところがいいなと思った。
長い時間が経ち、人が少しずつ姿を変えていくのも
自然だし(しかしヒロインはもうちっと連続性が
あってもいいかもしれん、今思い返せば)、関係が
変わってしまうのも切ない。
そして何より、トラブルの元凶というべき男が
魅力的なのが楽しい。
本当に困ったちゃんなのだが、周りが何となくついて
いく、というのが分かるんだよな。

カーテンコールの演奏会まで、肩の力抜いて
楽しめましたです。

2008年8月30日 (土)

「僕らの声の届かない場所」@王子小劇場を見た。

劇場のこともユニットのことも知らなかったが、
好きな役者が出てたので、見に行った。
みんなそれぞれ似合ってて、よかったと思う。
その点だけは満足。

舞台は大まかに言えば能舞台のような作りで、
幕はなく、舞台+下手につけるための通路があり、
短いながらここでも芝居が出来る。
舞台は額縁に縁取られたキャンバス、という形に
なっていて、一番奥から人が出入りすることが
可能。(奈落につながっているんだと思う)
なかなか凝った作りである。

物語はあるアトリエで展開される。
食えないオーナーの元、若い画家が集まって
絵を描いている。
本当に下手な男、如才なく適当に上手い男、
ナイーブで優しい男に混じり、偏屈で非常識な
男がいる。これが主人公だ。
抽象画を描きながら完成させられず、自分の
作品が理解されないといって怒る彼に、何故か
理解者が現れる。
彼女は何も言わないのに彼の絵をすべて理解する。
これが若く可愛らしい女性で、いつの間にやら
「あなたの絵が好き」から「あなたが好き」と
いうことになっている。

願望丸出しで白けた。

これより先はツッコミなので、色を変えた。
舞台を見て満足された方はお読みにならない方が
よろしいかと思います。
うっかり見ちゃった、を防ぐために、ちょっと場所ふさぎ。

Box

Hinata

Wata

Hirune_2

Carry

アトリエに通い、コンテストに参加しながら
そのルールには従わず、モデルを理不尽に怒らせ、
画商に平凡なやり方で喧嘩を売り、無関係な喫茶店の
出前を傷つける男……というのは、主人公として
いかがなものか。

道徳的になれといいたいのではない。
ただ、甘ったれてると思うだけで。

創作ってのは作りたいから作るもんで、それが
他人に評価されるか、それで食っていけるかとは
まったく別の次元の問題だろう。
特に絵は、1人で描こうと思えば描けるし、その場で
消えてしまうものでもない。
本人の死後もこの世に残せるものである。
たとえば、同じ創作でも「いけばな」や「料理」、
「ヘアデザイン」なんかは、その場で消費されて
初めて完成する。(誰にも見せずに作って腐らせる、
ということもまぁ出来なくはないが……)
「演劇」もそうだよね。
こういった消えものアートは、「金を出してくれる
客」がないと、実質的に成り立たない。
ゆえに、作ることと売れることは切実に結びついて
いる。
でも、絵はそういうもんじゃないだろう?
人付き合いは下手だが描きたい、というのであれば、
自宅にこもって描けばいいのだ。窓から外を見るなり、
道端で観察するなりしながら1人で描けばいいのだ。
そして作品を大事に持っていればいいのだ。
主人公は、来なくてもいい場所にやって来て「自分
だけ特別扱いしろ」と駄々こねているように見える。

主人公は、
・自分で満足のいく絵を描く
・他人に評価される
・他人に理解される
・他人に愛される
ことをごっちゃにしているのだと思う。

だから、絵を分かってくれた女性は自分が好きで
ずっと一緒にいてくれると思い込めるし、彼女が
褒めてくれないと暴力を振るう。
仲間に批判されて「この絵はダメなのか!」と
食って掛かったりする。
人の視線をそんなに気にしてどうするよ?

作品には自分が出る。
でも、作品は自分とイコールではない。
伝える努力はしないが、絵を見て理解して欲しい、
なんてのはナシだと思うよ。

だいたいが「本当の私」ってのはファンタジー
だから。
「本当」ってなんだよ。
他人どころか、自分だってそうそう理解できる
もんじゃない。

人は互いに理解しあえない、訳ではない。
理解しあえる「瞬間」はある。
その瞬間の多い少ないもある、と思う。理解が
線状で続く、こともある、かもしれない。
でも、理解が面になって続くことはないと思う。
否、なくはないが可能性はとても低いと思う。
それに、完全に理解しあわなくたって、人は
他人に好意を抱けるし、ともに歩いていく事
だってできるだろう。

自分の期待した答えを言わない相手を責める
主人公は、幼稚で身勝手すぎると思う。

ついでに言うと、作品は、完成していなければ
意味がない。
結果的に未完で終わるのと、未完作品をいつまでも
こねくり回しているのとはまったく訳が違う。
完成させられない創作者というのは、要するに
終わらせる気がないのだと思う。

主人公の描く絵の中の物語を役者が演じてみせる
とか、少女のその後とか、面白い点もあったは
あったのだが……
残念。

「旧歌」@新宿シアターモリエールを見た。

まだ7月分なんだよな~。ヤレヤレ。

関東のとある漁師町。
父親の死によって、田舎の小さな造船工場(と
いっても実質は船大工工場)を継ぐことになった
長女。
頑張ってはいるが、不況の影響は免れない。
イマイチ折り合いの悪い母も、娘にとっては
悩みの種である。
地元では大きな祭りの日。
結婚して家を離れた次女とその夫、従姉弟、
長年工場で働いている青年、その友人たちが、
祭りのために集まってきた……

地方の伝統ある祭りの一夜の物語である。

工場も祭りのために飾り付けられ、直接参加する
男たちは軽い興奮状態にある。
女たちも準備に大急がしである。
そういう独特のテンションの中、さまざまなことが
起き、さまざまな会話が交わされる。

前からくすぶっていた不満。
知らなかった人の存在。
恋人の過去。
姑との同居。
引越し。
転職希望。
昔の思い出。

楽しい話題のほうが少ないぐらいなのだが、
暗い芝居では決してない。
それどころか、やり取りそのものは結構笑える。
日常のリアルがうまく掬いあげられていて、自分とは
まったく重ならないことでさえ、「ああ、あるだろう
なぁそういうこと」と思わせられる。

狭いコミュニティーで、四六時中一緒にいるん
だろうなぁ。
親しいがゆえに、つい配慮を忘れてしまったり、
生々しい話はしづらくて、ぼかしてしまったり。
うんと近くにいるから見えることもあるし、
見えないこともある。

それともうひとつ、歳を取った母親が子ども時代の
幻を見るところの演出がうまいと思った。
周りは「痴呆か?」とささやきあう訳だが、彼女は
昔に返っただけなのだ。

木の梁、オレンジの光、祭りの垂れ幕、
いずれも知らないものだが、なんだか懐かしい。
最後の悪態まで清々しい、いい話だったと思う。

2008年8月28日 (木)

「夜と星と風の物語」@シアター1010を見た。

ファイテンのブレスを満員電車内で落としたらしく、
大変傷心のけらいであります。

それはともかく。
今更シリーズ続けます。

開館5周年記念として、別役実が書き下ろした
のだそうだ。
著作権が切れ、多くの訳が出て話題になった
サン・テグジュペリ『星の王子様』をモチーフに
した音楽劇である。

王子さまについては、バラの花との関係がクローズ
アップされていて、星めぐりや狐とのやり取りは
描かれない。
そして飛行士の「僕」には名前が付き、両親や
恋人が登場する。
王子さまは蛇を連れているが、「僕」との別れの
シーンはない。

そもそもの原作の文章も詩的だが、音楽劇という
ことで、ストーリー展開より「音」を味わうような
舞台になっていたと思う。
似ているのに同じではないやりとりが繰り返され、
話は進むと見えて混乱する。
対話しても事態はハッキリしない。
つまり、かなり観客を選ぶ舞台だったということ
なのだが。
個人的には面白かったと思う。ちと長かったけどな。
王子さま役の毬谷友子は元々歌える女優であるが、
曲がまた良いんで、大変心地よく聞いた。

ここから先はただの推測なのだが。

作者は王子さまに幸せになってもらいたかった
のかなぁ、と、原作にはなかった場面を見ながら
ぼんやり思った。

王子さまと飛行士のピエール(という名前
なのだ)の恋の話であり、男2人がそれぞれの
恋人について語り、考え、おのおの幸せになる
(多分)物語であったから。

だって、原作は美しいけど哀しいものねぇ。


個人的には「愛してますかー」「愛してますー」は
どうかと思ったけど、まぁ、いっか。

2008年8月27日 (水)

「ウドンゲ」@ベニサンピットを見た。

今更シリーズはまだまだまだまだ終わっていない
のでした。はっはっはっ。(←乾いてる)

男優3人が女性を演じる三軒茶屋婦人会シリーズ。
過去の公演は見逃したので、今回が初見である。
チラシはなかなかインパクトがあったが、芝居の
内容とは全然関係なかったらしい……

古いアパートの一室を舞台にした、一夜の物語である。

かいつまんで言うと、
葬儀によって集まったかつての高校の同期生、
現在50代。
その後飲み会に突入、流れで、女3人男1人がタクシーで
澄子(大谷亮介)のアパートにたどり着く。
話はここから始まる。
澄子の家に押しかけたのは絵美(篠井英介)である。
どさくさに紛れて薫(深沢敦)も着いてきた。
昔絵美が好きだったという加藤(現メタボオヤジ)も
酔いつぶされた挙句に連れてこられているが、彼は
隣の部屋で寝ているという設定になっていて、舞台には
登場しない。

1人暮らしの澄子は自分のリズムを乱されることを嫌う。
ゆえに、3人の客は迷惑以外の何者でもない。
(それでなくても、真夜中に自宅までやって来られたら
フツーに迷惑だが……)
絵美はかつて澄子の「親友」だった。
「四六時中一緒にいる」という、10代女子特有の
付き合い方をしてた訳ね。
彼女はある目的を持ってタクシーに乗り込んだのだが、
薫のことは計算外だった。
そして、薫は薫で考えがあって着いてきたのだ。

あんまりかいつまんでないな。
おりしも台風で、古いアパートは雨漏りがしている。
冷蔵庫にもろくなものは入っていない。
陰気な雰囲気である。
澄子は何とかして闖入者を追い返そうとする。
だが目的のために絵美は粘り、薫も居座る。
マダムな絵美、離婚した薫、そして独身の澄子。
3人の一見たわいないやり取りは時に毒を孕みつつ、
30年の年月を埋めていく。
そして夜が明ける頃、彼らは「再生」するのだった。

3人の女たちの事情は自分にとってあまり縁のない
ものだが、それでも「いるだろうなこういう人」
「あるだろうなこういうこと」とは思う。
台風の日の真夜中に30年ぶりに集う女たち、という
シチュエーションそのものは自然とは言いがたいのに、
会話のディテールは妙にリアル。
バカ話はもちろん、深刻な話でさえ笑える。
そして、最後はすがすがしい気持ちになる。

生々しい話も、演じているのが男性だということが
クッションになって、深読みせずに楽しめる感じだった。
しかも舞台上には違和感があまりない。
篠井と深沢はオジサンなのにオバサンだったもんな、
それはもう見事に。
さすがに大谷はむちゃむちゃ女装だったが、知人に
似ていた(そっくりじゃないけど、同じ顔の男性版と
女性版といった感じ)なのに、密かに受けてました。
内緒だけど。

それにしてもあのカップラーメン、まずそうだったなあ。

2008年8月22日 (金)

五右衛門ロック@新宿コマ劇場を見た。

今更ながらめげずに書くぞコーナー第三弾。
前回公演は見逃したので、久々の劇団☆新感線公演である。

ざっと感想を書くと、
・面白かったよ。
・3時間半の長丁場ながら、飽きさせない。
・中身はいっつも同じなんだけどね。
・アクションショーだと思えば、かなりいい出来だと思う。
・コマ劇場の雰囲気も、この劇団に合っているのでは。
・チケット高かったけど(ぼそ)。
・これって要するに「ルパン三世」だよね。
・こんなに大勢のゲストは要らないじゃないのか?
という感じかなあ。

物語はといえば、
釜茹での刑に処されたはずの大盗賊・石川五右衛門は、
自身の部下や女賊・真砂のお竜の手を借りて生還。
南蛮商人のペドロ&アボラと手を組んだお竜にハメられ、
奇跡の石・月生石を盗みに行く羽目に陥る。
月生石はタタラ国王クガイの完全な管理下にあった。
そして南蛮を含む各国が、この石を狙っていた。
独裁体制を敷くクガイに反旗を翻すボノー将軍は、
父を憎む王子カルマと手を組んでいた。
詳しい事情を知らないまま、五右衛門は戦いに
巻き込まれることになる。
とまぁ、こんなとこ。

新感線のお約束「悪者と見えたやつは実は敵ではなく、
味方が途中で正体を現す」というパターンに則った
つくりなので、展開そのものには意外性がない。
役者ごとのお約束場面も含め、「ああ、またですね」
なところの方が多い。
冷静に考えればツッコミ入れたいところ、分からん
ところも色々ある。
が、とりあえず楽しめたんだからいいんである。
臆面のないばかばかしさ、スピーディーな演出、
芸達者な役者、装置の面白さetc……
理屈こねるのは野暮というもんだ。

ただ、いつも思うのは、新感線の芝居は男性キャラに
対して女性キャラが古めかしいというか、一見
勇ましくても中身は昔風である場合が多いこと。
今回はあまり深刻な話でなかったから気にならなかった
が、シリアス場面の多い話だと、見ていて歯がゆい
ことがある。

閑話休題。

ゲストはみんな似合うところを振られていたと思う。
特に踊りまくる森山未来と川平慈英はスゴかった。
思わず「RENT」チケット取っちまったもんな。
(関係ないか)
つまりは銭形警部の役どころだった左門字
(江口洋介)は、笑わせたいのか二枚目なのか
時々見えなくなったが。

それと、北大路欣也は父親役だったので、1回ぐらい
softbankのおとうさんになってくれるかと思ったが、
残念ながら最初から最後までずーーーっとシリアス
だった。
ちぇ。

逆に、一部を除く劇団員の扱いが軽いのはちと。
出来る人はいっぱいいるんだから使って欲しい。
個人的には高田聖子ファンなので、一幕まるまる
登場しなかったのには焦った……

2008年8月21日 (木)

「シンベリン」@あうるすぽっとを見た。

がつがつ書かないと間に合わない……って、もう充分
溜め込んでいるが……

恒例、子供のためのシェイクスピアカンパニーである。
(そうは見えないが)ローマ帝国全盛期のブリテンを
舞台にした、愛と赦しの物語。
内容的に子供向けとは思えないが、とても面白かった。
いやいや、お子様にだけ見せておくなんて損ですぜ。

誤った裁きで部下を失う王、
実子を王位につけたいと画策する母、
恋人と自分のこと以外考えず、何事も強行突破
しようとする娘、
中身より身分で価値を判断する王子、
妻恋しさに、それ以外の女を悪く言う男、
その妻に裏切られたと思いこみ、すべての女を
呪う男、
嫌いな相手に一泡吹かせるために嘘をつく男、
面倒な患者をごまかすために偽薬を渡す医者、
2つの忠義に挟まれて苦渋の決断をする従者、
国の命を受けて戦い、負ければ命を投げ出す将軍、
別の愛を得て、かつての主君を恨み続けることが
出来なくなった部下、
小国の服従を当然の如く要求する大国、
無謀にも大国に逆らう小国……

みんなある意味ダメダメ君だが、ある意味正直で
人間くさい。
全員に共感するわけではもちろんないけど、
誰にでも彼らのような面があるんではないかと思う。
最後の和解場面はやっぱり泣けます。

ある意味ダイジェスト版であるので、細かいことを
言えば、分からないところはある。
あんなに怒ってたのに、どうして急に後悔したんだ?
とか、
うそぶいてたくせに急に善人になるのかぁ?とか、
男装した途端に何でそんなに頼りなくなるんだ?
とか。
でも、そんなことはまぁどうでもいいのである。
(いいのか……)

「シンベリン」は2度目の上演で、初演との細かい
違いを言えるほど見てはいない(いや、1回しか
見てないです)が、更にこなれて来たんでは
ないかと思う。

面白かったよ。

2008年8月20日 (水)

7月大歌舞伎(夜の部)@歌舞伎座を見た。

まだまだ続く今更シリーズ。
もはやヤケだ、続けていってしまえ!
ということで、歌舞伎座だ。
泉鏡花2本立て。

もうあちこちに劇評が出ていて、「ああっそれ書こうと
思ったのに先越されたー!!!」状態なので、ぶっちゃけ
あまり面白くないのだが、ぐずぐずしていたオノレのせい
なんで、文句を持っていく先がない。

「夜叉ヶ池」は面白かった。
ほとんど若手公演なのだが、みな役に合っていて、配役
バランスもよかったので、夢のような物語が説得力を持ち
得た、と思う。
晃と学円はちゃんと学友だったし(結構大事なことだと思う
んだよな、これ)、晃と百合との並びも絵になる。
初役の白雪姫・笑三郎も堂々たる姫っぷりだった。吉弥の
万年姥もキレイだったなー。
悪い人々を演じた薪車、欣弥、鈴木章生、寿猿等も、下手に
生々しくやるとチープになるところ、肩の力がいい感じに
抜けていて、ある種御伽噺のようだったのがよかった。
猿弥の鯰は、実力の割にちと役が軽かったと思うが……
若手女形が大和屋の影響を受けているのが微笑ましかった。
人間界~湖の底の転換もスムーズだったと思う。
鮒と蟹の歌がしばらくクセになって参った……

「高野聖」はなぁ……
今、女の役を演じられるのは玉三郎ぐらいだろうと思う。
キレイだったし台詞もよかった。
海老蔵も、うまくはないが似合っていたし、宗朝というのは
多分、演技力よりそれらしさが必要な役だと思う。
(すごい失礼。イヤ、褒めてるのだが)
歌六の台詞まわしは立派だったし。
でも、芝居としては平板で退屈だった。
説明台詞が延々続くばっかりなんだもんなぁ。
小説であれば、説明であっても文章そのものの力で読み手を
楽しませることが出来るが、芝居で1人がダラダラ語るのは
ナシだと思う。
山の中の獣の仕掛けも、何だかおもちゃみたいだったし。
ちなみに、入浴シーンは上手からは見えなかったそうだ。
(ダメじゃん)

いろいろな意味で歌舞伎ではない(休憩も長いのが1回だけ)
ので、人を選ぶ内容だとは思うが、個人的には見てよかったと
思っておるです。

2008年8月19日 (火)

「Last sceneはさりげなく」@紀伊国屋ホールを見た。

どえりゃあ前のことで大変恐縮だが、7月に行われた
劇団S.W.A.T.!25周年記念公演である。

あらすじはというと、端的にいってベタベタ。

「ワガママな俳優に切れて暴力沙汰を起こした若手演出家が、
病に倒れた先輩演出家の手がける市民劇団の面倒を見る
ために東京近郊の地方都市へ向かう。
内心早く東京へ戻りたいと思っている演出家と、演出家を
信用できない劇団員は初めうまくいかないが、稽古が進むに
つれ、彼らの心はだんだん近づいていく。
演劇祭に向けて頑張る一同に、件のワガママ俳優が
挑戦状を……」

始まったところから終わりが想像つく、というタイプの話
である。
だからつまらないかといえば、全然そんなことはない。
定番と陳腐は紙一重だが、本作はキワキワで面白い。
ちゃんと笑わせて、泣かせている。
ある意味すごい匙加減だと思う。

いくらなんでも本番中に敵役が……(自主規制)はない
だろう、とか、突っ込みどころはまぁあるわけだが、
バカバカしいギャグの間にちりばめられた名台詞、ことに
「たかが芝居」にはぐっときましたよ。

S.W.A.T.では役名イコール芸名であることが多く、みな、
イメージ通り(に見える)の役を演じている。
この手の宛て書きは「キャラのマンネリ化」という危険を
はらむもので、実際お約束場面もあるわけだが、物語に
うまく組み込まれているし、やりすぎてもいないので、
内輪ウケもそんなには気にならない。
多少はあるけどね、やっぱり。
でも結局、それらしく見えるから納得してしまうんだよな。
ゲストも含めて嵌まり役でした。
座付き作者による宛て書きってのはこういうもんだよ。
と、言ってやりたい劇団がいくつか(以下略)。

2008年8月 5日 (火)

「夕」@シアターサンモールを見た(その2)。

続きなり。

それと、もうひとつ。
ヒロインの望みはおそらく、多分、絶対にかなわない。
夕は元弥に惚れていて、恋人になりたいと思っている。
元弥の方も夕を心底大切に思っている。
でも、その好意が恋愛感情とイコールになるとは限らない。
というか、この場合はイコールではないと思う。
婚約者の薫が不快に思うほど、元弥は夕を大事にしている
けれども、彼女と結婚したいとは思わないわけだよ。

大切に思う=レンアイ感情とは限らない。
恋愛のピーク時には、「一番好き」は自動的に恋人と
イコールになるだろうが、人間そういつもいつもハイでは
いられない。
たったいまこの時は家族が、あるいは友人が一番大切、と
いうことだってあり得る。

いろんな形の「一番」がある。
一度一番になったから、ずっと一番でいられるとは限らない。
「たった一つ」の一番に固執すれば、望みがかなわない
可能性が高くなる。

というわけで、あのラストは夕にとって最上の結末だった
んじゃないかとまぁかように思うわけだが。
勘のいい人には伏せたはずのオチがわかってしまうかも。

キャラクターは多く、いなくてもまぁ何とかなる人も
いないではないが、不要な人はいない。
細かいことを言えば引っかかるところもないではないが、
みんなそれなりにうまく使われていたと思う。
訛りに関してはよく分からないが、ど素人の耳には
それらしく聞こえたよ。
現地の人が聞いたらちょっと……かもしれんが。

ギャグはおおむね面白かったが、友人信子の描かれ方には、
正直なところイマイチ笑えなかった。
厚かましくたくましい困ったちゃんなキャラは、愛嬌が
ないとイカンと思うな。
途中の名台詞も、それまでの友人同士の絆が見えないから
何だかとってつけたようだと思ったです。
(そもそも夕と薫、信子がさほど仲よさそうに見えない)
学ラン&セーラー服は思ったほど辛くなかったけどね。
(普段もっときついもん見てますから……)

2008年8月 4日 (月)

「夕」@シアターサンモールを見た。

一日抜けちゃいました。スミマセン。
今頃7月に見た芝居の感想を書き始めてます。
(これは7月の頭に見た)
相変わらずのグズっぷり。

さて、本題。

東京セレソンデラックスの公演である。
TV見ないから知らなかったが、ドラマの脚本で
人気のある人の作・演出・主演作品だったんですね。
よくいくシアターサンモールなのに、いつもと
微妙に客層が違ってびっくりした。
会場に飾られたお花も豪華だったねぇ。

舞台は80年代の長崎。幼馴染同士のすれ違い
初恋物語である。
構造は単純だが、事件は盛りだくさんでスピーディ、
ベタな笑いや涙のてんこ盛りで観客サービス満点、
会場は笑いとすすり泣きに満たされていた。

ざっとあらすじを書くと、
隣近所がみんな昔からの知り合いで、プライバシー
なんざカケラもないような時代(ちなみにおニャン子
クラブが流行ってる頃。っていつだ?思い出せん)
(80年代半ばらしい。調べた)の長崎の田舎。
「長崎のキングギドラ」と呼ばれる暴れん坊のヤンキー
三兄弟、相川欣弥、元弥、雅弥は、海の家兼民宿
「あいかわ」の3人息子である。
隣家の娘・三上夕は次男の元弥にずっと惚れているが、
元弥は夕の友人・高橋薫に片思いしている。
そして薫は元弥の友人・塩屋憲太郎に惚れている。
結局薫は憲太郎に告白し、2人は付き合い始める。

その後もご町内では色々な事件が起こる。
憲太郎が東京の大学にいき、薫があとを追ったり、
欣弥に緑という名の恋人が出来たり(おいおい)、
雅弥が役者になりたいと言い出したり、元弥が牛を
飼うと言い出したり、夕の妹の波がガングロに
なったり。
夕はずっと元弥に惚れている。
元弥はずっと薫を思っている。
やがて憲太郎と別れた薫は元弥と付き合い始め、
2人は結婚することになった。
夕は結婚式の日を避けてフランス留学する。
……
ラストのどんでん返しは仁義きって伏せまする。

みんなそれぞれに一生懸命で、弱かったりダメ
だったりはしても、イヤなヤツはいない。
気持ちのいい物語だったと思う。

が。
ラストでダメ押しのように「泣けー!!」場面を連発
されたため、最後は引いてしまったのだった。
一応ネタばれせんよう曖昧な書き方をするけれども、
「忘れ物」「伝言」「花」の3つはどう考えても多すぎ。
個人的には「忘れ物」ひとつで充分だと思う。

長くなったのでいったん切ります。

2008年7月31日 (木)

「混じり合うこと、消えること」補遺

ちと舌足らずになってしまいました。

國村・南に期待して行ったと書いたが、若い2人の
役者は、申し訳ないが見たことがなく、存在を
知らなかったのだ。

でも、2人とも、役の雰囲気に合っていてよかったと
思う。
こういう言い方は陳腐ではあるのだが、「現代的
コミュニケーション不全(でも孤独は好まない)」
を上手く表現していた、というか。

4人とも好演であったと思うなり。

「混じり合うこと、消えること」@新国立劇場(小)を見た。

情報はまったく持たずに見に行った。
チラシにもたいしたことは書かれてなかったし。

役者狙いでいったんです。ハイ。
期待通り、イヤ期待以上に、
國村隼も南果歩も素敵だった。

見てない方のために、簡単に説明。

夜の公園。
喪服を着た男(國村隼)が入ってくる。
遊具の中には女(南果歩)と少年(橋爪遼)がいる。
男は女を知っているらしい。
少年は女を母と呼ぶ。
女は少年を「息子」だと男に紹介する。
3人は「家族団らん」を試みるが、あまりうまくいかない。
そのうち、実は娘(初音映莉子)もいるということが分かる。
娘は人間になり切れておらず、理屈が通じない、暴力的な
存在であると女は説明する。
男は娘に会いたいという。
少年は娘を探しに行く。

男と女、少年と娘の会話を経て、やがて、4人が揃う。

まぁ、大体こんな感じ。

物語構造が割合単純らしいことは、かなり最初の方で
分かる。
設定をはっきりさせる意図はあまりないということも。
の割に、公園のセットは具体的なんだよな。
……なんだか、引っかかる。

不可思議なはずの会話も、半端に分かりやすくて
逆に違和感があった。
ひとつには、言葉が多いからだと思う。
海鮮弁当の件にしろ息子が見境なくセックスすると
いう件(嘘らしいが)も、登場人物が語りすぎるから、
ちぐはぐさが薄まってしまったように思う。

作りものを作りものでーすといって見せるのは、
そんなに簡単なことではないんじゃないかなあ。

少年が、親といる時は反抗的で口の達者なクソガキなのに、
同世代の少女といると圧倒的に負ける辺りはリアルだが。
その少女の方はといえば、口も利けない暴力的な存在、と
いう触れ込みの割に、少年といる時にはワガママだが
平凡な子どもで、言うこともすこぶる普通である。
不思議というより「ナンなんだ」という気にさせられる。
一人の人の持つ多面性、では済まされないような。
単に統一感がないように見える。

なんていうかなぁ。
辻褄が合うことだけが大切なわけではもちろんない。
ないけど、台詞も、衣装も、セットも、小道具も、
音楽からライトに至るまで、舞台の上では「何かを
表現する」ものである。
現実には、特に脈絡のない言葉、無意味な行為、
適当な光やいい加減な音、たまたまそこにあった
ってだけの物体があっても別にいい。
でも、舞台上に存在するのは、「わざわざ用意された」
ものだろう?
意図したものなら、その意図がある程度は見えるように
するのが、置いた側の責任ってもんじゃないのか?
あるいは、「意図を見せないことの意味」を示して
おくべきではないのか。
好きなように物を並べて「勝手に見て勝手に理解して、
理解できない人は仕方ないから帰って」というのは、
創作としていささか無責任であるように思う。

脚本家が作・演出を担当する五反田団の公演を見に
行くことはおそらくないだろうと思う。
今のところね。

2008年7月29日 (火)

『A MIDSUMMER NIGHT'S DREAM~THEじゃなくてAなのが素敵~』@芸術劇場を見た。

むっちゃ今更でスミマセン……

↑こんなサブタイトルも付いているし、チラシの
コピーも「これまでとは違う」ことを強調してたので、
どんな斬新な演出になるかと思ったら、
……フツーでした。
確かに、衣装はポップで派手だったけど。
(妖精時の山内圭哉のスカート姿は何度見てもマリー
クワントに思えたのだが、そうじゃないのかな)
多少関西弁が使われていたけど。
でも、それ以外は特に何かが違うということはなくて、
フツーの「夏夜」でした。

ならつまらなかったのかといえば、そんなことはない。
「夏の夜~」は元々面白い芝居だから。
出演者も達者だったし。
あちこちで既に書かれているようだが(というか、
けらいが遅いのであるが)、箱入り娘のハズの
ハーミア・神田沙也加の捨て身演技には笑った。
妖精パック(植本潤)はやたら邪悪だったし。
あと、オーべロン(コング桑田)とティターニア
(樹里咲穂)の歌声が素晴らしかったです。

他の役者さんも面白かったよ。

ただ、舞台中央にしつらえられた四角い枠の
ようなセットは今ひとつ……
前方の席だったのだが、役者が枠の内側に立つと
結構見えにくかった。
それと、眠るティターニアが乗っているハンモックが
上がったり下がったりするのは落ち着かない感じ。

期待していったのとは違う内容であったことは
否めないが、楽しめた公演ではありました。

2008年7月21日 (月)

「サンシャイン・ボーイズ」@PARCO劇場を見た(その2)。

続き。

ここからネタバレ。

ウィリーとアルはテレビのリハーサルでも大揉めし、
しかも途中でウィリーが発作を起こして倒れる。
実は彼はかなり具合が悪かったのだが、医者が
イヤできちんと治療を受けていなかったのだった。

特番は結局古いフィルムを放映するだけでお茶を
濁すことになった。
ウィリーは訪問看護士に絶対安静を命じられるが、、
口だけは動かし続けて大顰蹙を買う。
ベンは前から言っていた同居の件をまた持ち出すが、
ウィリーは子供との同居はイヤだと断る。
ならばといってベンが提案したのは、老いた
俳優のための特別施設に行くことだった。
(これは、前に劇評を書いた「出番を待ちながら」
の男性版ですね)
病気でいささか心弱くなったこともあり、ウィリーは
これに同意する。

そこへアルが見舞いにやってくる。
相変わらず言い合いながら、少しずつ歩み寄る2人。
お互い、相手が嫌いだと言いながら、役者としては
最高であることは認めていたのだ。

実のところ、彼らが10余年前に決裂した直接の原因は、
アルが引退して娘と同居したいと言い出したからだった。
そしてその娘に、今度子供が出来るという。
アルは家を出る決心をしたのだと告白するが……
最後はご想像通り。

安心して見ていられるコメディである。

本の感想で書いた相違点というのは、以下2つ。
文庫では稽古中にウィリーが台詞を間違え、アルに
ダメ出しされて素直に認めず、断固これでいくと
意地を張ったところから話がひどくこじれる、という
展開に見えたが、今回の公演ではその辺りが曖昧に
なっている。
でも、ウィリーの性格からしたら、この辺は明確に
「うっかり→後には引けない」となる方が自然では
ないかと思う。
もう一つ、これは日本語の問題のように思うが……
見舞いに来たアルに、ウィリーは「発作はオマエの
せいだが、そうやって謝りに来てくれたからには
許してやる」とタカビシャに出る。これに対して
アルは「心配したから来ただけで、別に謝ること
なんかない」と突っぱねて大もめする場面がある。
ここで、劇中のアルはちょっとは気が咎めていた、
という感じがしたのだが、ウィリーの病気は別に
アルのせいではないので、別にそんな遠慮は必要
ないのではないかと思う。

それとこれは話にツッコミなのだが、
仮にも30年、ボードビルのプロとしてやってきた
男たちが、いくら老いたからといって、リハで
あんな大揉めをするものだろうか。
プロ意識ゼロ?

例えば、ずっと舞台をやっていた人たちが、秒刻みの
テレビの世界を本当のところは理解していない、と
いうならまだ話は分かる。
(出たことはあって頭では分かってても、感覚的
につかんでいない、とか)
でもサンシャイン・ボーイズ(というのがウィリーと
アルのコンビ名だ。書くの忘れてたが)はテレビ
番組の売りだったんだよね?
何だか釈然としない。

とはいえ、笑ったし楽しかったのだが。

復帰1作目の江守徹は、傲岸不遜なキャラ+ちと
ヨロヨロしてるあたりに妙なリアリティがあったし、
西岡德馬も地味に人を怒らせるのが嵌っている。
またしても口を尖らせる笠原浩夫は、理不尽な
目に遭いながら気の毒すぎないところがいい。
あとの出演者も、出番は少ないものの、みんな
「いかにもいそう」でよかったと思う。
出演者は7人なのに役者が8人?!と思ったら、
引く手あまたの有能看護士を演じた高谷あゆみが
TVクルーも演じていた(帽子を目深に被ってた
ので分からなかった)のには驚いた。

状況や役者のキャラでなく、言葉できちんと笑わせる。
こういうコメディをもっと見たいものである。

2008年7月20日 (日)

「サンシャイン・ボーイズ」@PARCO劇場を見た。

前に文庫本の感想を書いたが、実は芝居を見た日の夜に
本を読んだのだった。
なんで、見たばかりの舞台に引きずられたかも知れない。

かつては大人気だったボードビル役者のウィリー。
だが今は仕事もなく、わびしくホテルで一人住まい
である。
甥にしてマネージャーのベンは色々頑張っているが、
スター意識を捨てられない上に台詞を覚えられない
ウィリーに仕事など来るはずがない。

今日も文句を言うウィリーに、ベンが仕事を持ってくる。
コメディの歴史を振り返るというテレビの特別番組で、
かつて一世を風靡したウィリーとその相棒アルに、
もう一度ショーをやってほしいというものだ。

ウィリーとアルは30年の長きにわたって名コンビと
いわれていた。
ところが、
実はウィリーとアルは、大変大変仲が悪かったのだ。

ごねるウィリー、宥めるベン。そのうちにアルが
稽古のためにやってくる。

とまぁ、こんな感じの話。

ああいえばこういう人たちが言いたいことを言う
芝居である。
ウィリーの口の悪さはもちろん、振り回されている
というアルやベンも、よく舌の回る人たちだ。

いかにも英語っぽい、ちょっとひねった言い回しが、
個人的には楽しかった。
なるほど異文化だなぁと。
ただ、翻訳で完全にその面白さを味わうのは多分
無理だと思うので、どの程度「日本化」するかは
難しいところである。

ロビーでは「面白くない訳じゃないけど、なんか
ぴんと来ないところもある」という声を聞いたが、
まぁ、確かに。
笑いは国境を越える一方、自分のすぐ横にある
壁もなかなか越えられない。
取り扱いの難しいものだと思う。

なんていってる間に長くなってしまったので、
とりあえずこれにて。

2008年7月16日 (水)

「心霊矢口渡」@国立劇場を見た(その2)。

上演前の解説は、前半を亀寿が担当。
前に見た時は楷書っぽい、真面目な解説だと思った
印象があるが、今時の解説は観客参加型なので、
むしろ「にこやかで口調がやさしいのに手厳しい」
と思ったりした。
あ、悪い印象ってことではない!!
急いで言う。
けらいが見た日は学生さんの団体観劇日だったの
だが、舞台に呼ばれた高校生(多分)男女は
わずかな説明を受けただけで太鼓を鳴らしたり
女形の仕草をしたりせにゃならず、なかなかに
大変そうだったから。
いきなりやれって言われて出来るもんなのか。
面白がってたみたいだけど。
同級生たちはもちろん大うけ。
最後はセットの船に乗って花道から去っていった。
あれはええのぉ。

亀寿が支度のために引っ込むと、代わって作者・
平賀源内に扮した橘三郎が演目の解説を担当する。
こちらは安心して見ていられた。
そしてうなぎが食べたくなった。
けらい、単純なヤツである。

あとは出演者に少々コメント。

お舟:片岡孝太郎
可憐で純情な娘、との触れ込みの割には迫り方が
エグかったように思うが、そこはまぁ措く。
(根本のところは父親似、執着する方向が違うだけ、
というコメントを見かけたが、ナルホド)
はまり役だった。
いわゆる姫より娘役の似合う女形だと思う。
ただ、義峯やうてなと並ぶと明らかにお姉さん
(婉曲)なのだよな。
ヒロインをやるんだからある程度しっかりしてて
もらわんと困るし、かといってあんまり一人だけ
上でもちょっと……ってことで、なかなかに
難しいところなのだが。

新田義峯/義興の霊:坂東亀寿
宝物の詮議に行くといっていたような気がする
(うろ覚え)が、人目を忍ぶ割には結構大らかで、
知らない家に一夜の宿を請うてみたりする暢気者。
すっきりとした二枚目ぶりである。
それと、あんまり器用そうじゃない(ように見え